2013年11月25日

性善律師の法要

古き良き日本文化を愛する僕にとって、
奈良は思わず何度も足を運んでしまう場所の一つだ。

1469919_512309355533650_1829045636_n.jpg四季が変わる度、
大仏様にご挨拶をするのだけれど、
いつもほっとする。

高野山真言宗・阿闍梨の渡部さんから、
江戸時代に活躍した性善律師の
250年忌法要にお招きいただき出席した。


この日、小林一郎先生と
奈良での神社仏閣・仏像めぐりをご一緒させて頂いた。

1426733_512309398866979_2031748674_n.jpgとりわけ、高さ15mの大仏様の足元に上がり、
祈るという貴重な体験をさせていただいた。

現在の大仏殿は江戸中期の再建なんだけど、
間口57m、奥行50m、軒高49mと
世界最大の木造軸組建築だ。

江戸中期で既に、
柱に使えるほどの大木が調達できず、
何本かの木を束ねて鉄のタガで締めた集成柱だ。

元は小さな材を組み合わせて
大きなものをつくる中国の技術だけれど、

虹梁の材料を確保するため、
霧島の直径2m長さ30mの赤松2本を運ぶのに
10万人と牛400頭を要したと云われる。

577552_512309455533640_2127954481_n.jpg今度焼失してしまったらもう同じものは建たない。

鎌倉時代に重源が再建した時には
間口が87mあった。

戦乱で人々が苦しむ中、
重源は自ら全国を廻り勧進に努めた。


柱は山口県の山奥から切り出し、ダムを作って水を貯めて
材木を入れ、川を作ってダムを壊し、一気に材木を流して、

瀬戸内海を船で運び、道路を作って、
直径1m、長さ30mの桧を84本運んだ。

大仏像に消鍍金(けしめっき)によって塗られていた金は、
源頼朝や奥州藤原氏から寄進された。

南大門だけは平氏の焼き討ちを免れ、今も現存しているけれど、
奈良時代の創建時から西に正門があったものを南に移した。

平安時代の寝殿造りの手本となった
中国の四合院とともに伝わった「天子南面」の思想だろう。

移ろう季節や恋を謳う貴族たちは、末法思想に取り付かれ、
救いを阿弥陀如来に求め、この世の極楽浄土を作ろうと
宇治の平等院鳳凰堂や浄土式庭園などが作られた。

大仏殿再興事業の拠点のひとつ播磨に、
重源が浄土堂を建て、阿弥陀如来を安置して、

源平の合戦で亡くなった人々を
敵味方なく供養したことに想いを馳せて、

御仏のご縁に感謝するのでした。


司建築工房


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 大地の樹木 本物の素材 火のある生活
posted by Koji at 21:28 | TrackBack(0) | 交流
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