2017年02月26日

坪庭のメンテナンス

先日友人の庭師と坪庭のメンテナンスに伺った。

独立当初から僕の庭や外構工事はすべて彼の手掛けたもので、
僕は彼の庭が好きだし、一緒に仕事していて楽しい。

西欧の回廊から眺める中庭や
石の舗装と石の外壁で囲まれた広場の景観に感動するけれど、

日本には京都の中庭をはじめ大徳寺孤蓬庵忘筌、
築地塀で囲まれた竜安寺の石庭など

日本の先人たちは、内にいながら外部の自然との連帯感、
内から外部を眺める景観を重要視してきた。

ここは華道家のための外部空間に花を飾るための庭だ。

tsuboniwa_R.JPG三角形で囲まれた空間で思い出すのは、
イタリアのサンジミニャーノに
井戸を囲んだ広場があるんだけど、

ここでは三角形の庭に
花を飾るための台となる石を置き、

統一した素材の壁で囲うのではなく、
竹と杉皮で陰陽を表現し、立体感を

地面には起伏を造り、曲線を描いて、
狭い空間に奥行と広がりを出している。

地苔が自生して、緑が人の心を和ませ憩いを与える。

先日の積雪で銀世界の庭が美しかったそうだ。
これから芽吹いて樹々が青々と茂り木陰を作って、

秋には葉っぱが色付き、
四季折々の景色を楽しませてくれることだろう。

昨今の我が国の外部空間は、化学建材やフェイク材料が氾濫し、
無神経な野点看板など自然の景観に異質なカオスを形成している。

美しい歴史的な街並みを形成しているところは、
それぞれの土地固有の自然素材と、気候風土に適した工法で造られ、
特有の色彩と味わいがあるものだ。

高温多湿の日本での自然素材は、
古美て朽ちていくのが自然で、移ろうものなのだ。

自分たちの大切な領域を愛着を持って手を掛け続ける作法と
精神哲学は失ってはならない。

建築や庭は技術を越えた文化の表現なのである。


司建築工房

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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活



posted by Koji at 20:46 | TrackBack(0) | 現場

2017年02月14日

厳寒の候を楽しむ

家事というものは行く河の流れのごとく
絶え間なく続き、渋滞氾濫を招かないように
片付けることが日々の生活というものだ。

そして衣食住には自分の流儀があり、
毎日を綺麗に暮らす。

おしゃれはこういうところから生まれてくる。

ひとはどんな境遇にあっても文化を求め、
一時でもいいからのびやかな時間を持ちたいものだ。

袴というものは年に何度も着るものではないけれど、
必要な時にさっと袴を着られるようになってきた。

礼装である羽織を羽織って、
桂春団治が羽織紐をすっと解き、袖口をつまんで
はらっと脱ぐしぐさをマネる。

再び羽織紐を結んで、踵を出して草履で帰る楽しさ。

僕の日々の根っこになっている楽しみがある。
それは季節感を味わうお茶事である。

初釜では正客を務めさせて頂いて、
年に一度の縁高重の扱いもようやく覚えた。

亭主直々のお点前によるお濃茶の絶妙な湯相の
お服加減、亭主のおもてなしの貴いお心と格別の福引は、
僕の日々の暮らしに平穏をもたらしてくれている。

早いもので如月。
語源は寒さで着物を更に重ねて着ることから
着更着だとか。

厳寒の候、お茶の冷めにくい筒茶碗にての一服、
真形(シンナリ)釜のお茶事でした。

名古屋の釜師、十一代加藤忠三朗さんの紅い真形釜と
本人直筆のお掛け軸の取り合わせ。

お茶事を催すには一通りのお道具がなくてはやれないけれど、
お釜がなくては話にならない。

季節ごとに拝見に出されるお道具が脚光を浴びるけど、
お釜はお客のお迎えからお見送りまで、実はお茶事を支える
根っこのような存在だ。

お釜はお茶の魂である。

ちなみに僕のおふくろの故郷、福岡県遠賀郡芦屋町は
真形釜の名作が多く残り、釜師や鋳物師が古くから活躍していた。

凛とした空気の茶室で、湯の沸く松風の音色。
お片付けに水指から水を掬って注ぐ水の音は
なんとも風情である。

奇しくもバレンタインデーの日に当たり、
亭主がこの日限定のチョコレートを使った和菓子を
お取り寄せ下さり、

バレンタインのお茶事さながらの趣向も加えられ、
桜色のお着物で春の兆しをおもてなしされる。

茶巾等筒茶碗のお点前は、
絶妙な湯相のほっこりする一服なのでした。


司建築工房

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posted by Koji at 20:00 | TrackBack(0) | お茶