2017年10月28日

スポットライトを浴びて

豊川童謡祭りにて、合唱団の方から
低音の響きがほしいとお声を掛けて下さり、

豊川市文化会館大ホールで
チェロを演奏する機会に恵まれました。

tucasa_toyokawa_ 0041_R.JPGスポットライトを浴びて、舞台の上で弾く
貴重な経験をさせて頂きました。

集中して楽しく弾いて、
ひとつの音楽を作るひと時は、
かけがえのない想い出となりました。

終わってから、指揮者の方や団員の方々、主催者の理事長からも
良かったとお言葉を賜り、何よりの幸せでございます。

関係者の皆様に感謝申し上げます。

司建築工房

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2017年10月22日

ヴェネツィアでスカルパ建築を堪能

今回写真集で見てきたクェリーニ・スタンパーリアと
オリヴェッティ・ショールームをじっくり観ることができました。

tucasa_venezia_ 2171_R.JPGこんなところまでこんなデザインがされている
という連続で、
なかなか先に進めなかったんだけど、

移動するごとに展開していく
景色の空間構成を自らの美意識で、

素材を加工した幾何学的なパーツと
テクスチャーで組み合わせ、ディテール、
納まりを職人に伝えるための図面や

現場につきっきりで職人に伝えた仕事に想いを馳せ、
その妥協なき情熱に敬意を抱く。

tucasa_venezia_ 2249_R.JPGこれだけ意匠の連続する空間なのに
ずっと居られるのは、
茶室や茶庭と通ずるものがある。

料理を作る前に必要な食材を並べると
豊かな気持ちになるように
建築の素材たちがいい表情を見せている。

イタリア磨きや大理石の模様、
コンクリートのジャンカや骨材の質感、
真鍮のムラ、タイルの光沢、

抑制の利いた色彩と素材の厚み、
余白の美(間)と緻密な意匠が合わさって、
絶妙な緊張感を作っているのを感じました。

きっと数奇屋建築の棟梁や庭師が現場で
微妙な配置や材料寸法の決定の積み重ねの上に
総合的な調和を見出していくのと同じだろうと想像する。

tucasa_venezia_ 2980_R.JPG日本語で数寄という言葉が近いだろうか、
多様な文化の理解と

独自の視点で導かれた創造性、作風は
スカルパの好み、世界感の発露だろう。


これだけの設計を創造できるスカルパは
やはり凄い方です。

ライトの建築を観た後に感じたのと同様、
視覚的構成感覚としての日本美術の卓越性を見直したのでした。

司建築工房

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2017年10月15日

チョイ住み in Venezia 5

tucasa_venezia_ 1790_R.JPGある日、幾つかの小運河が交わる橋の上から
飽きることのない景色をながめていたら、

ゴンドラがやってきて、男性のバンドネオンに、
女性歌手の歌を聴けて、
特別な気持ちになったりする。

様々な方向の外壁面と水面が
反響効果を増すのだろう。

街で聞くおじさんの会話さえオペラのようだ。
まさに街自体が劇場のようです。

tucasa_venezia_ 2423_R.JPG夕暮れのひと時は
ひときわロマンティックなんだけれど、

たまにはマオカラーのカラヤンスーツを着て、
フェニーチェ劇場へ。

ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」。
このフェニーチェ劇場で初演された演目だ。

tucasa_venezia_ 1884_R.JPGかつての貴族たちが埋めた
ボックス席からの観劇は貴重な体験でした。

観客も装飾もすべてが芸術の一部であり、
劇場の箱も音楽の一部で、
いかに場というものが大事かを痛感しました。

ベルリオーズは、オペラは総合芸術だと言った。

日本にはこういったオペラ専用の劇場がないことを残念に思う。

その点歌舞伎は専用の劇場があるから
地方(じかた)さん、舞台芸術含めて、日本の総合芸術だ。

そしてお茶事こそ日本の総合芸術です。

ある夜、教会でヴィヴァルディの「四季」を聴く機会に恵まれました。
ヴィヴァルディが育った街で聴くことは感慨も一入だ。

イタリア人による質の高い演奏を間近で聴けて、
教会に響く生の音は最高でした。

古楽器の弓で弾いてましたが、
バロックは教会で聴くように作られていると感じました。

その土地特有の街の空気感から様々な芸術が生まれる。

ヴィヴェルディの「霊感の調和」などは海のヴェネツィアの
自然の呼吸、街並みのリズムや華麗な輝きを感じる。

「四季」は海のヴェネツィアではなくて
本土の陸地で繰り広げられる四季の表現なのではないだろうか。

海の都に暮らすからこそ、
本土にある大自然というものに対する憧れを
表現したのではと勝手に推測してみる。

tucasa_venezia_ 2729_R.JPGこの街では演奏会に船で出掛け、船で帰る。

夜の大運河沿いの建物の部屋には
明かりが灯っていて、
優雅な雰囲気を伝えてくれる。

この街で生まれ育った建築家スカルパの
この街でのレスタウロを肌で空間体験できたことは、
かけがえのない学びになったのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月14日

チョイ住み in Venezia 4

古代ローマ人は、公衆浴場に広い中庭を造り、
そこで子供たちも遊び、野戦病院でさえ中庭があり、
噴水や樹木、草花で満たされていた。

地中海世界では古代から中庭が一貫して使われてきた。

建物がぎっしり並んでいる通りからは想像もできない
地上の楽園のような空間だ。

tucasa_venezia_1784_R.JPG知的好奇心とロマンに溢れた商人たちは、
地中海世界の中庭に感動したに違いない。

ヴェネツィアの住宅は、
通路から一歩中へ入れば私的空間で、

中庭を取り込みながら、
徹底して快適性と独立性を確保している。

複数の家族が一つの建物に住んでいても
それぞれの中庭と階段を持ち、お互い顔を合わせることなく
プライバシーが守られるように巧みに作られている。

敷地の周辺環境を捉え、住む人の心理を考えた
見事な内部構成力は、良き刺激を頂きました。

古代ギリシャの広場アゴラやポンペイにも
列柱で囲われた中庭があったという記録が残っているけれど、

古代ローマの遺跡が残るお膝元のローマでさえ
廊空間によって囲まれた広場が作られるのは、
ルネサンス以降だったことはフィレンツェのところで書いた。

tucasa_venezia_ 3033_R.JPG連続したアーチのポルティコで囲まれた
サン・マルコ広場は、

サン・マルコ寺院がほぼ現在の姿になった
12世紀まで遡れるという。

中世のイスラム都市ではすでに
アーチのある回廊状の広場が
存在していたと思われる。

ヴェネツィア人は、サン・マルコ寺院の建立に着手した時から
憧れのビザンチン帝国の東方趣味を変えていない。

tucasa_venezia_ 1981_R.JPGサン・マルコ寺院の
床の幾何学模様のモザイクには、

ビザンチンの知力の高さに
度肝を抜かれました。


明治の日本にジョサイア・コンドルが招かれたように、
ギリシャ人技師がビザンチン様式の教会建築を指導し、
その後の住宅建築にもオリエントの影響を色濃く残すことになる。

