2018年07月06日

セナンクを訪ねて

ル・トロネ村で宿泊した
L'Ancienne Poste のオーナー、ポーランド出身のハンナが、
滞在中にしてくださったご好意は、一生忘れないだろう。

村には食材を買えるお店がないからと
遠くのスーパーに連れて行ってくれたり、
全てをここでは語り尽くせない。

次の巡礼地、プロヴァンス3姉妹の
ご次女さまに会うためリュベロン地方へ。

近くには、古城を頂として階段上に建物が折り重なった、
天空の城とでも呼びたくなるゴルド村があり、

tucasa_senanque_0896_R.JPGその丘に登り、今度は山道を下っていくと
ヴォークリューズの谷に
セナンク修道院がある。

最初は俯瞰して眺め、
徐々にコンバーチブルで降りてゆく
楽しみを味わったのだけれど、

山の頂上付近で、すでにラヴェンダーの香りが
風に乗って、入浴してるかのようだった。

かつてこの谷には、川が流れていたらしく、
水の需要を十分に満たしたらしい。

tucasa_senanque_1098_R.JPG石材は、北のひと山越えた辺りで採掘され、
石の屋根には、岩肌の見える
この丘のものが使われている。

日々の信仰と生活の機能に適うように、
回廊を中心として、3姉妹とも
ほとんど同じ規模と平面構成になっているけれど、

シトー会の思想が建築に表れ、
すでにゴシックの交差リブヴォールトを採用していて、
優れた音響効果を生み出している。

セナンクでは現在も修道生活が営まれていて、
聖堂の内部でグレゴリオ聖歌の神秘的な響きを聴いた。

谷の敷地の関係で、セナンクでは聖堂の内陣が、
東ではなく北向きになっている。

身廊の上部にはクリア・ストーリーが設けられていて、
新たな光のグラデーションの試みが感じられる。

下から見上げる窓のエッジと柱やアーケードの角の精度は、
ル・トロネと同様の精神性が宿っていた。

tucasa_senanque_1085_R.JPG回廊の柱頭彫刻には、
ギリシャのオーダーを想わせる

アカンサスの葉や
様々な植物文様が刻まれていて、

樹の不死を示すヘレニズムの普遍性の中に
ケルト的な葉や蔓の繁茂の思想が織り込まれている。

回廊の原型は、地中海沿岸で生まれ、
建物の内部に作られているから
外部の音は遮断され、静寂が保たれる。

モンテ・カッシーノ修道院には、すでに回廊があった。

ヴォークリューズの谷は、周りの山で隔絶されて、
修道院の他に建物は一つもない。

石の回廊でさらに隔絶された中庭の緑の静寂は、
あたかもヴォークリューズの閑居で頂く
一服の茶碗の茶溜まりのように思われた。

修道院の核心は、「ひとり」で住むことで、
砂漠や洞窟から始まり、東方に起源を持つ。

キリスト教は、コプトやユダヤ的閉鎖から
「ひとり」を尊重しながらも「共同」で隠修する
普遍へと開かれてゆく。

「サイエンス」誌上に掲載された、フランスの各地に残る
洞窟壁画を描いたネアンデルタール人は、孤立して滅び、

身体的に劣るホモ・サピエンスが集団生活をし、
宗教を持つことで連帯感が生まれ、
危機を助け合うことで生き延びた。

外に出て、日陰に腰を下ろしていると気持ち良くて、
辺り一面に立ち込めているラヴェンダーの香りに浴しながら
この風の谷の風景にしばらく身体を緩めることにした。

tucasa_senanque_0992_R.JPGリュベロンでは、あちらこちらの
ラヴェンダー畑に目を奪われた。

ゴルド村の近くに、ボリーと呼ばれる
板状の石だけで積み上げた、

新石器時代から伝わる建築で、
ローマ時代から続いていた集落があった。

笠木だけ板状の石を立てる石積みの塀も
この地方の伝統だろう。

tucasa_senanque_0965_R.JPGプロヴァンスでは二つのメゾン・ドットで、
19世紀のフランスの田舎暮らしを体験して、

旬の食材と手作りの心を頂き、
のんびり過ごせた。

心落ち着ける幾つもの景色は、
良き瞑想の助けになってくれるだろう。

ラヴェンダーの紫色が際立つ季節、
赤いひなげしの花と糸杉の長閑な風景に
