2017年11月28日

鉋フィニッシュの椅子

霜月の紅葉のお茶事では炉のお点前になり、
我が家でも暖炉に火を熾し、火の神に酒を供えた。

今年は庭の木の葉の色付きも鮮やかで、
ゆずが黄色くなり始めた。

師走が間近に迫った近頃は、
好きな刳物の漆器を事務所に並べて
時折触っているんだけど、

深紅(ふかきくれない)のチェロケースと共に
朱漆のアカが生命感を与えてくれる。

tucasa_homes_ 057_R.JPG先日、徳永順男さんの鉋フィニッシュの椅子と
ご本人にお目に掛かるため銀座へ出掛けた。

ペーパーで木を擦らない生命感は、
いつか見かけた野生の鹿の輝きを彷彿させた。

腰のラインにピタッと納まる心地よさと手触り。

三次元ルーターでは出せない何かが伝わってくる。

人の心を打つ技術力を支える道具は、
見たことのない指先に収まる自作の鉋台に、
光り輝く玉鋼の刃で、

tucasa_homes_ 052_R.JPG自然と神聖なモノを扱うように
握らせてもらった。

火山によって地表に噴出した
花崗岩の風化による砂鉄を

粘土の炉で還元するたたらという
原始的な方法で鉄を取り出すらしい。

工業製品に囲まれた現代にあって、
人の手で作る意味を共感でき、

良き精神性に触れると
何も要らない幸福感に包まれる。

tucasa_homes_ 061_R.JPG人の住む環境が自然を覆い隠して、
新建材に囲まれてしまったら、
我々の想像力や感性は鈍るばかりだ。

人間は自然から遠ざかると病的になる。

僕が独立した2000年以前から人々は、
便利・快適を追求してイライラしていたけれど、

今や、AIやロボットに
人間の営みの一部を担わせようとしている。

日々の暮らしを支える住処や家具や料理は、
人の手で作ることが肝心だし、手掛ける醍醐味は失くしたくない。

取り分け、場というものが重要だと思うのだけれど。。。

人を癒し英気を養うのは、自然の生命力しかないのだから、
大地の樹木のような建築をこれからも肌感覚で作っていこうと思う。


司建築工房

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posted by Koji at 23:42 | TrackBack(0) | 交流

