2011年02月18日

京の冬の旅1

今、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」にちなんだ寺院の
非公開文化財が特別公開されている。

P2165289.JPGまずは養源院から。

ここは淀殿(茶々)が父浅井長政を弔うために
秀頼を産んで、秀吉がご機嫌の時に
頼み込んで建立したものだ。


しかもここは平安時代の後白河天皇の住まいだった一等地。
長政の21回忌、養源院は長政の戒名だ。

しだれ桜が満開になったら素敵だろう。

P2165285.JPG一族が生き延びていくために惨い政策を
余儀なくされた戦国時代の人間模様は、
歴史の醍醐味のひとつなんだけど、

淀殿にしてみれば、
父を信長軍の秀吉に滅ぼされて、
10歳の兄万福丸を秀吉に殺されて、

母(お市)も柴田勝家と共に秀吉に滅ぼされて、
そんな憎い相手の側室となるのだけれど、

淀殿も母お市さんのため、浅井の血を絶やさないために
秀吉にしたたかにすがるしかなかった。

P2165281.JPG本堂の真向かいに母お市さんの供養塔を建てて、
真ん中に風穴の空いたデザインは、

浅井家と織田家の狭間で苦労したことと
直接殺めた秀吉のことを
水に流したいという表現なのだとか。

開山は比叡山の僧、成伯法印(信長のいとこ)で
信長の比叡山焼き討ちの際、
たまたま奥州に行っていたため生き延びた方だ。

本堂には俵屋宗達の襖絵「松図」。

金箔地に岩絵の具で描かれた老松の枝ぶりは
苦労を重ねて歩んだ武将たちの人生を称えるかのごとく立派で、

美術館のガラス越しではなくて、
部屋の襖として自然光で眺めるのだから格別だ。

俵屋宗達の杉戸絵「唐獅子図」「波と麒麟図」「白象図」。

非業の死を遂げた武士たちの霊を慰めるために
極楽に運んでくれる動物たちをコミカルに描いている。

伊藤若冲よりも前にこんな斬新な表現をしていたとは。
これ宗達?って感じるほどだ。

狩野山楽の襖絵「牡丹図」はもう少し近くで見たかった。

廊下の血天井は、家康の家臣・鳥居元忠が伏見城を死守して、
最後に自刃した生々しい血痕の付いた廊下の床板だ。

元忠はわずか1800名で伏見城の留守をするという
完全に死を覚悟して囮(おとり)を買って出た。

石田三成軍率いる4万の兵に囲まれながらも
12日間勇敢に耐えたことが、

家康軍の関ヶ原の戦いの勝利に大きく繋がった。

家康はこの働きのおかげで天下を取れたと
遺族に感謝状を書いたらしい。

今の養源院は一度焼失の後、徳川秀忠に嫁いだ
お江さん(崇源院)が秀忠に頼んで再建したもので、

伏見城の血痕の付いた床板を
功績を称えて天井として用いた。

そもそもお江と秀忠の祝言(しゅうげん)は
秀吉と淀殿の媒酌で伏見城で挙げているので

お二人にとって想い出の城なのだ。

お江は大阪城落城の1年後、
淀殿のためにここで豊臣の法要を行っている。

外に出ると運よく、副住職の方にお会いできて、
いろんな貴重なお話が聴けた。

お墓にお供えしてある菊の花びらをヒヨドリが食べに来て
丸坊主にするので、こうして換えてるんです、と。

P2165280.JPGお江さんの大きな供養塔は秀忠との間にできた
五女の和子(まさこ)(唯一朝廷に嫁いだ東福門院)

がお江七回忌の時に建立したもの。

四方に梵字が刻まれていて、東(近江)は浅井。
南(伏見・大阪)は豊臣。
北(御所)は皇室。
西(正面)は徳川。

以来、徳川家の菩提寺として守っていく。

苦労した東福門院の天下太平の願いが込められていて、

お江と秀忠のお位牌には菊(皇室)葵(徳川)桐(豊臣)
の家紋が刻まれている。


司建築工房

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posted by Koji at 23:34 | TrackBack(0) |
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