心も身体も癒された旅になったのでした。


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2018年07月05日

ル・トロネを訪ねて 2

彩り豊かな花咲く盛夏のプロヴァンス。

朝から閉館まで居たけれど、
色の光の変化による石の表情は飽きることがなかった。

大地の鉱物である石は、
永遠性の象徴として古来から崇められ、
信仰の対象になってきたけれど、

純粋な石の空間がもたらす美しさは、
美意識を超えた力として日本人の僕に迫ってくる。

木と違って石は瞑想するんだと。

tucasa_le thoronet_1171_R.JPG切石の柱やアーケードの角の精度や、
特に光が横から差し込む窓のエッジの曲線の精度は、

手彫りの跡とともに、
造り上げた現場の様子を想像して尽きなかった。

このエッジのディテールが光と影に表情を与えていて、
その精神性と豊かなイマジネーションに感じ入る。

ヘレニズムや彫塑性とは全く異なるロマネスクだけれど、
アニミズム信仰による精神性を表現したアフリカ美術とは違い、

やはり古代ギリシャ以来の直線や正円、
同じ形の繰り返しの美意識による数学的比例に基づいている。

平面寸法や窓の大きさと位置や数、立面や回廊のプロポーションも、
アーケードの柱の寸法や柱頭の角度も、ありとあらゆる寸法の根拠が、

比例と意味を持った特定の角度によって決定され、
光のグラデーションが慎重に考慮された。

心地良い秩序とリズムの感覚は、
可聴的協和音と幾何学的比例によって、
永遠の調和を反映する思想が流れているからだろう。

小学生の校外学習で引率していた先生の一人が、
聖堂でグレゴリオ聖歌を子供たちに歌って聴かせた。

修道院の聖務日課では、単旋律を全員で歌うことによって生じる
神秘的な共振の響きだったと思うけれど、
音楽は永遠の調和を反響するもので、建築と同等の価値を持った。

グレゴリオ聖歌にもギリシャ的な数学的思考が内在する。

音を楽譜に書き留めて後世に伝えるアイデアは、
グレゴリオ聖歌から生まれ、五線譜に発展した。

その他の様々な部屋へ階段で上へ下へ行き来し、
山の斜面を切り開いた敷地の特徴を生かした高低差の
空間構成の妙も特筆すべきだけれど、

tucasa_le thoronet_1460_R.JPGル・トロネの白眉は回廊で、
回廊自体の階段と傾斜路による高低差と

根底に流れる重要な角度の半角ずつ
長方形を崩した形、
各方位のアーケードの数と長さの比率が

唯一無二の、飽きることのない滋味と雰囲気を作り出している。

シトー会の修道院回廊は、ブルゴーニュ地方に今もなお
清らかな泉の湧く森の中に、12世紀のままの風景を留めている、
フォントーネ修道院にその原型を見るけれど、

ル・トロネは、回廊のアーケードのプロポーションは同じでも、
回廊の長さに応じて幅と高さを換えて各々バランスを取っている。

古典主義の比例関係を、
異なるスケールで調和的に並存させることは、
ルネサンス以降の特徴で、

ゴシックは基本的に、モチーフを一つのスケールで用いている。

見る者に快い調和をもたらすバランス感覚と評された
パラディオよりは少ない語彙ではあるけれど、
すでにロマネスク時代にそのバランス感覚を作り出した。

tucasa_le thoronet_0674_R.JPG分厚いアーケードごしに、
回廊の床より高い中庭の緑に
真っ赤な薔薇が咲いていた。

薔薇の歴史は古く、古代エジプト時代からあり、
ギリシャ神話のアフロディーテが海から生まれた時、
最初に咲いた花が薔薇で、

中世薔薇は、ゴシックの円い
薔薇窓に表現されるように
聖母マリアへの愛のシンボルだった。

回廊の静寂は、日本の茶室と同様、
水の音や鳥の声に耳を澄ます条件であり、恵みである。

tucasa_le thoronet_0822_R.JPGブルターニュの巨石文化を留める、
ロックマリアケルの石室の支柱石に

太陽によって熟れた麦の穂が刻まれ
太陽信仰の跡を留めているけれど、
ル・トロネの柱頭彫刻にも見つけた。

大地と水、空気と太陽のもとで育まれる植物のように