2017年10月28日

スポットライトを浴びて

豊川童謡祭りにて、合唱団の方から
低音の響きがほしいとお声を掛けて下さり、

豊川市文化会館大ホールで
チェロを演奏する機会に恵まれました。

tucasa_toyokawa_ 0041_R.JPGスポットライトを浴びて、舞台の上で弾く
貴重な経験をさせて頂きました。

集中して楽しく弾いて、
ひとつの音楽を作るひと時は、
かけがえのない想い出となりました。

終わってから、指揮者の方や団員の方々、主催者の理事長からも
良かったとお言葉を賜り、何よりの幸せでございます。

関係者の皆様に感謝申し上げます。

司建築工房

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2017年10月22日

ヴェネツィアでスカルパ建築を堪能

今回写真集で見てきたクェリーニ・スタンパーリアと
オリヴェッティ・ショールームをじっくり観ることができました。

tucasa_venezia_ 2171_R.JPGこんなところまでこんなデザインがされている
という連続で、
なかなか先に進めなかったんだけど、

移動するごとに展開していく
景色の空間構成を自らの美意識で、

素材を加工した幾何学的なパーツと
テクスチャーで組み合わせ、ディテール、
納まりを職人に伝えるための図面や

現場につきっきりで職人に伝えた仕事に想いを馳せ、
その妥協なき情熱に敬意を抱く。

tucasa_venezia_ 2249_R.JPGこれだけ意匠の連続する空間なのに
ずっと居られるのは、
茶室や茶庭と通ずるものがある。

料理を作る前に必要な食材を並べると
豊かな気持ちになるように
建築の素材たちがいい表情を見せている。

イタリア磨きや大理石の模様、
コンクリートのジャンカや骨材の質感、
真鍮のムラ、タイルの光沢、

抑制の利いた色彩と素材の厚み、
余白の美(間)と緻密な意匠が合わさって、
絶妙な緊張感を作っているのを感じました。

きっと数奇屋建築の棟梁や庭師が現場で
微妙な配置や材料寸法の決定の積み重ねの上に
総合的な調和を見出していくのと同じだろうと想像する。

tucasa_venezia_ 2980_R.JPG日本語で数寄という言葉が近いだろうか、
多様な文化の理解と

独自の視点で導かれた創造性、作風は
スカルパの好み、世界感の発露だろう。


これだけの設計を創造できるスカルパは
やはり凄い方です。

ライトの建築を観た後に感じたのと同様、
視覚的構成感覚としての日本美術の卓越性を見直したのでした。

司建築工房

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2017年10月15日

チョイ住み in Venezia 5

tucasa_venezia_ 1790_R.JPGある日、幾つかの小運河が交わる橋の上から
飽きることのない景色をながめていたら、

ゴンドラがやってきて、男性のバンドネオンに、
女性歌手の歌を聴けて、
特別な気持ちになったりする。

様々な方向の外壁面と水面が
反響効果を増すのだろう。

街で聞くおじさんの会話さえオペラのようだ。
まさに街自体が劇場のようです。

tucasa_venezia_ 2423_R.JPG夕暮れのひと時は
ひときわロマンティックなんだけれど、

たまにはマオカラーのカラヤンスーツを着て、
フェニーチェ劇場へ。

ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」。
このフェニーチェ劇場で初演された演目だ。

tucasa_venezia_ 1884_R.JPGかつての貴族たちが埋めた
ボックス席からの観劇は貴重な体験でした。

観客も装飾もすべてが芸術の一部であり、
劇場の箱も音楽の一部で、
いかに場というものが大事かを痛感しました。

ベルリオーズは、オペラは総合芸術だと言った。

日本にはこういったオペラ専用の劇場がないことを残念に思う。

その点歌舞伎は専用の劇場があるから
地方(じかた)さん、舞台芸術含めて、日本の総合芸術だ。

そしてお茶事こそ日本の総合芸術です。

ある夜、教会でヴィヴァルディの「四季」を聴く機会に恵まれました。
ヴィヴァルディが育った街で聴くことは感慨も一入だ。

イタリア人による質の高い演奏を間近で聴けて、
教会に響く生の音は最高でした。

古楽器の弓で弾いてましたが、
バロックは教会で聴くように作られていると感じました。

その土地特有の街の空気感から様々な芸術が生まれる。

ヴィヴェルディの「霊感の調和」などは海のヴェネツィアの
自然の呼吸、街並みのリズムや華麗な輝きを感じる。

「四季」は海のヴェネツィアではなくて
本土の陸地で繰り広げられる四季の表現なのではないだろうか。

海の都に暮らすからこそ、
本土にある大自然というものに対する憧れを
表現したのではと勝手に推測してみる。

tucasa_venezia_ 2729_R.JPGこの街では演奏会に船で出掛け、船で帰る。

夜の大運河沿いの建物の部屋には
明かりが灯っていて、
優雅な雰囲気を伝えてくれる。

この街で生まれ育った建築家スカルパの
この街でのレスタウロを肌で空間体験できたことは、
かけがえのない学びになったのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月14日

