2018年07月02日

チョイ住み in paris 3

西ローマ帝国滅亡以来絶えていた、円筒ヴォールトや
半円形を用いた石造建築が、11世紀クリュニー修道会によって復活され、

絵画ではフレスコ画が盛んになり、
ステンドグラスによる装飾もこの頃に始まる。

遡ると6世紀に東ゴート族のテオドリック大王が
ラヴェンナに首都を置いて以来、

古代ローマの建築技術を引き継ぐ
オリエントのビザンチン様式をもたらしたけれど、

その後東ゴートを滅ぼしたランゴバルト族は、北イタリアに定住し、
ランゴバルト王国の首都だったパドヴァが
ビザンチン文化を西欧と結びつけた。

石工職人らは、かつてのローマの石造建築を研究し、
ビザンチン建築の思考に基づいて横断アーチを掛け、

天井を石で覆う組積工法やロンバルディア帯を編み出し、
巡礼路教会の建設に伴って南仏からブルゴーニュ、
ラングドック、ルシヨン、カタルーニャまで移動した。

その交流によって、民族の大移動に伴ってイベリア半島に伝わった
西ゴート文化、アラブ文化を吸収して、イスラム文様を残している。

コーカサス地方の金属細工品にある動物文様は、
東ローマ帝国がササン朝ペルシャを倒したことで伝わった技法だけれど、

ヴァイキングや十字軍遠征による東方の文化の刺激によって、
建築技術や装飾に新しい手法が導入され、
より自分たちのアイデンティティーを求めていった。

アーチを先尖りにして、壁に掛かる応力を減らすことで壁を薄くし、
石でリブになる交差ヴォールトを造って、

リブの間のスペースは軽い煉瓦と漆喰で覆うことで、
柱によって荷重を支え、天井まで大きな窓を空けることが可能になり、

内陣の背後も身廊と同じく高窓にして、
ステンドグラスの光で満たされた空間を実現した。

高く積まれた側壁は、外側から
フライングバットレスで軽やかに支えた。

ゴシック様式に見られる交差ヴォールトのリブや束ね柱は、
木造聖堂時代の記憶を留めている。

tucasa_paris_1399_R.JPGシテ島の西側に裁判所に囲まれて建つ
サント・シャペルの中に佇むと、

天井や柱に描かれた文様とともに
パリ最古のステンドグラスの色彩が
大合唱を奏でていた。

13世紀にイギリスやスペイン、イタリアの人口が
500万人なのに対し、
フランスは3000万人もいたから

人口の数に比例して、フランスには
多くのロマネスク教会が建てられたけれど、

1950年代ヴェズレーの近くの修道士が始めた
「ゾディアック」という出版活動が、

自然と一体になったロマネスク教会の風景の価値を
再認識させるきっかけを作り、
これによって各地の調査や文化財保護活動が進んだ。

フランスは16世紀の宗教改革と18世紀の大革命で
教会や修道院の文化財が多く破壊されているから、
今は保存に余念がない。

パリのシャイヨー宮の中に建築文化財博物館がある。

tucasa_paris_0136_R.JPGフランス・ロマネスク教会のハイライトのような
ブルゴーニュ、サントンジュ、オーヴェルニュ、

ラングドック、ルシヨン、プロヴァンスなど
各地の選りすぐりのタンパンや柱頭彫刻が
見事に原寸大で復元されている。

国境が可変的で、ヨーロッパがひとつだった時代の
多様な文化の融合した手作り作品の数々を
1ヶ所でじっくり見られるなんて

ロマネスク好きには有難い博物館だった。

鋳型による復元やフレスコ画の修復技術の研鑽等、
文化財への保存に並々ならぬ決意が感じられた。

tucasa_paris_0106_R.JPGシンメトリーのシャイヨー宮の真ん中の広場から
セーヌ河を挟んでエッフェル塔が軸線上に見える。

今回パリのエッフェル塔を初めて間近で眺めた。

赤いエレベーターが
斜めの脚に合わせて上がっていくのを見たけれど、
股の空間をスッキリさせて、視界を作り、

セーヌ河に掛かるイエナ橋やシャイヨー宮までの
軸線の景観に、頑なまでの意思を感じる。

パリの街は至るところに軸線が意識されていて、
軸線の先の建物に正面性を与えて、
街並みの景観を印象づけ魅力的にしている。

友人のご好意で、シャンゼリーゼ通り沿いの歴史的建造物の中で、
普通より大きなビリヤード台でひと時を興じたんだけれど、

やはり道路を横断する際、
軸線の先にある凱旋門は少し足を止めて眺めたくなった。

オペラ座もしかり。

つづく。

司建築工房

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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活


posted by Koji at 20:58 | TrackBack(0) | 建築ツアー
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