ステンドグラスに描かれた組紐文様からも喚起される、

森に生きたケルトの樹木のごとき
忍耐による成長の心性が息づいている。

修道士たちの健康的な生活のため
今でいうパワースポットのような地球の
地場エネルギーの強い場所が選ばれたと知り、

想像を超えた当時の叡智に興味が尽きない。


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2018年07月04日

ル・トロネを訪ねて 1

中世キリスト教の歴史は、聖職者が権力と富を握り、
世俗的な欲望に囚われて堕落すると

本来の信仰を取り戻すために修道院運動が起き、
やがて改革が忘れられ、堕落していくという繰り返しだけれど、

6世紀にベネディクトがモンテ・カッシーノ修道院を作り、
寄進を受けず、奴隷を排して、労働を重視した生活を営み、

10世紀にクリュニー修道会、
12世紀にシトー修道会が生まれた。

8世紀頃から終末論が語られ、黙示録的心性が
11世紀末以降の経済発展による富によって、
免罪のための十字軍参加や大巡礼へと向かわせ、

修道会の隠修の努力によって、
内に宿す神への狂気とも云えるエネルギーが、
ロマネスクの芸術を作り出した。

クリュニー修道会は、多くの民族的な要素を収斂させながら、
寓意的な彫刻というイメージの言語を通して、
諸文化の息づく神学的宇宙観を数多く残し、

シトー修道会は、構造力学の制約の中で、
石のみで宇宙の秩序と調和を大地に映した。

tucasa_le thoronet_0793_R.JPGそのシトー修道会のル・トロネ修道院が、
最初の巡礼の目的地だ。

フランス各地に建てられた
ロマネスクの修道院はどれも、

都会の喧騒を離れた自然の風景の中にひっそりと佇んでいる。

その土地から掘り出された石でできた建築が
風景の一部となって、それは僕の理想の建築だし、
どうしても見たいものほど僻地にある。

プロヴァンス三姉妹のご長女さまに会うためなら
苦労は厭わないけれど、

自給自足の隠修に相応しい場所として、
人里離れただけではなく、小川が流れ、
泉が湧くヴァールの丘を開墾して建てられた。

特に水利が考えられ、飲用に適した水質を持つことと
灌漑に用いる水は不可欠だった。

クリュニーとシトーという二つの修道会は、
ブルゴーニュ地方で生まれたけれど、

ワインの王様と称されるブルゴーニュの葡萄畑は、
そのほとんどがシトー会修道院の開墾によるもので、

地質学や土壌学、気候学の裏付けから研究を重ね、
味と香りの品質を生み出すクリマを獲得していった。

諸侯や豪族は、争って森林原野を修道院に寄進し、
かつての修道院付属屋では、農機具の発明や改良も行われ、
農業経営と経済の発展に計り知れない寄与を成し遂げた。

ブルゴーニュ地方とプロヴァンス地方は、
ローマ時代から石工の技術の継承と良質の石材に恵まれ、
洗練された表現を持っていた。

もっともプロヴァンス地方は、紀元前からすでに
ギリシャ人がマッサリア(マルセイユ)に都市を作り、

1世紀の終わりからは古代ローマがこの地方一帯を
属州(プロヴァンキア)として統治したから、

tucasa_le pont du gard_1249_R.JPGオランジュの古代劇場や
アビニョンの西に古代の水道橋
(ポン・デュ・ガール)など

至るところに、巨石を積み上げた
古代遺跡が現存し、ローマと
ガロ=ロマン文化を窺い知ることができる。

この地方では8世紀頃まで
ローマの生活習慣や教育制度が維持されていたという。

ル・トロネは、土地の赤褐色の土の色と同じ色をした切石でできた、
彫刻による立体感はなく簡素で、
親しみの持てる高さで、温かく迎えてくれた。

建物の西側の側廊にある入口は、
かつては俗人を入れない修道士だけの入口だったから、
タンパンなどなく素朴で、

入口の前で、聖堂の中の暗がりに、

tucasa_le thoronet_1465_R.JPG側廊突き当たり正面の
組紐文様のステンドグラスが黄色く浮かんでいて、
すっかりご長女さまに心奪われてしまった。