tucasa_venezia_ 2145_R.JPG三列構成プランのヴェネツィアンゴシックが
街の独自のスタイルとして完成して、それは
ルネサンス、バロックにおいても踏襲された。

ルネサンス以降、建築家が
個性的な作風を競い合っていた時代でも

基本的には景観の変化に対して
慎重な考え方を持っていたから
この独特の中世的都市空間が守られてきたのだ。

日本では歴史的建造物を壊して、
小さな新築が建ち並ぶ風景に一変させてしまったけれど、

貴族の邸宅も庶民の家も、近代になって用途が変わり、
細分化されて使われていても、街の風景は持続させるのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月13日

チョイ住み in Venezia 3

tucasa_venezia_ 2156_R.JPGヴェネツィアの街は一つの地面から周辺に
連続して拡がったのではなくて、

地面と地面の隙間を埋めながら
街を作っていったらしい。

ただでさえ少ない貴重な地面に
住居は密集してくるんだけど、
それを補うように公の広場と教会の用地を残した。

こうして70以上の広場と教区教会堂を中心とした
居住区が島のように散らばっていったのだ。

家から狭い迷路を歩き、
明るい広場に出た時の解放感は、想像に難くない。

わざと広場に出る前で、ソットポルティゴを潜らせて、
より解放感を劇的なものにする演出もする。

密集した街に暮らしていても、広場があれば
天気のいい日は大広間のように寛げる。

広場の形も様々で、運河の潮の流れに従った
壁面線が描くラインは、人工的とは真逆で肌に馴染む。

tucasa_venezia_ 2404_R.JPG広場は、相互扶助の精神を育む、
運命共同体の縮図とも言うべき場所だ。

ヴェネツィアでは私より
公を優先してきたことは、
歴史が物語っている。

まだ外交官という概念がない時代から、
各国に大使を派遣して、商人にも報告する義務を課して、
最新の情報を集めることに重きを置いた。

一人の英雄、絶対君主を作らない制度と気風を徹底し、
皇帝でさえカノッサの屈辱がある時代、

どの権力にも属さず、神の代理人という名の
ローマ法王庁という従うべき権威にも

国益を損なうような命令や圧力には従わない、
政教分離のバランス感覚を備えていた。

tucasa_venezia_ 2329_R.JPG塩と魚介類くらいしか資源のない
干潟に作られたちっぽけな島が、

独立国家として生き延びるための覚悟を
街並みにも感じたのでした。

ヴェネツィア共和国の1100年間、
武力ではなく、人間力のもてなしによって、
街の魅力の虜にさせる平和外交をしてきた。

日本も欧米にはない誇れる日本文化を認識して、
おもてなしや粋に暮らす精神性の高い国民として
平和外交をもっと努力するべきではないだろうか。

つづく。

司建築工房

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2017年10月12日

チョイ住み in Venezia 2

滞在する住居は、路地からアプローチして
2階部分の小運河に面した素敵な部屋で、
窓からの景色は、歴史ある街に住んでいるという充実感がある。

tucasa_venezia_ 1997_R.JPGこの小運河沿いの路地から
職人さんが船で資材を搬入し、

夕方近所の親子が、
ここから船に乗り込んで出掛ける。

路地は小運河の対岸の景色を楽しむ
ビュースポットにもなる。

この小運河にこそ海の都ヴェネツィアの
日常的な素顔がある。

家には生活するのに必要なものはすべて揃っていて、
イタリアでは一家に一台あるという

直火式マキネッタもあるから、
毎日クレマのあるエスプレッソを嗜んだ。

13世紀頃アラブで飲まれていた珈琲を
最初にヨーロッパに持ち込んだのは、ヴェネツィア人だ。

近くの生協で食材を買い出しして、
家で食事をするのは寛げていい。

tucasa_venezia_ 1758_R.JPG滑車の付いた物干しから洗濯物を取り込んでいると、
ゴンドラに乗ったカップルとゴンドリエーレが
声を掛けてくれた。

朝と夕方には近くの教会の鐘の音が聴こえて、
向かいの煉瓦の塀やリオの木杭の上で
鳥が謳っている光景にも出会える。

ローマやフィレンツェの旧市街地では
車が走っていて、歩行は気を遣ったし、
騒音は街の営みの一部としてあったけれど、

ヴェネツィアでは道幅がヒューマンスケールで、
車がいっさいなく、全ての通りがまさに歩行者天国だから

車の騒音や排気ガスから解放されて、
安心して街歩きが堪能できる。

車社会の騒音がないサウンドスケープは、
人が癒される特別な街なのだ。

tucasa_venezia_ 2516_R.JPG中世の街並みの中で最も地中海的な
迷宮性を帯びたヴェネツィアの街は、
建築的手法に溢れている。

建物が両側から迫り、
狭い路地を折れ曲がりながら進み、
天井の低いソットポルティコを潜るから、

小運河に架かる橋の上が、
解放感に浸るホッとする場所になる。

tucasa_venezia_ 2661_R.JPGこうした歩く人の気持ちを考えて、
可能な限り橋の幅を広くしている。

対岸どうしの路地が
正面に重なるとは限らないから、

斜めに橋が架かり、
これがまた変化に富んだ風景を作っている。

建物を壊してまでまっすぐ通すようなことは考えない。
古い街並みを活かしながら豊かな空間を繋げていく。

迷路を歩く人の目線を考えて、
目線の先の様々な意匠で閉塞感を和らげ、
歩く楽しみに一役買っている。

tucasa_venezia_ 2390_R.JPG路地と小運河の織り成す
周辺の環境と上手く対話して、

歩くごとに見え方が変わり、
見え方の数だけ絵になる景色を作っているのだ。

こういう街並みで育ったからこその、
スカルパの空間構成や
人の目線を利用した意匠が腑に落ちる。

もっとも日本人の茶庭などはもっと繊細で。。。

敷石のリズムをわざと崩して、
緊張感と共に足元に目線を誘導して、

足元が安定した石に来た時、顔を上げると
ハッと息を呑む景色を見せるような。。。

この街並みは、通商で培われた、
人の心理を読むことに長けたヴェネツィア人の
知力の結集だと感じたのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月11日