チョイ住み in Venezia 4

古代ローマ人は、公衆浴場に広い中庭を造り、
そこで子供たちも遊び、野戦病院でさえ中庭があり、
噴水や樹木、草花で満たされていた。

地中海世界では古代から中庭が一貫して使われてきた。

建物がぎっしり並んでいる通りからは想像もできない
地上の楽園のような空間だ。

tucasa_venezia_1784_R.JPG知的好奇心とロマンに溢れた商人たちは、
地中海世界の中庭に感動したに違いない。

ヴェネツィアの住宅は、
通路から一歩中へ入れば私的空間で、

中庭を取り込みながら、
徹底して快適性と独立性を確保している。

複数の家族が一つの建物に住んでいても
それぞれの中庭と階段を持ち、お互い顔を合わせることなく
プライバシーが守られるように巧みに作られている。

敷地の周辺環境を捉え、住む人の心理を考えた
見事な内部構成力は、良き刺激を頂きました。

古代ギリシャの広場アゴラやポンペイにも
列柱で囲われた中庭があったという記録が残っているけれど、

古代ローマの遺跡が残るお膝元のローマでさえ
廊空間によって囲まれた広場が作られるのは、
ルネサンス以降だったことはフィレンツェのところで書いた。

tucasa_venezia_ 3033_R.JPG連続したアーチのポルティコで囲まれた
サン・マルコ広場は、

サン・マルコ寺院がほぼ現在の姿になった
12世紀まで遡れるという。

中世のイスラム都市ではすでに
アーチのある回廊状の広場が
存在していたと思われる。

ヴェネツィア人は、サン・マルコ寺院の建立に着手した時から
憧れのビザンチン帝国の東方趣味を変えていない。

tucasa_venezia_ 1981_R.JPGサン・マルコ寺院の
床の幾何学模様のモザイクには、

ビザンチンの知力の高さに
度肝を抜かれました。


明治の日本にジョサイア・コンドルが招かれたように、
ギリシャ人技師がビザンチン様式の教会建築を指導し、
その後の住宅建築にもオリエントの影響を色濃く残すことになる。

tucasa_venezia_ 2145_R.JPG三列構成プランのヴェネツィアンゴシックが
街の独自のスタイルとして完成して、それは
ルネサンス、バロックにおいても踏襲された。

ルネサンス以降、建築家が
個性的な作風を競い合っていた時代でも

基本的には景観の変化に対して
慎重な考え方を持っていたから
この独特の中世的都市空間が守られてきたのだ。

日本では歴史的建造物を壊して、
小さな新築が建ち並ぶ風景に一変させてしまったけれど、

貴族の邸宅も庶民の家も、近代になって用途が変わり、
細分化されて使われていても、街の風景は持続させるのでした。

つづく。

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2017年10月13日

チョイ住み in Venezia 3

tucasa_venezia_ 2156_R.JPGヴェネツィアの街は一つの地面から周辺に
連続して拡がったのではなくて、

地面と地面の隙間を埋めながら
街を作っていったらしい。

ただでさえ少ない貴重な地面に
住居は密集してくるんだけど、
それを補うように公の広場と教会の用地を残した。

こうして70以上の広場と教区教会堂を中心とした
居住区が島のように散らばっていったのだ。

家から狭い迷路を歩き、
明るい広場に出た時の解放感は、想像に難くない。

わざと広場に出る前で、ソットポルティゴを潜らせて、
より解放感を劇的なものにする演出もする。

密集した街に暮らしていても、広場があれば
天気のいい日は大広間のように寛げる。

広場の形も様々で、運河の潮の流れに従った
壁面線が描くラインは、人工的とは真逆で肌に馴染む。

tucasa_venezia_ 2404_R.JPG広場は、相互扶助の精神を育む、
運命共同体の縮図とも言うべき場所だ。

ヴェネツィアでは私より
公を優先してきたことは、
歴史が物語っている。

まだ外交官という概念がない時代から、
各国に大使を派遣して、商人にも報告する義務を課して、
最新の情報を集めることに重きを置いた。

一人の英雄、絶対君主を作らない制度と気風を徹底し、
皇帝でさえカノッサの屈辱がある時代、

どの権力にも属さず、神の代理人という名の
ローマ法王庁という従うべき権威にも

国益を損なうような命令や圧力には従わない、
政教分離のバランス感覚を備えていた。

tucasa_venezia_ 2329_R.JPG塩と魚介類くらいしか資源のない
干潟に作られたちっぽけな島が、

独立国家として生き延びるための覚悟を
街並みにも感じたのでした。

ヴェネツィア共和国の1100年間、
武力ではなく、人間力のもてなしによって、
街の魅力の虜にさせる平和外交をしてきた。

日本も欧米にはない誇れる日本文化を認識して、
おもてなしや粋に暮らす精神性の高い国民として
平和外交をもっと努力するべきではないだろうか。

つづく。

司建築工房

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2017年10月12日

チョイ住み in Venezia 2

滞在する住居は、路地からアプローチして
2階部分の小運河に面した素敵な部屋で、
窓からの景色は、歴史ある街に住んでいるという充実感がある。

tucasa_venezia_ 1997_R.JPGこの小運河沿いの路地から
職人さんが船で資材を搬入し、

夕方近所の親子が、
ここから船に乗り込んで出掛ける。

路地は小運河の対岸の景色を楽しむ
ビュースポットにもなる。

この小運河にこそ海の都ヴェネツィアの
日常的な素顔がある。

家には生活するのに必要なものはすべて揃っていて、
イタリアでは一家に一台あるという

直火式マキネッタもあるから、
毎日クレマのあるエスプレッソを嗜んだ。

13世紀頃アラブで飲まれていた珈琲を
最初にヨーロッパに持ち込んだのは、ヴェネツィア人だ。

近くの生協で食材を買い出しして、
家で食事をするのは寛げていい。

tucasa_venezia_ 1758_R.JPG滑車の付いた物干しから洗濯物を取り込んでいると、
ゴンドラに乗ったカップルとゴンドリエーレが
声を掛けてくれた。