階段を4段降りて側廊があり、
北へ3段降りて身廊で、

この3段分の高低差が
翼廊ではレベルが一緒になっている。

つまり側廊はスロープで、
身廊と側廊の高低差がベンチのようになっていて、
こうした高低差だけで、様々な空間変移が感じられる。

内部で7段下がって、アーケードも尖頭アーチになっているからか、
想像していたより天井が高く感じた。

きっちり真東に軸線を合わせた内陣の3つの窓と
アプス上部の丸窓からの光が辺りの石を黄色く染め、

tucasa_le thoronet_0662_R.JPG南側の翼廊の上部に穿たれた
紫色のステンドグラスからの光が
翼廊をピンクに染めていた。

西側を見返すと、
青や緑のステンドグラスになっている。

すべて単一の石で造られた、
小さな窓からの自然光による

ストイックな空間を想像していたから、
色のインパクトに少々驚いた。

つづく。


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2018年07月03日

チョイ住み in paris 4

パリに来たら、オペラやバレエ好きでなくとも
オペラ座は一度は訪れてみたい場所だろう。

ギリシャ・ローマの古典建築の文法を使った
威厳にエレガントな要素を加えた非日常空間で、パリの宝箱だ。

カラヤン風マオカラースーツと足元までドレスアップして
パリの街を歩くのはまた違った気分だったけれど、

オペラ座の内部に足を踏み入れたら、、、

劇的な階段のある吹抜け空間は、
人々を様々な角度から眺める場所へ誘惑し、
照明の灯りに照らされた石の色調は品があって居心地がいい。

赤いベルベットと金の彫刻で飾られたボックス席の
一番前の席でバレエの鑑賞を楽しんだのだけれど、

ボックス席のお部屋に入るドアには、ノブがついておらず、
係の男性が持つノブを差し込んでドアを開けて下さるのでした。

tucasa_paris_1949_R.JPG丸い天井のシャガールの色彩が
華を添えていた。

オーケストラピットの先の舞台の奥行は、
1階席と同じくらいあるのではと思うほど深く、

演目の演出が笑って楽しめるもので、
この日の観客の反応もすごく良くて、
ここでしか味わえない気分を体験できた。

舞台が跳ねた後、この別世界から去るのを惜しみながら
帰る観客たちを眺めていると、
中学生や高校生だろうと思われる子達も見えて、

ある女の子がバレリーナに成り切って、
振り付けをしながら帰る純粋な姿が印象的だった。

夜10時を過ぎて外の通りに出てみると、
まだ明るくて、夜が長いパリなのでした。

パリに暮らすほとんどの方が集合住宅だから
身近に立ち寄れる緑のある公園は、かけがえのない場所だろう。
パリにはそんな場所が幾つもある。

tucasa_paris_1461_R.JPGリュクサンブル公園は、花々の植え込みや
マロニエの樹々が木陰を作って、
夏には避暑地にもなる。

木陰のベンチから
陽の当たるあたる光景を眺める。

本を読む人、イヤホンを耳に当てて音楽を聴いている人
水着風の出で立ちで日光浴する人、

ここは広いから、自分だけのテリトリーを作って、
皆プライベートルームのようだ。

厳しい長い冬を経て待ち望んだ、
光に満ちた束の間の夏を満喫したい人々にとっては、

陽だまりに腰掛けを据えて、
顔を太陽に向けて目を閉じている。

8月半ばを過ぎるとマロニエの葉が黄色付いて、
9月の声を聞くと冬を肌で感じ、

再び訪れる薄暗い冬の厳しさへの備えが、
バカンスの真髄だろう。

パリにカフェができたのは18世紀からで、
それまでは王侯、貴族が文化や情報の場として
社交界を持っていたけれど、

文化が大衆化し、市民がカフェで
芸術や思想、哲学を語れるようになった。

以前は画家も王侯や貴族からの注文だけで描いていたのが、
アトリエを持って市民の注文にも応ずる時代になる。

大革命は18世紀の終わりだった。

リュクサンブール公園の外にあるカフェは、
僕のお気に入りの場所になった。

日本と違って公衆トイレがなかなか見当たらないから
休憩ポイントでもあるけれど、

ここは街路のテーブルごしに車の行き交う、
向かいの建物を見るのではなくて、
リュクサンブール公園の樹々を眺める。

日本だと車の排気ガスが気になるけれど、
ここではただ気持ちがいい。

もっとも蚊にも刺されない。
湿気が少ないからなのか、

人口密度が低くて手つかずの自然がたっぷりあるから
人間の居場所に来る必要がないからなのか。

あっという間に地元の馴染み客でテーブルを囲まれた。

