2017年10月10日

ボローニャの休日 2

学都としての名声と経済効果がもたらされた12世紀頃、
ポー川からレノ運河が造られ、
水運の面では恵まれてなかったボローニャに水が引かれた。

tucasa_bologna_ 1651_R.JPG市街地の地下に大小の運河を張り巡らし、
地下に木製の紡績機を設置して、

引込んだ水力エネルギーで水車を廻して、
15世紀頃には絹織物の

一大産地になっていた歴史は
意外と知られていない。

運河はヴェネツィアまで及び、絹織物の他製粉など
水路を使って流通し、ヴェネツィアからは塩などを持ち帰った。

現在でも街の中で運河を確認できるところがありました。

第二次大戦時ボローニャは戦場となり、
かなりの空爆を受けていることは日本と同じだけれど、

今だに中世の街並みを継承しつつ、保たれていることは
歴史的建造物に対する考え方が違った。

日本は明治維新で一度、
街並みごと自分たちの文化を否定してしまった。

文化とは、人々の長い暮らしの中で育まれた
心と形の伝承だと思うんだけれど、

戦後アメリカ型の大量生産、大量消費時代の中、
日本の住宅はプレハブメーカーによって商品になり、
全く新しい工業製品の街並みに変わった。

近代化への憧れは、歴史に無頓着な進歩主義と
本物の持つ豊かさへの無知によって盲目的に破壊していった。

ボローニャの人々は、「新しい社会のための古い街」という、
住人たちの様々な営みによる人間的魅力に溢れた
歴史地区の庶民住宅を保存修復することを選んだ。

tucasa_bologna_ 1649_R.JPG市民にとっての住みやすい
都市環境の保全を目的として、

類型学を参考に歴史的街並みを再生させ、
内部は必要な用途に改造して、
近代設備を導入し、新しい機能を生み出した。

これらには自治体や庶民住宅局と州が
財政負担をし、借家人や家主の権利の保護に当て、

膨大な額の民間投資が行われ、
民間主導で一戸一戸の修復事業をやった。

文化財建築から手掛けるのではなく、
観光化は全くされていない。

tucasa_bologna_ 1521_R.JPGイタリアの都市が自治権を獲得してゆく時代、
コムーネが司教に変わって
世俗権力を掌握してゆく頃には

100近くの塔が
この街に林立してしたらしいんだけど、
今では2つの斜塔が持ち堪えている。

tucasa_bologna_ 1514_R.JPG
一つのまとまった建物ごとに
それぞれ特徴のあるポルティコが連続し、
地元の土の色、

ビザンチンやイスラム文化の影響も見られて、
都市ごとに個性のある街並みを擁するイタリアは、
興味が尽きません。

ネプチューンの噴水は修復中で、
女神の乳房から水が出るのは
見られなかったけれど、

一日中街を歩いて色んなポルティコを楽しみ、
旅の疲れか、ロマネスクの素朴な
クローチェフィッソ教会の礼拝席で

tucasa_bologna_ 1578_R.JPG美しい賛美歌に眠りを誘われ、
サン・ドメニコ教会の後陣を囲う回廊の中庭に心を洗われました。

様々な職人工房の文化と感性が息づく街。


お気に入りの、古代ローマ時代から2000年続く
マジョーレ広場前のポルティコで、
職人の生きざまや哲学に希望を抱きつつ、

ナチスドイツとファシストの連合勢力を
街から追い出したレジスタンスの
住民自治を慈しむのでした。

司建築工房

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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活
posted by Koji at 21:03 | TrackBack(0) | 建築ツアー
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