朝と夕方には近くの教会の鐘の音が聴こえて、
向かいの煉瓦の塀やリオの木杭の上で
鳥が謳っている光景にも出会える。

ローマやフィレンツェの旧市街地では
車が走っていて、歩行は気を遣ったし、
騒音は街の営みの一部としてあったけれど、

ヴェネツィアでは道幅がヒューマンスケールで、
車がいっさいなく、全ての通りがまさに歩行者天国だから

車の騒音や排気ガスから解放されて、
安心して街歩きが堪能できる。

車社会の騒音がないサウンドスケープは、
人が癒される特別な街なのだ。

tucasa_venezia_ 2516_R.JPG中世の街並みの中で最も地中海的な
迷宮性を帯びたヴェネツィアの街は、
建築的手法に溢れている。

建物が両側から迫り、
狭い路地を折れ曲がりながら進み、
天井の低いソットポルティコを潜るから、

小運河に架かる橋の上が、
解放感に浸るホッとする場所になる。

tucasa_venezia_ 2661_R.JPGこうした歩く人の気持ちを考えて、
可能な限り橋の幅を広くしている。

対岸どうしの路地が
正面に重なるとは限らないから、

斜めに橋が架かり、
これがまた変化に富んだ風景を作っている。

建物を壊してまでまっすぐ通すようなことは考えない。
古い街並みを活かしながら豊かな空間を繋げていく。

迷路を歩く人の目線を考えて、
目線の先の様々な意匠で閉塞感を和らげ、
歩く楽しみに一役買っている。

tucasa_venezia_ 2390_R.JPG路地と小運河の織り成す
周辺の環境と上手く対話して、

歩くごとに見え方が変わり、
見え方の数だけ絵になる景色を作っているのだ。

こういう街並みで育ったからこその、
スカルパの空間構成や
人の目線を利用した意匠が腑に落ちる。

もっとも日本人の茶庭などはもっと繊細で。。。

敷石のリズムをわざと崩して、
緊張感と共に足元に目線を誘導して、

足元が安定した石に来た時、顔を上げると
ハッと息を呑む景色を見せるような。。。

この街並みは、通商で培われた、
人の心理を読むことに長けたヴェネツィア人の
知力の結集だと感じたのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月11日

チョイ住み in Venezia 1

フィレンツェから電車でヴェネツィアへ。
通い慣れたボローニャを過ぎると、
広い平原の景色が続く。

tucasa_venezia_ 1679_R.JPG電車が海を渡り始め、
海の中にオレンジ色の島が見えてくると、

「旅情」のキャサリン・ヘップバーンほどは
大人げなくはなかったけれど、


隣のゲイカップルの見つめ合う笑みの狭間で
窓の景色にテンションは急上昇した。

サンタ・ルチア駅を降りると、
運河が目に飛び込んでくる配置には感動しました。

tucasa_venezia_ 1680_R.JPGたいがい大地の中に川があるのだけれど、
海の中に陸地がある!