チョイ住み in Venezia 1

フィレンツェから電車でヴェネツィアへ。
通い慣れたボローニャを過ぎると、
広い平原の景色が続く。

tucasa_venezia_ 1679_R.JPG電車が海を渡り始め、
海の中にオレンジ色の島が見えてくると、

「旅情」のキャサリン・ヘップバーンほどは
大人げなくはなかったけれど、


隣のゲイカップルの見つめ合う笑みの狭間で
窓の景色にテンションは急上昇した。

サンタ・ルチア駅を降りると、
運河が目に飛び込んでくる配置には感動しました。

tucasa_venezia_ 1680_R.JPGたいがい大地の中に川があるのだけれど、
海の中に陸地がある!

はるか昔の先人たちが、
干潟に築いた海の都。

紀元前の古代ローマ人がすでに、
川に橋脚を造り橋を建設していた

ハードなインフラ技術を持っていたことは
知られているけれど、

海水を塞き止めなければならないラグーナの土木工事は、
陸地とは比較にならないほど
高度な技術を要し、難工事だったはずだ。

想像が尽きない先人たちの苦労の上に、
僕らは特別な感動を味わえることを忘れてはならない。

すぐ目の前がヴァポレット乗り場だ。
とりあえず72時間券を買い、非日常生活が始まる。

tucasa_venezia_ 1702_R.JPG最寄りの乗船口で降りるつもりが、
リアルトまで停まらない船だったんだけど、

心地よい風を感じながら、ゆっくり
大運河沿いのオリエントの文化が融合した

エキゾティックな建物を眺める感動は
少年のようだったと思う。w

船でアプローチする玄関やロッジアの
開放的な連続アーチが水の中から建ち上がる都市風景は、
僕の心をわしづかみにした。

東方貿易時代にビザンチンの影響を受けた13世紀ゴシックから
古典主義のルネサンスや陰影のある優美なバロックまで、
窓の表情の華麗なる饗宴が目の前で展開される。

これらが当時のまま海の上に、今だに建っている!
カラマツの木杭と板が
今だに地面と建物を支えているのだ。

肌で街並みを体験して感じることができるって、
なんて贅沢だろう。

かつてのヴェネツィア商人は交易に生き、
オリエント文化を吸収して、
多様性という価値を見出した。

イタリアの他の中世の街並みが、敵の侵入を防ぐ城壁で囲われ、
ファサードが閉鎖的で素朴な時代に、

アーチや円や花模様の開放的でエレガントな窓のデザインは、
当時訪れた人々にとってもかなりの衝撃だったに違いない。

しかも水辺と戯れる風景だ。
と言うより、海に囲まれているからそれができた。

弱みを強みに変える!逆転の発想が
ヴェネツィアにはある。

tucasa_venezia_ 1725_R.JPG同じように、9世紀頃の
ビザンチン帝国勢力圏内で交易をしていた、

聖マルコの遺骨を盗み出した
二人のヴェネツィア商人も

ビザンチンの文化水準の高さに
驚嘆したに違いない。

教会建築は大運河に正面を向けていて、
東西軸より街並みを優先させている。

tucasa_venezia_ 1732_R.JPG滞在先までおおよその地図を頼りに通りを歩くと、
小運河を渡る橋の裏側に、水面にバウンドした光が
キラキラ揺れていて、見とれてしまいました。

ヴェネツィアで生まれヴェネトで活躍した建築家、
スカルパの原風景だろう。

橋の上から眺める両側の小運河沿に、
水の中から建ち上がるそれぞれの風景は、
見ていて飽きない。

tucasa_venezia_ 1735_R.JPG一見袋小路の行き止まりのように見えて、
進んでいくと、横に通路が繋がっている。
地図以上に実際はまさに迷路だ。

