2018年07月03日

チョイ住み in paris 1

久しぶりのパリは、様々な歴史と文化の宝庫で、
全てを味わうには一生では不可能かと思えるほどだ。

セーヌ河の中洲、サン=ルイ島にチョイ住みして、
パリの中の古代、中世をテーマに
許される時間を過ごすことにした。

tucasa_paris_1907_R.JPG窓の外に身を乗り出すとセーヌ河が見える、
5階建て+屋根裏部屋のアパルトマンの
5階で、コンパクトだけど機能的なパリ生活。

キッチンに換気扇はないけれど、
洗濯物は窓際に干しておけばよく乾く。

窓際の天井が屋根勾配のフォルムを作って、
窓からは、通りを挟んだ向かいの灰色の板金屋根や
茶色い土管の煙突も間近に見られる。

朝になると窓を開けて、陽の光を浴びて
下の通りの様子を伺うマダム。

映画「裏窓」のように人間ウォッチングしてしまう。

1665年に建てられたというこの建物の
窓の外や屋根の水切りと樋はブリキだ。

朝の清々しい空気を感じて散歩がてら、
朝8時に開く八百屋とパン屋で買い出しした。

ムッシュ、今日も良き一日を!といつも声を掛けてくれた。
ここではロボットのようなお声掛けの違和感は全くない。

アパルトマンの螺旋階段の真ん中に
上手いこと設置されたエレベーターを挟んで、
お向かいに暮らすパリジェンヌとも挨拶を交わす。

玄関戸など当時のものは新しいものに変えてはならず、
高さ制限の規制緩和以前の17世紀の街並みの景観を保っている。

tucasa_paris_1383_R.JPGサン=ルイ橋を渡ると、シテ島の
ノートル=ダム大聖堂の後陣が見えて、

石の天井の重みをフライングバットレスという
アーチ状の梁で支えるゴシックの外観に
異国情緒を感じる。

内陣を東に向けるのは、ケルトよりはるかに古い
巨石文化に続く、土俗的な太陽信仰が根本にあるけれど、

傍を通ると雨樋のガーゴイルがユニークで
思わず足を止めてしまう。

細かい浮彫や線の表現と古代のヘレニズム的人像や
タンパンも尖頭アーチだけれど、
他民族に由来するモチーフのロマネスク的彫刻も混在している。

これらがパリで採掘された石で積み上げられ、
パリの街の地下には全長350キロもの坑道が
今も残っているという。

tucasa_paris_1363_R.JPGゴシックの教会は北フランスから始まり、
いずれもノートル=ダムという名前だ。

都市の団結の象徴として、
聖母マリアを共通の聖人とした。

いにしえから都市には富があるから
略奪の対象になるのだけれど、

9世紀、シャルルマーニュ大帝の死後、フランク王国が分割され、
その内紛が北からノルマン人、東からマジャール人、
南からサラセン人の侵入の機会を与えてしまう。

他民族の侵入は、防備に変革をもたらし、
運命共同体としての役割分担が階級社会を一層明確にし、
自治都市が形成されていった。

他民族の侵入が落ち着いた10世紀頃からは、
人口が増加し、定住率が高まり、

11世紀からの大開墾時代、
多くの修道院が建設され、農業経済が進展した。

サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路や
ローマ時代の道路が機能していたガリアの交通ルートと
河川交通が港湾都市とも結びついて、

人の往来や交易が盛んになり、西欧を豊かにし、
そのことが文化の伝播にも大いに貢献した。

市民を収容するノートル=ダム大聖堂の正面に
クリスマス前になると、大きなツリーが飾られる。

この習慣は19世紀からだけれど、
クリスマスツリーは元々、古いケルトの聖樹信仰だ。

ヨーロッパは、12世紀まで3分の2が森だった。

森はケルトの人々にとって、
生活に必要なものを提供してくれる聖なる場所で、
彼らは木の文化を持っていた。

今やパリの街は、組積造の外壁が
あらゆる方向の軸線を持つ街路を形成しているけれど、

ルネサンス以前は、木造の民家が建ち並んで、
木造の教会も多かったそうだ。

サン=ルイ島からルイ・フィリップ橋を渡ると
15世紀の木造民家が幾つか現存していた。

古代ローマ時代の道路を繋ぐ、木の橋だったプチ・ポンは、
12世紀に石橋に変わった。

つづく。

司建築工房

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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活




posted by Koji at 20:49 | TrackBack(0) | 建築ツアー
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