2017年10月09日

ボローニャの休日 1

フィレンツェから電車でボローニャへお出掛け。

ボローニャと云えば、ポルティコ(柱廊)の街。
歴史的市街地は都市廊とも言えるほど、
街中を雨の日も真夏の日差しも避けて歩けそうだ。

tucasa_bologna_ 1553_R.JPGその特徴ある街並みは、
12世紀頃まで遡れるらしい。

それはボローニャが法学を学ぶ都市として
存在感を増していく時期と重なる。

その後の都市としての発展は、イルネリウスが
ローマ法全体の注釈を行ったことから始まった、
と云っても過言ではない。

その頃アルプス以北の街では、
文字の読み書きができたのは聖職者で、

教会付属の学校か修道院でしか学べなかったのに対して、
イルネリウスが教養学などの私塾の教師だったように
一般の学識者が専門性を活かせる活動の場があり、

また法学のような高度な学問を修める場が
一般人にも広く開かれていた。

tucasa_bologna_ 1528_R.JPG文書作成法が発達したことで知られるボローニャは、
高い文化を誇るビザンチン帝国の玄関口であり、

ローマ皇帝とローマ教皇の勢力の狭間にあって、
比較的自由な街であり、

ローマ時代からの交通の要所であったために
多くの学生が東西2キロの城壁に囲まれたこの街に押し掛けた。

教師の家に下宿できるのは、最初のうちで、
膨れ上がる数の学生を収容する部屋が必要になる。

tucasa_bologna_ 1558_R.JPGこの頃の建物は木造で、ボローニャでは、
建物の基礎にも木材が使われていたんだけど、

街路に建物が連なる状態では、
道路の上に張り出さざるを得なかった。

こうして木材で支えた
ポルティコの街並みが形成された。

外来の学生が多く住むようになると、
暴力行為や家賃、書籍等様々な問題が生じ、
教師の私塾の枠を超えて、同郷で団結する必要性が出てきた。

それが学生団体ユニヴェルシタスであり、
その後のボローニャ市からも教皇からも公認された
学生主体のボローニャ大学で、

司教座教会付属の大学である
パリ大学とは性格を異にする。

校舎ができるのは16世紀ですが、
ヴェネツィアのサン・マルコ広場を囲む建物のように
2層に開放的なアーチが連なる。

他の都市のシンボルは司教座教会であるけれど、
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院がドージェの礼拝堂であるのと、

tucasa_bologna_ 1459_R.JPGボローニャの中心マッジョーレ広場に建つ
サン・ペトロニオ聖堂は、

教皇権に対抗して市民が建設した
市民の聖堂だ。

ちなみに世界一の教会として
着手したんだけど、

ローマ教皇がサン・ピエトロ大聖堂よりも
大きな教会を許さず、建設資金を打ち切って、
今尚未完のままだ。

でも僕には市民の方々の
精神的な誇りを感じる景色に思えるのでした。

つづく。

司建築工房

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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活








posted by Koji at 20:31 | TrackBack(0) | 建築ツアー
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