距離はそんなに遠くないはずなのに、
案外時間を喰ってしまったんだけど、

もう既にこの迷宮のような街歩きに
ワクワク感が止まらなかった。

つづく。

司建築工房

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2017年10月10日

ボローニャの休日 2

学都としての名声と経済効果がもたらされた12世紀頃、
ポー川からレノ運河が造られ、
水運の面では恵まれてなかったボローニャに水が引かれた。

tucasa_bologna_ 1651_R.JPG市街地の地下に大小の運河を張り巡らし、
地下に木製の紡績機を設置して、

引込んだ水力エネルギーで水車を廻して、
15世紀頃には絹織物の

一大産地になっていた歴史は
意外と知られていない。

運河はヴェネツィアまで及び、絹織物の他製粉など
水路を使って流通し、ヴェネツィアからは塩などを持ち帰った。

現在でも街の中で運河を確認できるところがありました。

第二次大戦時ボローニャは戦場となり、
かなりの空爆を受けていることは日本と同じだけれど、

今だに中世の街並みを継承しつつ、保たれていることは
歴史的建造物に対する考え方が違った。

日本は明治維新で一度、
街並みごと自分たちの文化を否定してしまった。

文化とは、人々の長い暮らしの中で育まれた
心と形の伝承だと思うんだけれど、

戦後アメリカ型の大量生産、大量消費時代の中、
日本の住宅はプレハブメーカーによって商品になり、
全く新しい工業製品の街並みに変わった。

近代化への憧れは、歴史に無頓着な進歩主義と
本物の持つ豊かさへの無知によって盲目的に破壊していった。

ボローニャの人々は、「新しい社会のための古い街」という、
住人たちの様々な営みによる人間的魅力に溢れた
歴史地区の庶民住宅を保存修復することを選んだ。

tucasa_bologna_ 1649_R.JPG市民にとっての住みやすい
都市環境の保全を目的として、

類型学を参考に歴史的街並みを再生させ、
内部は必要な用途に改造して、
近代設備を導入し、新しい機能を生み出した。

これらには自治体や庶民住宅局と州が
財政負担をし、借家人や家主の権利の保護に当て、

膨大な額の民間投資が行われ、
民間主導で一戸一戸の修復事業をやった。

文化財建築から手掛けるのではなく、
観光化は全くされていない。

tucasa_bologna_ 1521_R.JPGイタリアの都市が自治権を獲得してゆく時代、
コムーネが司教に変わって
世俗権力を掌握してゆく頃には

100近くの塔が
この街に林立してしたらしいんだけど、
今では2つの斜塔が持ち堪えている。

tucasa_bologna_ 1514_R.JPG
一つのまとまった建物ごとに
それぞれ特徴のあるポルティコが連続し、
地元の土の色、

ビザンチンやイスラム文化の影響も見られて、
都市ごとに個性のある街並みを擁するイタリアは、
興味が尽きません。

ネプチューンの噴水は修復中で、
女神の乳房から水が出るのは
見られなかったけれど、

一日中街を歩いて色んなポルティコを楽しみ、
旅の疲れか、ロマネスクの素朴な
クローチェフィッソ教会の礼拝席で

tucasa_bologna_ 1578_R.JPG美しい賛美歌に眠りを誘われ、
サン・ドメニコ教会の後陣を囲う回廊の中庭に心を洗われました。

様々な職人工房の文化と感性が息づく街。


お気に入りの、古代ローマ時代から2000年続く
マジョーレ広場前のポルティコで、
職人の生きざまや哲学に希望を抱きつつ、

ナチスドイツとファシストの連合勢力を
街から追い出したレジスタンスの
住民自治を慈しむのでした。

司建築工房

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2017年10月09日

ボローニャの休日 1

フィレンツェから電車でボローニャへお出掛け。

ボローニャと云えば、ポルティコ(柱廊)の街。
歴史的市街地は都市廊とも言えるほど、
街中を雨の日も真夏の日差しも避けて歩けそうだ。

tucasa_bologna_ 1553_R.JPGその特徴ある街並みは、
12世紀頃まで遡れるらしい。

それはボローニャが法学を学ぶ都市として
存在感を増していく時期と重なる。

その後の都市としての発展は、イルネリウスが
ローマ法全体の注釈を行ったことから始まった、
と云っても過言ではない。

その頃アルプス以北の街では、
文字の読み書きができたのは聖職者で、

教会付属の学校か修道院でしか学べなかったのに対して、
イルネリウスが教養学などの私塾の教師だったように
一般の学識者が専門性を活かせる活動の場があり、

また法学のような高度な学問を修める場が
一般人にも広く開かれていた。

tucasa_bologna_ 1528_R.JPG文書作成法が発達したことで知られるボローニャは、
高い文化を誇るビザンチン帝国の玄関口であり、

ローマ皇帝とローマ教皇の勢力の狭間にあって、
比較的自由な街であり、

ローマ時代からの交通の要所であったために
多くの学生が東西2キロの城壁に囲まれたこの街に押し掛けた。

教師の家に下宿できるのは、最初のうちで、
膨れ上がる数の学生を収容する部屋が必要になる。

tucasa_bologna_ 1558_R.JPGこの頃の建物は木造で、ボローニャでは、
建物の基礎にも木材が使われていたんだけど、

街路に建物が連なる状態では、
道路の上に張り出さざるを得なかった。

こうして木材で支えた
ポルティコの街並みが形成された。

外来の学生が多く住むようになると、
暴力行為や家賃、書籍等様々な問題が生じ、
教師の私塾の枠を超えて、同郷で団結する必要性が出てきた。

それが学生団体ユニヴェルシタスであり、
その後のボローニャ市からも教皇からも公認された
学生主体のボローニャ大学で、

司教座教会付属の大学である
パリ大学とは性格を異にする。

校舎ができるのは16世紀ですが、
ヴェネツィアのサン・マルコ広場を囲む建物のように
2層に開放的なアーチが連なる。

他の都市のシンボルは司教座教会であるけれど、
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院がドージェの礼拝堂であるのと、

tucasa_bologna_ 1459_R.JPGボローニャの中心マッジョーレ広場に建つ
サン・ペトロニオ聖堂は、

教皇権に対抗して市民が建設した
市民の聖堂だ。

ちなみに世界一の教会として
着手したんだけど、

ローマ教皇がサン・ピエトロ大聖堂よりも
大きな教会を許さず、建設資金を打ち切って、
今尚未完のままだ。

でも僕には市民の方々の
精神的な誇りを感じる景色に思えるのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月08日

トスカーナの休日 2

たまたま泊まった宿が、元ローマ教皇庁の書記官の邸宅で、
13世紀の建物でした。

tucasa_pienza_ 1169_R.JPG朝、夜明け前の散歩。
ピエンツァの街から見下ろすオルチャの谷に
白い朝靄がたなびき、

朝日が昇って、
果てしなく続く丘を照らした風景は、
2オクターブくらいテンションが上がりました!

美味しい空気、鳥や動物の声と鐘の音。
樹々や土の匂い。

tucasa_pienza_ 1206_R.JPG近代的なものや豪華なものはないのに
五感で癒される。

より速く、より簡単に、より便利に、
東京ーハワイをロケットで30分とか、

その一方で歴史や環境を
破壊していることには
目を向けない。

ライフスタイルを含めて
社会が急速に激動している中で、

人間にとって心地よく大切なものって
何なのかを気付かされます。

部屋の窓からの景色は、オレンジ色の屋根の向こうに広がる
トスカーナの絶景!