はるか昔の先人たちが、
干潟に築いた海の都。

紀元前の古代ローマ人がすでに、
川に橋脚を造り橋を建設していた

ハードなインフラ技術を持っていたことは
知られているけれど、

海水を塞き止めなければならないラグーナの土木工事は、
陸地とは比較にならないほど
高度な技術を要し、難工事だったはずだ。

想像が尽きない先人たちの苦労の上に、
僕らは特別な感動を味わえることを忘れてはならない。

すぐ目の前がヴァポレット乗り場だ。
とりあえず72時間券を買い、非日常生活が始まる。

tucasa_venezia_ 1702_R.JPG最寄りの乗船口で降りるつもりが、
リアルトまで停まらない船だったんだけど、

心地よい風を感じながら、ゆっくり
大運河沿いのオリエントの文化が融合した

エキゾティックな建物を眺める感動は
少年のようだったと思う。w

船でアプローチする玄関やロッジアの
開放的な連続アーチが水の中から建ち上がる都市風景は、
僕の心をわしづかみにした。

東方貿易時代にビザンチンの影響を受けた13世紀ゴシックから
古典主義のルネサンスや陰影のある優美なバロックまで、
窓の表情の華麗なる饗宴が目の前で展開される。

これらが当時のまま海の上に、今だに建っている!
カラマツの木杭と板が
今だに地面と建物を支えているのだ。

肌で街並みを体験して感じることができるって、
なんて贅沢だろう。

かつてのヴェネツィア商人は交易に生き、
オリエント文化を吸収して、
多様性という価値を見出した。

イタリアの他の中世の街並みが、敵の侵入を防ぐ城壁で囲われ、
ファサードが閉鎖的で素朴な時代に、

アーチや円や花模様の開放的でエレガントな窓のデザインは、
当時訪れた人々にとってもかなりの衝撃だったに違いない。

しかも水辺と戯れる風景だ。
と言うより、海に囲まれているからそれができた。

弱みを強みに変える!逆転の発想が
ヴェネツィアにはある。

tucasa_venezia_ 1725_R.JPG同じように、9世紀頃の
ビザンチン帝国勢力圏内で交易をしていた、

聖マルコの遺骨を盗み出した
二人のヴェネツィア商人も

ビザンチンの文化水準の高さに
驚嘆したに違いない。

教会建築は大運河に正面を向けていて、
東西軸より街並みを優先させている。

tucasa_venezia_ 1732_R.JPG滞在先までおおよその地図を頼りに通りを歩くと、
小運河を渡る橋の裏側に、水面にバウンドした光が
キラキラ揺れていて、見とれてしまいました。

ヴェネツィアで生まれヴェネトで活躍した建築家、
スカルパの原風景だろう。

橋の上から眺める両側の小運河沿に、
水の中から建ち上がるそれぞれの風景は、
見ていて飽きない。

tucasa_venezia_ 1735_R.JPG一見袋小路の行き止まりのように見えて、
進んでいくと、横に通路が繋がっている。
地図以上に実際はまさに迷路だ。

