2018年07月06日

セナンクを訪ねて

ル・トロネ村で宿泊した
L'Ancienne Poste のオーナー、ポーランド出身のハンナが、
滞在中にしてくださったご好意は、一生忘れないだろう。

村には食材を買えるお店がないからと
遠くのスーパーに連れて行ってくれたり、
全てをここでは語り尽くせない。

次の巡礼地、プロヴァンス3姉妹の
ご次女さまに会うためリュベロン地方へ。

近くには、古城を頂として階段上に建物が折り重なった、
天空の城とでも呼びたくなるゴルド村があり、

tucasa_senanque_0896_R.JPGその丘に登り、今度は山道を下っていくと
ヴォークリューズの谷に
セナンク修道院がある。

最初は俯瞰して眺め、
徐々にコンバーチブルで降りてゆく
楽しみを味わったのだけれど、

山の頂上付近で、すでにラヴェンダーの香りが
風に乗って、入浴してるかのようだった。

かつてこの谷には、川が流れていたらしく、
水の需要を十分に満たしたらしい。

tucasa_senanque_1098_R.JPG石材は、北のひと山越えた辺りで採掘され、
石の屋根には、岩肌の見える
この丘のものが使われている。

日々の信仰と生活の機能に適うように、
回廊を中心として、3姉妹とも
ほとんど同じ規模と平面構成になっているけれど、

シトー会の思想が建築に表れ、
すでにゴシックの交差リブヴォールトを採用していて、
優れた音響効果を生み出している。

セナンクでは現在も修道生活が営まれていて、
聖堂の内部でグレゴリオ聖歌の神秘的な響きを聴いた。

谷の敷地の関係で、セナンクでは聖堂の内陣が、
東ではなく北向きになっている。

身廊の上部にはクリア・ストーリーが設けられていて、
新たな光のグラデーションの試みが感じられる。

下から見上げる窓のエッジと柱やアーケードの角の精度は、
ル・トロネと同様の精神性が宿っていた。

tucasa_senanque_1085_R.JPG回廊の柱頭彫刻には、
ギリシャのオーダーを想わせる

アカンサスの葉や
様々な植物文様が刻まれていて、

樹の不死を示すヘレニズムの普遍性の中に
ケルト的な葉や蔓の繁茂の思想が織り込まれている。

回廊の原型は、地中海沿岸で生まれ、
建物の内部に作られているから
外部の音は遮断され、静寂が保たれる。

モンテ・カッシーノ修道院には、すでに回廊があった。

ヴォークリューズの谷は、周りの山で隔絶されて、
修道院の他に建物は一つもない。

石の回廊でさらに隔絶された中庭の緑の静寂は、
あたかもヴォークリューズの閑居で頂く
一服の茶碗の茶溜まりのように思われた。

修道院の核心は、「ひとり」で住むことで、
砂漠や洞窟から始まり、東方に起源を持つ。

キリスト教は、コプトやユダヤ的閉鎖から
「ひとり」を尊重しながらも「共同」で隠修する
普遍へと開かれてゆく。

「サイエンス」誌上に掲載された、フランスの各地に残る
洞窟壁画を描いたネアンデルタール人は、孤立して滅び、

身体的に劣るホモ・サピエンスが集団生活をし、
宗教を持つことで連帯感が生まれ、
危機を助け合うことで生き延びた。

外に出て、日陰に腰を下ろしていると気持ち良くて、
辺り一面に立ち込めているラヴェンダーの香りに浴しながら
この風の谷の風景にしばらく身体を緩めることにした。

tucasa_senanque_0992_R.JPGリュベロンでは、あちらこちらの
ラヴェンダー畑に目を奪われた。

ゴルド村の近くに、ボリーと呼ばれる
板状の石だけで積み上げた、

新石器時代から伝わる建築で、
ローマ時代から続いていた集落があった。

笠木だけ板状の石を立てる石積みの塀も
この地方の伝統だろう。

tucasa_senanque_0965_R.JPGプロヴァンスでは二つのメゾン・ドットで、
19世紀のフランスの田舎暮らしを体験して、

旬の食材と手作りの心を頂き、
のんびり過ごせた。

心落ち着ける幾つもの景色は、
良き瞑想の助けになってくれるだろう。

ラヴェンダーの紫色が際立つ季節、
赤いひなげしの花と糸杉の長閑な風景に
心も身体も癒された旅になったのでした。


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2018年07月05日

ル・トロネを訪ねて 2

彩り豊かな花咲く盛夏のプロヴァンス。

朝から閉館まで居たけれど、
色の光の変化による石の表情は飽きることがなかった。

大地の鉱物である石は、
永遠性の象徴として古来から崇められ、
信仰の対象になってきたけれど、

純粋な石の空間がもたらす美しさは、
美意識を超えた力として日本人の僕に迫ってくる。

木と違って石は瞑想するんだと。

tucasa_le thoronet_1171_R.JPG切石の柱やアーケードの角の精度や、
特に光が横から差し込む窓のエッジの曲線の精度は、

手彫りの跡とともに、
造り上げた現場の様子を想像して尽きなかった。

このエッジのディテールが光と影に表情を与えていて、
その精神性と豊かなイマジネーションに感じ入る。

ヘレニズムや彫塑性とは全く異なるロマネスクだけれど、