tucasa_pienza_ 1378_R.JPGこの宿の朝食は、
混じりっけのない本物の味だと感動するもので、

簡素な中にも設えからきちんとした食器で、
きちんとした食事をすることの大切さを
改めて感じさせて頂けるものでした。

給仕の方の家が隣町のモンテキエーロという
地図にも載っていないような街だけれど、

とても綺麗なところで、また違ったオルチャの谷を見られますよ、
とのことで、廻りの小さな集落を転々とドライブ。

渓谷には、中世にローマからエルサレムへの主要な巡礼路として
多くの巡礼者や商人たちが行き交った、フランチジェーナ街道がある。

tucasa_pienza_ 1445_R.JPG隣町から見る丘の上の
ピエンツァの景色も素敵でした。

こうした広大な景観は、
厳しい土地利用規制によって

保全されているんだけど、
実はすべて民間で行われている。

まちづくりの会社はポケットマネーを出し合って作られた。

自然保護区域に登録すると、区域内での一切の建築に許可がいるし、
水道や電気を引くにも制約を受け、好きにできなくなる。

でも区域内の五つの街や村の人々は、
自分たちの地域が生き残るためにも
美しく守る枠組みを決めるべきだと犠牲を受け入れた。

地元の事業者のためならと資金面で援助したのが
民間のシエナの銀行だ。

tucasa_pienza_ 1447_R.JPG今ではアグリツーリズムとスローフードが、
農業所得を拡大させ、

過疎で放棄された建物の補修も進み、
景観保全に大きく貢献している。


個人の利益より人類の遺産を優先させるというイタリア人の考え方、
文化的景観という発想をしっかり胸にしまいます。

帰り道はシエナに立ち寄ったんだけど、
車で旧市街地に紛れ込んでしまって、

細い街路に観光客が大勢歩いてるし、
テロに間違われないように心尽くしの徐行で凌ぎ、

配達に来ていた業者のお兄ちゃんに
どうやって抜け出せばいいか、すがって

おお、入って来ちまったのかい、と笑って
親切に脱出経路を教えてもらいました。

立派な城壁に囲われたシエナの街は、
他の街と同じ文法を使った中世の街なんだけど、

それぞれ街ごとに個性があって画一的でなく、
色んな街を訪ねてみたくなる旅心をますますくすぐります。

主要な街を繋ぐ高速道路は無料で合流し、渋滞もなく、
目的の街ですっと降りるという、ドイツと同じでした。

行きとは違った道で新しいトスカーナの丘陵の景色を満喫しながら、
アルノ川を渡って、フィレンツェの旧市街へ戻ったのでした。

司建築工房

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2017年10月07日

トスカーナの休日 1

フィレンツェから南へ。
FIAT500で、サン・ジミニャーノに立ち寄りながら、
ピエンツァへお出掛け。

車窓から眺めるトスカーナの折り重なる丘陵の景色は
飽きることがない。

自然の地形はなだらかな曲線なんだと気付かされる。

tucasa_s.gimignano_ 1004_R.JPGサン・ジミニャーノには、
僕が好きなチステルナ広場がある。

12世紀頃の建物に囲われた三角形の広場で、
自然の地形のまま傾斜していて、
真ん中に13世紀の井戸がある。

この井戸を囲む石段に
人々が気持ちよさそうに座っている。

中世の富と権力を誇示する象徴の
塔の大半が壊されている現在にあって、
かすかに塔が林立する街並みを留めている。

丘陵地の丘の上に城壁で囲われた中世の街並みは、
自然の地形に寄り添うように限られた素材で作られていて、

自然発生的に不規則で変化に富んだ集落は、
歩くごとに絵になる風景に出会える。

歩く蛇行した通りや狭い路地は、自然のまま起伏に富んでいて、
地元の業者さんの車以外はないから、
この魅力的な迷宮空間はしばらく時を忘れてしまう。

目的のピエンツァの街は、人文主義者のピウス2世が、
「建築書」を書いたアルベルティに紹介されたロッセリーノと共に

生まれ故郷の中世の街並みの一部を
ルネサンスの理想の広場に改造した特別な街なのです。

しかも中世の絵画的で有機的な街並みと調和して、
550年経った今でもそのまま保たれている。

tucasa_pienza_ 1173_R.JPG広場の形はフィレンツェのところでも触れましたが、
逆台形で、広場の正面にある

以前は宗教的理由の伝統方位である東西軸の
ロマネスク様式の教会堂を壊して、

広場の正面のファサードを
ルネサンス様式の南北軸の教会に建て替えた。

広場の右側パラッツォ・ピッコロミニのファサードは、
フィレンツェのパラッツォ・ルチェッライの言語そのままに、
幾何学的なシンメトリーは、トスカーナ地方のパラッツォ風だ。

丘を見下ろす南側は、1階が庭に面する柱廊で、
2階はテラスになっていて、
田舎のヴィラの要素も持ち合わせている。

教会とパラッツォの間から垣間見えるオルチャの谷の遠景が、
ピエンツァならではの広場の風景になっている。

tucasa_pienza_ 1130_R.JPGパラッツォの通り側の隅に井戸があるんだけど、
地元のおっちゃんがこの井戸に集まって、

通りの向かいのお店に寄ったおばちゃんを
からかっている日常風景は微笑ましかった。

ルネサンスの広場の特徴である
中心や軸線にモニュメントを置くところを

ここでは広場の多目的な使い勝手を優先して、
井戸を端に寄せているのは、中世の作り方だ。

広場以外の中世の街並みとの
頃合いを計ったのだと思いました。

ルネサンスの理想表現をするよりも
周りの環境との誠実な対話を優先させたのです。

広場の左側もパラッツォで、
広場の通りを挟んだ手前の

向かい側のパラッツォには柱廊があり、
シンボル的な教会を眺める景色を楽しむのに
一役買っていると思う。

オルチャの谷を見下ろす丘の上の
東西400mほどの小さな集落のピエンツァは、
トスカーナでも最も美しい自然風景に恵まれたところにある。

車は全て城壁の外に停めるから、
城壁の中は人のための迷宮空間で特別な場所だ。

tucasa_pienza_ 1319_R.JPGこの自然の地形に寄り添うように作られた
土着的な味わい深い街並みは、

現代の無機質で画一的な都市空間で失われた
人間性を呼び覚まし、
歩くごとに新しい素敵な風景を発見できる。

日が暮れてから、雨に濡れて
一つ一つ違う個性の石畳が、

オレンジ色の街灯に照らされた
美しい景色にも出会えたのでした。

つづく。

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2017年10月06日

チョイ住み in Firenze 3

ここまでくるとアカデミア美術館にある
ダビデ像に触れないわけにはいきません。

tucasa_firenze_ 485_R.JPG石から掘り出されたことを忘れてしまうほど、
割礼の跡がないルネサンスの表現と
血管や筋肉の弾力感は生身の人間のヌードです。