距離はそんなに遠くないはずなのに、
案外時間を喰ってしまったんだけど、

もう既にこの迷宮のような街歩きに
ワクワク感が止まらなかった。

つづく。

司建築工房

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2017年10月10日

ボローニャの休日 2

学都としての名声と経済効果がもたらされた12世紀頃、
ポー川からレノ運河が造られ、
水運の面では恵まれてなかったボローニャに水が引かれた。

tucasa_bologna_ 1651_R.JPG市街地の地下に大小の運河を張り巡らし、
地下に木製の紡績機を設置して、

引込んだ水力エネルギーで水車を廻して、
15世紀頃には絹織物の

一大産地になっていた歴史は
意外と知られていない。

運河はヴェネツィアまで及び、絹織物の他製粉など
水路を使って流通し、ヴェネツィアからは塩などを持ち帰った。

現在でも街の中で運河を確認できるところがありました。

第二次大戦時ボローニャは戦場となり、
かなりの空爆を受けていることは日本と同じだけれど、

今だに中世の街並みを継承しつつ、保たれていることは
歴史的建造物に対する考え方が違った。

日本は明治維新で一度、
街並みごと自分たちの文化を否定してしまった。

文化とは、人々の長い暮らしの中で育まれた
心と形の伝承だと思うんだけれど、

戦後アメリカ型の大量生産、大量消費時代の中、
日本の住宅はプレハブメーカーによって商品になり、
全く新しい工業製品の街並みに変わった。

近代化への憧れは、歴史に無頓着な進歩主義と
本物の持つ豊かさへの無知によって盲目的に破壊していった。

ボローニャの人々は、「新しい社会のための古い街」という、
住人たちの様々な営みによる人間的魅力に溢れた
歴史地区の庶民住宅を保存修復することを選んだ。

tucasa_bologna_ 1649_R.JPG市民にとっての住みやすい
都市環境の保全を目的として、

類型学を参考に歴史的街並みを再生させ、
内部は必要な用途に改造して、
近代設備を導入し、新しい機能を生み出した。

これらには自治体や庶民住宅局と州が
財政負担をし、借家人や家主の権利の保護に当て、

膨大な額の民間投資が行われ、
民間主導で一戸一戸の修復事業をやった。

文化財建築から手掛けるのではなく、
観光化は全くされていない。

tucasa_bologna_ 1521_R.JPGイタリアの都市が自治権を獲得してゆく時代、
コムーネが司教に変わって
世俗権力を掌握してゆく頃には

100近くの塔が
この街に林立してしたらしいんだけど、
今では2つの斜塔が持ち堪えている。

tucasa_bologna_ 1514_R.JPG
一つのまとまった建物ごとに
それぞれ特徴のあるポルティコが連続し、
地元の土の色、

ビザンチンやイスラム文化の影響も見られて、
都市ごとに個性のある街並みを擁するイタリアは、
興味が尽きません。

ネプチューンの噴水は修復中で、
女神の乳房から水が出るのは
見られなかったけれど、

一日中街を歩いて色んなポルティコを楽しみ、
旅の疲れか、ロマネスクの素朴な
クローチェフィッソ教会の礼拝席で

tucasa_bologna_ 1578_R.JPG美しい賛美歌に眠りを誘われ、
サン・ドメニコ教会の後陣を囲う回廊の中庭に心を洗われました。

様々な職人工房の文化と感性が息づく街。


お気に入りの、古代ローマ時代から2000年続く
マジョーレ広場前のポルティコで、
職人の生きざまや哲学に希望を抱きつつ、

ナチスドイツとファシストの連合勢力を
街から追い出したレジスタンスの
住民自治を慈しむのでした。

司建築工房

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2017年10月09日

ボローニャの休日 1

フィレンツェから電車でボローニャへお出掛け。

ボローニャと云えば、ポルティコ(柱廊)の街。
歴史的市街地は都市廊とも言えるほど、
街中を雨の日も真夏の日差しも避けて歩けそうだ。

tucasa_bologna_ 1553_R.JPGその特徴ある街並みは、
12世紀頃まで遡れるらしい。

それはボローニャが法学を学ぶ都市として
存在感を増していく時期と重なる。

その後の都市としての発展は、イルネリウスが
ローマ法全体の注釈を行ったことから始まった、
と云っても過言ではない。

その頃アルプス以北の街では、
文字の読み書きができたのは聖職者で、

教会付属の学校か修道院でしか学べなかったのに対して、
イルネリウスが教養学などの私塾の教師だったように
一般の学識者が専門性を活かせる活動の場があり、

また法学のような高度な学問を修める場が
一般人にも広く開かれていた。

tucasa_bologna_ 1528_R.JPG文書作成法が発達したことで知られるボローニャは、
高い文化を誇るビザンチン帝国の玄関口であり、

ローマ皇帝とローマ教皇の勢力の狭間にあって、
比較的自由な街であり、

ローマ時代からの交通の要所であったために
多くの学生が東西2キロの城壁に囲まれたこの街に押し掛けた。

教師の家に下宿できるのは、最初のうちで、
膨れ上がる数の学生を収容する部屋が必要になる。

tucasa_bologna_ 1558_R.JPGこの頃の建物は木造で、ボローニャでは、
建物の基礎にも木材が使われていたんだけど、

街路に建物が連なる状態では、
道路の上に張り出さざるを得なかった。

こうして木材で支えた
ポルティコの街並みが形成された。

外来の学生が多く住むようになると、
暴力行為や家賃、書籍等様々な問題が生じ、
教師の私塾の枠を超えて、同郷で団結する必要性が出てきた。

それが学生団体ユニヴェルシタスであり、
その後のボローニャ市からも教皇からも公認された
学生主体のボローニャ大学で、

司教座教会付属の大学である
パリ大学とは性格を異にする。

校舎ができるのは16世紀ですが、
ヴェネツィアのサン・マルコ広場を囲む建物のように
2層に開放的なアーチが連なる。

他の都市のシンボルは司教座教会であるけれど、
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院がドージェの礼拝堂であるのと、

tucasa_bologna_ 1459_R.JPGボローニャの中心マッジョーレ広場に建つ
サン・ペトロニオ聖堂は、

教皇権に対抗して市民が建設した
市民の聖堂だ。

ちなみに世界一の教会として
着手したんだけど、

ローマ教皇がサン・ピエトロ大聖堂よりも
大きな教会を許さず、建設資金を打ち切って、
今尚未完のままだ。

でも僕には市民の方々の
精神的な誇りを感じる景色に思えるのでした。

つづく。

司建築工房

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