2017年10月03日

チョイ住み in Firenze 2

フィレンツェでは13世紀の終から、
シエナやピサの大聖堂に対抗して、
3万人を収容できる大聖堂が着工されていた。

すでに地上45mの高さの八角形のゴシックの壁ができていて、
そこに直径43mのクーポラを架ける解決方法を
1418年ブルネレスキが提案している。

ローマのパンテオンは、軽量コンクリートという
驚くべき技術で実現させたけれど、

ブルネレスキは、コンクリートではなく、仮枠なしで、
煉瓦を二重構造の格子状のアーチにして、

一定の位置で杉綾形に積んで、
木材と鉄のテンションリングで締め付けて実現させた。

足場や荷積み作業のプラットホームなど
難工事の作業実務の工夫を職人に指示し、

道具の発明まで現場の監理に関わった人で、
クーポラは1420年から16年で完成した。

tucasa_firenze_ 535_R.JPG正面の装飾や外装の3色の大理石が
完成するのは19世紀の後半だけれど、

街路や窓から見える
S・M・デル・フィオーレ大聖堂の

八角形の美しい煉瓦製ドームは
後世の人々に残した素晴らしい遺産だ。

古代ローマ建築に触発されたブルネレスキは、
ゴシック聖堂のようなそびえ立つ美ではなく、
数学的に各部の比例が調和した美を描いていた。

大聖堂の工事監理者が決定するまでの間の1419年、
その理想を初めて形にしたのが、無垢な子供のための養育院だ。

アーケードの柱とアーチは、
円と正方形の単純な比例になっていて、

鉄製の細いタイバーで横揺れを防いで、
柱は細く、壁は薄く、軽快な表現で、
ヒューマンスケールの建築を生み出した。

tucasa_firenze_ 337_R.JPG構造と仕上げは分離して、
ピエトラ・セレーナの砂岩と漆喰塗りに

可愛らしい子供のメダイオンの青が
調和の取れたアクセントになっている。

神のためではなく、
人のためのルネサンス建築だ。

後継者がアンヌンツィアータ広場を囲む建物を
同じ様式と材料と色で統一感を与え、

S・M・デル・フィオーレ大聖堂の
ドームに向かって、軸線を与えた。

tucasa_firenze_ 897_R.JPGブルネレスキが設計したサン・ロレンツォ教会や
サンタ・クローチェ教会パッツィ家礼拝堂も

設計者と現場監督の立場で建築を味わうほどに
大変な熱意と苦労を感じ入る。

14世紀以降、戦争に
火薬が使われるようになると

市壁など敵の砲撃に耐えるだけの強度が必要になり、
ブルネレスキやレオナルド・ダ・ヴィンチは、
軍事構築物の設計、監督もするようになる。

古代ローマに学んだブルネレスキとドナテッロは、
パトロンの望むまま、彫刻でも金属細工でも
建築でも何でもこなした。

つづく。


司建築工房

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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活


posted by Koji at 21:37 | TrackBack(0) | 建築ツアー
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