ダビデ像の前には未完の彫刻作品が並べてあり、
一部分だけ肉感的なノミの跡が残る石の塊を観ると、

しかもサン・ピエトロ大聖堂のピエタや
このダビデ像が20代の作品だと思うと
凄い芸術家だと改めて感服します。

ローマのところで触れませんでしたが、
彫刻で感動したと云えばベルニーニ。

ボルゲーゼ美術館にある「プロセルピナの略奪」は、
僕が一番心奪われた彫刻作品だ。

tucasa_rome_ 3231_R.JPGギリシャ神話の一場面を
逃げようとする抵抗の躍動感でドラマティックに、

しかも指が柔らかなもとももに喰い込むリアリティを
またふたりを3次元にどの方向から見ても

破綻のないように掘り出す
造形能力には圧倒される。

「アポロとダフネ」の逃げて触られた瞬間の月桂樹に姿を変えていく瞬間が
目の前で繰り広げられているような劇的なドラマ性。

ふたりと木や葉っぱを絶妙なバランス感覚で掘り出す技は、
古代ローマやギリシャを超越した人類最高の彫刻家とさえ僕には思えます。

ベルニーニはバロック時代の人で、ローマにある数々の噴水彫刻は
ローマの街を劇場のような場に変えた。

またサン・ピエトロ大聖堂前のコロネードでは、
なるべく多くの市民を収容できるように楕円形と台形で、
大聖堂を遠く感じさせず、中心性を持って引き立たせた。

これらの芸術は、文化に理解あるパトロンの支援があったればこそ、
今の我々が堪能させてもらえるのだ。

tucasa_firenze_ 775_R.JPGそういった意味で、
フィレンツェでのルネサンス期に支援した

メディチ家などの功績は、
やはり後世に語り継がれる偉業です。


ウフィッツィ美術館にも
必ず見たい美術品がある。

リッピに師事したボッティチェッリの
「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」。

tucasa_firenze_ 668_R.JPGメディチ家のカステッロの別荘に
飾られていたという対をなす作品は、

宗教的モチーフを題材にしたものでなく
ギリシャ神話に因んだ題材で、

古代ローマ時代の人間性の再生、
人間と自然の美を表現した立体感と物質感は、
僕が一番ルネサンスの息吹を感じる作品です。

生でじっくり観ると植物等実によく描いてあって、
ヴィーナスの表情になぜか泣けてきました。

ヴェロッキオに師事した20歳のダ・ヴィンチの「受胎告知」は、
すでにスフマートの技法や遠近法で描き、
大天使ガブリエルのまなざしに心を惹きつけられる。

そして、キアロスクーロの技法でテネブリズムとも呼ばれる
劇場の舞台のような明暗のコントラストの中に

感情を表現した人間ドラマを描いたカラヴァッジョは、
ルネサンスにはない異質の感動を与える。

ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の
壁面に描かれた「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」と

サンタゴスティーノ教会の壁面に描かれた
「ロレートの聖母」が今でも心に残る。

支援した人がいて、芸術家が才能を発揮し、
それを保存修復に努めた人がいて、

愛しんで鑑賞した人々がいたからこそ、
こうして望めば感動に浸れることができるのだ。

tucasa_firenze_ 360_R.JPG現在でも世界遺産や芸術作品の修復費用は、
入場料以上に

民間企業の寄付によって守られていることは、
ローマのところでも書いた。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂にある、
ギベルティが27年間製作に没頭したという