tucasa_paris_1349_R.JPGセーヌ河沿いには古本屋が軒を連ねて、
パリ市内だけで
30を越す橋が架けられている。

この街で季節を超えたら、
「ミラボー橋」や「枯葉」のような
詩情溢れる表現が浮かんでくるだろうか。

パリからは日本の国内旅行の感覚で
ヨーロッパ各地へ出掛けられる。

北イタリア、ヴェネト地方のスカルパ詣でと
プロヴァンスのロマネスク修道院への巡礼の旅に出掛けたのでした。


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2018年07月02日

チョイ住み in paris 3

西ローマ帝国滅亡以来絶えていた、円筒ヴォールトや
半円形を用いた石造建築が、11世紀クリュニー修道会によって復活され、

絵画ではフレスコ画が盛んになり、
ステンドグラスによる装飾もこの頃に始まる。

遡ると6世紀に東ゴート族のテオドリック大王が
ラヴェンナに首都を置いて以来、

古代ローマの建築技術を引き継ぐ
オリエントのビザンチン様式をもたらしたけれど、

その後東ゴートを滅ぼしたランゴバルト族は、北イタリアに定住し、
ランゴバルト王国の首都だったパドヴァが
ビザンチン文化を西欧と結びつけた。

石工職人らは、かつてのローマの石造建築を研究し、
ビザンチン建築の思考に基づいて横断アーチを掛け、

天井を石で覆う組積工法やロンバルディア帯を編み出し、
巡礼路教会の建設に伴って南仏からブルゴーニュ、
ラングドック、ルシヨン、カタルーニャまで移動した。

その交流によって、民族の大移動に伴ってイベリア半島に伝わった
西ゴート文化、アラブ文化を吸収して、イスラム文様を残している。

コーカサス地方の金属細工品にある動物文様は、
東ローマ帝国がササン朝ペルシャを倒したことで伝わった技法だけれど、

ヴァイキングや十字軍遠征による東方の文化の刺激によって、
建築技術や装飾に新しい手法が導入され、
より自分たちのアイデンティティーを求めていった。

アーチを先尖りにして、壁に掛かる応力を減らすことで壁を薄くし、
石でリブになる交差ヴォールトを造って、

リブの間のスペースは軽い煉瓦と漆喰で覆うことで、
柱によって荷重を支え、天井まで大きな窓を空けることが可能になり、

内陣の背後も身廊と同じく高窓にして、
ステンドグラスの光で満たされた空間を実現した。

高く積まれた側壁は、外側から
フライングバットレスで軽やかに支えた。

ゴシック様式に見られる交差ヴォールトのリブや束ね柱は、
木造聖堂時代の記憶を留めている。

tucasa_paris_1399_R.JPGシテ島の西側に裁判所に囲まれて建つ
サント・シャペルの中に佇むと、

天井や柱に描かれた文様とともに
パリ最古のステンドグラスの色彩が
大合唱を奏でていた。

13世紀にイギリスやスペイン、イタリアの人口が
500万人なのに対し、
フランスは3000万人もいたから

人口の数に比例して、フランスには
多くのロマネスク教会が建てられたけれど、

1950年代ヴェズレーの近くの修道士が始めた
「ゾディアック」という出版活動が、

自然と一体になったロマネスク教会の風景の価値を
再認識させるきっかけを作り、
これによって各地の調査や文化財保護活動が進んだ。

フランスは16世紀の宗教改革と18世紀の大革命で
教会や修道院の文化財が多く破壊されているから、
今は保存に余念がない。

パリのシャイヨー宮の中に建築文化財博物館がある。

tucasa_paris_0136_R.JPGフランス・ロマネスク教会のハイライトのような
ブルゴーニュ、サントンジュ、オーヴェルニュ、

ラングドック、ルシヨン、プロヴァンスなど
各地の選りすぐりのタンパンや柱頭彫刻が
見事に原寸大で復元されている。

国境が可変的で、ヨーロッパがひとつだった時代の
多様な文化の融合した手作り作品の数々を
1ヶ所でじっくり見られるなんて

ロマネスク好きには有難い博物館だった。

鋳型による復元やフレスコ画の修復技術の研鑽等、
文化財への保存に並々ならぬ決意が感じられた。

tucasa_paris_0106_R.JPGシンメトリーのシャイヨー宮の真ん中の広場から
セーヌ河を挟んでエッフェル塔が軸線上に見える。

今回パリのエッフェル塔を初めて間近で眺めた。

赤いエレベーターが
斜めの脚に合わせて上がっていくのを見たけれど、
股の空間をスッキリさせて、視界を作り、

セーヌ河に掛かるイエナ橋やシャイヨー宮までの
軸線の景観に、頑なまでの意思を感じる。