通称「天国の扉」のレプリカ製作は、
日本の茂登山長市郎さんの寄贈だ。

市民が住みたいと感じる、
世界の人々が訪れたいと思えるまちづくりの陰には、

文化財と名の付く保存ではなく、
名もない歴史的建造物が集まった街の保存を

名もない一人ひとりの建物所有者や
商業を営む経営者一人ひとりが、保存再生に投資をし、

建築家が魅力的なレスタウロをし、
そのほとんどが民間工事によって

都市の保存がなされてきたことを
忘れてはならない。

長くなりましたので、別の機会に致します。


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2017年10月05日

チョイ住み in Firenze 2

ブラマンテと云えば、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂。

単純なギリシャ十字に幾何学形態が立体的に繋がり、
壮大な正半球のドームに導かれるブラマンテの計画案に

構造的なプラン修正を行い、実現に漕ぎ着けたミケランジェロ。
ドームの外観は自重に耐える紡錘形になったけれど、
内部は正半球の天井が実現されている。

近代の鉄骨やプレストレスト・コンクリートがない時代に
石と煉瓦と木で理想の形態、プロポーションを
現実的に可能な構造として実現させた苦労たるや、

荘厳な装飾や天井画と共に、
建築に携わった先人たちの苦労の結集を
首が痛くなるまで天井を眺めるのでした。

tucasa_firenze_ 535_R.JPGそれは古代ローマの先人たちが造ったパンテオンも
そしてブルネレスキが実現させた

S・M・デル・フィオーレ大聖堂の
八角形の煉瓦製ドームもです。

ここでようやくフィレンツェに戻りましたが、
街路から、また窓から見えたりすると

絵になるオレンジ色のドームは、
後世の人々に残した素晴らしい遺産です。

ブルネレスキは現場の監理、職人や道具のことまで関わった人で、
規模は違いますが、僕も現場監督をして工事を請け負うので、
親しみの湧く尊敬する人物です。

tucasa_firenze_ 897_R.JPGブルネレスキが設計したサン・ロレンツォ教会や
サンタ・クローチェ教会パッツィ家礼拝堂、

設計者と現場監督の立場で建築を味わうほどに
大変な熱意と苦労を感じ入るのです。

街で見かける足場のある工事現場は、
新築はなく全て外装の補修か内部の改装だ。

古い建物のレスタウロで上手く再生させた店舗など
いくつも魅力的な都市デザインを見てきました。

外観だけ残しただけではただの景色で、そこに人々が生き生きと
必要な用途で使って働いているからこそ、街並みが美しくなる。

古いというだけで人は惹かれるのではなく、
レスタウロして今の時代において魅力を感じるからだ。

フィレンツェに来たらやはりどうしても会いたくなる美術品がいくつもある。

tucasa_firenze_ 418_R.JPG木の梁と小屋組が親しみを感じる
静謐なサン・マルコ修道院。

真っ先に階段を目指して、
踊り場に出た時正面に見上げる
フラ・アンジェリコの「受胎告知」。

クリスチャンでなくても不思議な安堵感の中で、
瞑想するようだ。
宗教的モチーフの題材ですが、透視図画法はルネサンスを感じます。

小食堂(ブックショップ)の壁一面に描かれた
ギルランダイオの「最後の晩餐」のフレスコ画は、

この部屋のヴォールト天井に合わせて、天井を透視図画法で描き、
窓も延長して描いて、窓からの光も部屋と同化して描かれている。

ローマのところで触れませんでしたが、ミケランジェロの
システィナ礼拝堂の天井画のような、

絵の一部が建築の延長のように錯覚させる
見事さを感じました。

フレスコ画は漆喰を塗って、
濡れているうちに下絵から陰影などの細部まで
描ききってしまわなくてはいけない。

システィナ礼拝堂では、大きな面積を継ぎ目も感じさせず、
天井も壁も良く描かれている。
カーテンの表現なんて、最初絵だとは気づきませんでした。w

ギルランダイオは、若き日のミケランジェロが師事した師匠だ。

つづく。

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2017年10月04日

チョイ住み in Firenze 1

ローマから高速鉄道でフィレンツェへ。

tucasa_firenze_ 268_R.JPG旅情を誘う駅は、イタリア人男性の
耳に心地よいアナウンスだけで、

騒がしい音がなく、
ただ電光掲示板を見つめて到着を待つ。


列車は何のアナウンスもなく動き出し、
車窓からトスカーナの風景を眺めながら
静かな大人の時間を楽しむ。

列車はやはり何のアナウンスもなく、
centrale S・M・novella駅に到着した。

思想の中心が神から人間に移され、
学問と芸術の宗教的束縛からの解放、個人の独立と自由など
近代の先駆けとなるルネサンスが生まれた街、フィレンツェ。

美術においては肉体描写、文学においては心理描写。
そして建築においては、幾何学や透視図法によって、
新しい秩序の都市計画が行われた。

車のなかった時代の人間的なスケールの理想都市は
広場や建築のファサードなどに表現された。

そういう視点で訪れた今回は、歴史的市街地の15世紀の建物を
18世紀にレスタウロした住居にチョイ住みしながら、
ローマに引き続き、毎日街歩きとルネサンスの芸術に触れました。

tucasa_firenze_ 836_R.JPGフィレンツェの初日にしたことは、
足にやさしい靴を買うことでした。

つま先から頭の先まで油断しちゃいけない、
イタリア男は特に靴に気を遣う、とばかり

ローマで気合いを入れ過ぎて、
膝に痛みを感じる始末。w

案の定、おしゃれな外国人観光客の
足元に注目したら、みんなカジュアルです。

一日中歩き回る所詮旅人は、水を得た魚のように
石畳を軽やか歩くのでした。

新たな建築設計手法で行った建築家はブルネレスキだろう。

アンヌンツィアータ広場では、二つの独立した建物を
アーチが連続する柱廊のあるファサードにして、
広場の二面を同じ様式と材料と色で統一感を与えた。

tucasa_firenze_ 3448_R.JPGその後サンガッロが、広場のもう一面を
同じ言語の柱廊によって連続性を与え、
広場が一体化され、後に、

S・M・デル・フィオーレ大聖堂の
ドームに向かって

軸線となる位置に騎馬像と
その左右対称に噴水が設置されている。

ブルネレスキ初期の作品、捨子養育院と向かいの建物の柱廊は
人の背丈ほど階段上に高くなっていて腰掛けられるし、

可愛らしい子供のメダイオンの青が、他の色にもマッチしていい。

実際は大人たちの許し難い都合で、
織物に巻いた赤ん坊を置き去りにしたんだけど、、、

tucasa_firenze_ 846_R.JPGこの街は中世の街と同様、
街路沿いに建物が並んでいて、
通りから中へ入ると様々な中庭と回廊がある街だ。

それは多くのパラッツォや教会で見られるし、
今回借りた住居も同じで、
これが伝統的な中世の住居の作り方だろう。

ルネサンスの広場と云えば、
ピエンツァのピウス2世広場や

そしてローマのところで触れませんでしたが、
ルネサンス理想都市のアイデアの集大成とも言える
カンピドッリオ広場がある。(前の記事で写真掲載)

パウルス3世という文化レベルの高い施主に恵まれ、
円熟期のミケランジェロが才能を遺憾無く発揮できた。

カンピドッリオの丘は、古代ローマ時代には神殿が作られ、
ローマ市民にとっては町の起源を意味する象徴的な丘だった。

広場の隅の円柱上に、ローマ建国神話の
カピトリーノの雌狼像がある。(前の記事で写真掲載)

ミケランジェロは、この丘の両サイドに中世から建っていた
既存建物の条件を活かして、逆台形の広場にした。

逆台形の広場はピエンツァのピウス2世広場の先例があるんだけれど、
正面の聖堂が実際よりも近く、大きく見える。

ミケランジェロは両サイドを
神殿のようなオーダーの柱廊のある建物に改造して、
正面の建物も様式、材料、色に統一性を与えて、

広場を楕円形に、しかも階段上に掘り下げ、
床の舗装を地球儀のような曲線模様を描いて、
その中心に騎馬像を設置した。

ここが古代ローマの中心、すなわち世界の中心ということを
象徴的に表現したのだろう。

やはり空間の軸線、シンメトリー、透視図的効果を重要視した
ブラマンテ、ラファエッロと同じ考えが窺えるのでした。

つづく。


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2017年10月03日

チョイ住み in Rome 3

景観規制は、建物だけでなく、看板、広告物、店舗デザインにまで及ぶ。
建物の外観を維持するだけでなく、むしろ標識や広告物に
調和を与えるデザイン手法が、ローマの都市景観を形成している。