パリの街は至るところに軸線が意識されていて、
軸線の先の建物に正面性を与えて、
街並みの景観を印象づけ魅力的にしている。

友人のご好意で、シャンゼリーゼ通り沿いの歴史的建造物の中で、
普通より大きなビリヤード台でひと時を興じたんだけれど、

やはり道路を横断する際、
軸線の先にある凱旋門は少し足を止めて眺めたくなった。

オペラ座もしかり。

つづく。

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2018年07月01日

チョイ住み in paris 2

パリには紀元前3世紀頃すでにケルトのパリシイ族が
シテ島に集落を作って住んでいて、

カエサルのガリア征服時にはすでに金貨を鋳造して、
セーヌ河によって交易していた。

ローマ帝国時代、ケルト人が神々を祀っていたように
島の東側で祭祀を行ない、西側で行政が行われた。

西ローマ帝国が滅亡した後もこの配置は受け継がれて、
現在、島の東側にノートル=ダム大聖堂、
西側に裁判所やコンシェルジュリーがある。

コンシェルジュリーは、元々はカペー朝の王宮で、
14世紀末司法権を与えられた守衛(コンシェルジュ)に
管理される牢獄として使用され、

フランス革命後は、マリー・アントワネットらが投獄された。

このカペー朝からフランス王国だけれど、
三国に分割される起源となるフランク王国は、

西欧のキリスト教世界の政治的後ろ盾として、
西ローマ帝国滅亡後の中世世界を築いてきた。

遡ると元は多神教だったゲルマン部族のフランク王クローヴィスが、
ローマ=カトリックに改宗したことに始まる。

シテの名は、クローヴィスが首都(シテ)と宣言したことに因む。

8世紀ランゴバルト王国からラヴェンナを奪回した
ピピンの寄進によってローマ教皇領が本格的に形成され、

以降ローマ教皇は、教皇領を財源として
政治、経済の支配権を行使した。

カペー朝のフィリップ2世は、父の代からの
ノートル=ダム大聖堂の建設を引き継ぎ、

パリ大学の創設、道路の舗装や堅牢な城壁を建設して、
初代ローマ皇帝アウグストゥスに因んで、
オーギュスト(尊厳王)と評された。

一方でローマ教皇インノケンティウス3世の要請で
アルビジョワ十字軍を派遣し、南仏のカタリ派を徹底的に残滅した。

これによってフランス王権がプロヴァンスまで拡大し、
インノケンティウス3世は、叙任権闘争と十字軍運動によって
絶大な権力を握り、ローマ教皇領は最大になる。

キリスト教の歴史に当初から出てくる異端という言葉自体、
違和感を感じるのだけれど、

教会の腐敗・堕落を批判されると
自分たちに都合が悪いものには悪者のレッテルを貼って
消すことを正当化した。

tucasa_paris_1457_R.JPG独り言はともかくも、
フィリップ・オーギュストの城壁の遺構が
今もあちらこちらに点在している。

サン=ルイ島からマリー橋を渡ると
リセ・シャルルマーニュという

高校の校庭に残っていて、
円筒形の見張り塔もある。

サン=ルイ島から左岸に渡ると、
建物の横に存在感のある城壁が現れて、
先生に連れられて歴史探索している小学生たちと出会した。

tucasa_paris_1433_R.JPGノートル=ダム大聖堂前の広場の地下で、
古代ローマ時代の床暖房設備等の遺構が
発見されていて、

シテ島の左岸には古代ローマ時代の
劇場や闘技場跡が残っている。

3世紀のユリアヌス帝の浴場跡もあり、
それをクリュニー修道会が買い取って、

tucasa_paris_1446_R.JPG14世紀にパリの住まいとして建てられたのが
現在のクリュニー中世美術館で、
たまたま改修工事中だった。

14世紀初頭の城壁で囲まれたパリの市街図を見ると
サン=ルイ島はまだ無人だったようだ。

僕が20年前初めてパリを訪れて以来、
ルーブル宮殿の外壁に囲まれて、

中心にガラスのピラミッドのある広場の景色は、
ここでしか味わえないものがあるけれど、

元は12世紀にフィリップ2世がパリを囲む城壁の外に
セーヌ河を遡って攻めてくるノルマン人への備えとして
馬出のように要塞として築いたものだ。

今や紀元前の貴重な美術品をはじめとした世界の美術の宝庫だけれど、
当時は町外れの武器庫と文書などの倉庫だった。

パリには、他にもヴァンドーム広場やヴォージュ広場のように
建物の外壁で囲われた公共のリビングのような場所が幾つもある。

つづく。

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