ジェントリフィケーションが起き、
歴史的市街地にはかなりの高額所得者しか住んでない
格差社会も垣間見えたりするけれど、

tucasa_rome_ 142_R.JPG先人たちが築いた玄武岩の石畳にしても、
現在の市民の方々の街の美観を
保存したいという尊い意思によって、

我々はかけがえのない文化遺産を
享受させてもらえるのだ。

またコロッセオはローマの貴重な遺産であるという市民の声が高まり、
19年間に渡って大規模な修復工事が行われたんだけど、
その費用は民間の銀行が負担している。

tucasa_rome_ 3119_R.JPGその他数々の文化遺産や美術品の修復費用は、
実は民間企業の寄付金で賄われている。

利益の半分は地元に戻すという企業倫理が、
イタリア文化の奥深さかもしれない。

ある夜の歩き疲れて、たまたま入った
壁がワインで埋め尽くされた
クチーナはいい思い出だ。

店長含め3人の男性給仕は、
ゴッドファーザーの世界を彷彿とさせる出で立ちで、

常連客や東欧の富豪風グループ、
旦那がスパイかもしれない風ロシア人家族の中、

プロフェッショナルな身のこなしは
まるでオペラの舞台のようだった。

僕らの野菜が食べたいという要望に
炒め物、蒸し物の野菜を松の板に載せて出してくれて、

お薦めのトスカーナのTボーンステーキを頬張ったら
旨い!目がランランとエネルギーが湧いてきた。

tucasa_rome_ 3414_R.JPG店長からのおごりですというアマーロは、
これ絶対マフィアしか手に入らない、

市場には出廻らない酒だろうと
想像してしまうくらい美味しかった。

ティラミスも絶品で
カプチーノには心温まるメッセージ。

ミケランジェロやベルニーニ、カラヴァッジョなどの
芸術作品も感動的でしたが、
話題は尽きないのでまたの機会に。


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2017年10月02日

チョイ住み in Rome 2

イタリアは世界遺産の宝庫、その60%はローマにあるという。

古いものを壊さず、残しさえすれば、
それが観光資源となり、文化価値となり、経済価値になることに
イタリアの自治都市国家の人々は早くから気づいた。

tucasa_rome_ 188_R.JPG保存修復の起源はルネサンスだけれど、
ミケランジェロがディオクレティアヌス帝の
浴場跡の大浴場部分を

S・M・デッリ・アンジェリ教会に
レスタウロした例など
古代ローマの建築を規範とした。

ルネサンスはメディチ家をパトロンとしてフィレンツェで展開されたが、
後期は教皇をパトロンとしてローマで展開された。

ローマの街は、古代ローマからロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック
と目にする景色は飽きることがなく、

今回歴史的市街地にチョイ住みして、
深夜や早朝までよく歩きました。

tucasa_rome_ 155_R.JPG毎朝カンポ・デ・フィオーリ広場の朝市で
果物、野菜、生ハムを買って、

バターをはじめ乳製品も新鮮で美味しく、
しかも安い。

中世の街並みは、道がまっすぐではなく幅も色々で、
ふと色んな形の広場に出て、

街中に噴水がたくさんあって、
古代ローマの遺跡が目の前に現れる!

ローマは元々沼地で、水は確保できたんだけど、
人口の増加と市民に良質な水を供給するために
何十キロも先から11本の水道を引っ張った。

そのうちの1本ヴィルゴ水道がアックア・ヴェルジネ水道として
引き継ぎ、紀元前からの水を今だに供給している。

街路にふと現れる水飲み場からは、カルキの入っていない良質な水が、
24時間、365日噴出し続けている。

ローマ帝国時代に築いた水道橋はフランスやスペイン、
トルコなどに及び、ヨーロッパの主要都市や街道も
紀元前のローマ人が築いたものが基礎になっている。

現代に受け継がれる悠久の歴史を感じる街歩きは格別です。

tucasa_rome_ 3303_R.JPG様々な広場や噴水は市民の憩いの場となり、
ボルゲーゼ公園などの広大な緑地もあり、

街中に心地よい居場所が
たくさん作ってある。


建物の外壁は限られた素材で統一感があって、
何より標識や看板の素材や材質まで建物と調和しているのだ。

つづく。


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2017年10月01日

チョイ住み in Rome 1

イタリア人には、夕方になると散歩に出て、
自分の街歩きを楽しみ、知り合いとの会話に花を咲かせる、
そんな日常の中に楽しみを見つける人生観がある。

そして人生を楽しむ単位は、まず夫婦、家族。
次に友達、近所や街の住人だ。

だからこそ自分たちの暮らす街を大切にし、
魅力ある街の暮らしをみんなで守ろうとする。

それは自分の家だけ魅力的にしても実現しないという
自治都市共同体の精神、コムーネを重んずる。

tucasa_rome_ 035_R.JPGそんなイタリアのまちづくりという視点で
現地を訪れたいと思い続けてきましたが、
ようやくその機会に恵まれました。

火山の噴火で埋もれた
ローマ時代の都市ポンペイの発掘により

紀元前の街に市役所や劇場、
2万人収容の円形闘技場などが見つかり、
道路は石で舗装され、
各住居には水道が引かれていた。

tucasa_rome_ 3156_R.JPG古代ローマ人の生活を快適にする叡智と
インフラ建設を可能にする高度な技術。

パンテオンやコロッセオのように
コンピューターや重機のない時代に、

現代でさえ困難な大規模建造物が
2000年前のまま建っている現実を
目の当たりにすると

過去の先人たちへの尊敬の念が自ずと湧き上がります。

tucasa_rome_ 099_R.JPGまたパンテオンやアッピア街道など、
有力者が私財を投じて建設された例も
少なくない。

この大規模建造物を可能にした秘訣は
ローマンコンクリートだ。

コンクリートを多用した文明はローマしかない。

パンテオンの基礎構造や壁の厚みの計算、
高さによって材質を使い分けたり、

ドームは厚みや建築的工夫によって
円形の天窓を実現していることなど

古代ローマの人知、学問の高さ、
高度な技術は驚くべきことです。

tucasa_rome_ 058_R.JPG僕はこのパンテオンが一番好きなんだけど、
建物自体が巨大な日時計になっていて、

4月7日頃と9月2日頃の年2回、
太陽の神アポロンと天空の神ユピテル

を祀る壁龕のアーチに
天窓からの円形の光が重なるのだ。

天文学や暦を自在に操る建築。

古代ローマ時代にヴィトルヴィウスによって書かれた「建築書」に
建築家は、幾何学に精通し、音楽を理解し、
星学あるいは天空理論の知識を持つこと、とある。

「ローマを知るには一生では足りない」

つづく。

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