アニミズム信仰による精神性を表現したアフリカ美術とは違い、

やはり古代ギリシャ以来の直線や正円、
同じ形の繰り返しの美意識による数学的比例に基づいている。

平面寸法や窓の大きさと位置や数、立面や回廊のプロポーションも、
アーケードの柱の寸法や柱頭の角度も、ありとあらゆる寸法の根拠が、

比例と意味を持った特定の角度によって決定され、
光のグラデーションが慎重に考慮された。

心地良い秩序とリズムの感覚は、
可聴的協和音と幾何学的比例によって、
永遠の調和を反映する思想が流れているからだろう。

小学生の校外学習で引率していた先生の一人が、
聖堂でグレゴリオ聖歌を子供たちに歌って聴かせた。

修道院の聖務日課では、単旋律を全員で歌うことによって生じる
神秘的な共振の響きだったと思うけれど、
音楽は永遠の調和を反響するもので、建築と同等の価値を持った。

グレゴリオ聖歌にもギリシャ的な数学的思考が内在する。

音を楽譜に書き留めて後世に伝えるアイデアは、
グレゴリオ聖歌から生まれ、五線譜に発展した。

その他の様々な部屋へ階段で上へ下へ行き来し、
山の斜面を切り開いた敷地の特徴を生かした高低差の
空間構成の妙も特筆すべきだけれど、

tucasa_le thoronet_1460_R.JPGル・トロネの白眉は回廊で、
回廊自体の階段と傾斜路による高低差と

根底に流れる重要な角度の半角ずつ
長方形を崩した形、
各方位のアーケードの数と長さの比率が

唯一無二の、飽きることのない滋味と雰囲気を作り出している。

シトー会の修道院回廊は、ブルゴーニュ地方に今もなお
清らかな泉の湧く森の中に、12世紀のままの風景を留めている、
フォントーネ修道院にその原型を見るけれど、

ル・トロネは、回廊のアーケードのプロポーションは同じでも、
回廊の長さに応じて幅と高さを換えて各々バランスを取っている。

古典主義の比例関係を、
異なるスケールで調和的に並存させることは、
ルネサンス以降の特徴で、

ゴシックは基本的に、モチーフを一つのスケールで用いている。

見る者に快い調和をもたらすバランス感覚と評された
パラディオよりは少ない語彙ではあるけれど、
すでにロマネスク時代にそのバランス感覚を作り出した。

tucasa_le thoronet_0674_R.JPG分厚いアーケードごしに、
回廊の床より高い中庭の緑に
真っ赤な薔薇が咲いていた。

薔薇の歴史は古く、古代エジプト時代からあり、
ギリシャ神話のアフロディーテが海から生まれた時、
最初に咲いた花が薔薇で、

中世薔薇は、ゴシックの円い
薔薇窓に表現されるように
聖母マリアへの愛のシンボルだった。

回廊の静寂は、日本の茶室と同様、
水の音や鳥の声に耳を澄ます条件であり、恵みである。

tucasa_le thoronet_0822_R.JPGブルターニュの巨石文化を留める、
ロックマリアケルの石室の支柱石に

太陽によって熟れた麦の穂が刻まれ
太陽信仰の跡を留めているけれど、
ル・トロネの柱頭彫刻にも見つけた。

大地と水、空気と太陽のもとで育まれる植物のように
ステンドグラスに描かれた組紐文様からも喚起される、

森に生きたケルトの樹木のごとき
忍耐による成長の心性が息づいている。

修道士たちの健康的な生活のため
今でいうパワースポットのような地球の
地場エネルギーの強い場所が選ばれたと知り、

想像を超えた当時の叡智に興味が尽きない。


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2018年07月04日

ル・トロネを訪ねて 1

中世キリスト教の歴史は、聖職者が権力と富を握り、
世俗的な欲望に囚われて堕落すると

本来の信仰を取り戻すために修道院運動が起き、
やがて改革が忘れられ、堕落していくという繰り返しだけれど、

6世紀にベネディクトがモンテ・カッシーノ修道院を作り、
寄進を受けず、奴隷を排して、労働を重視した生活を営み、

10世紀にクリュニー修道会、
12世紀にシトー修道会が生まれた。

8世紀頃から終末論が語られ、黙示録的心性が
11世紀末以降の経済発展による富によって、
免罪のための十字軍参加や大巡礼へと向かわせ、

修道会の隠修の努力によって、
内に宿す神への狂気とも云えるエネルギーが、
ロマネスクの芸術を作り出した。

クリュニー修道会は、多くの民族的な要素を収斂させながら、
寓意的な彫刻というイメージの言語を通して、
諸文化の息づく神学的宇宙観を数多く残し、

シトー修道会は、構造力学の制約の中で、
石のみで宇宙の秩序と調和を大地に映した。

tucasa_le thoronet_0793_R.JPGそのシトー修道会のル・トロネ修道院が、
最初の巡礼の目的地だ。

フランス各地に建てられた
ロマネスクの修道院はどれも、

都会の喧騒を離れた自然の風景の中にひっそりと佇んでいる。

その土地から掘り出された石でできた建築が
風景の一部となって、それは僕の理想の建築だし、
どうしても見たいものほど僻地にある。

プロヴァンス三姉妹のご長女さまに会うためなら
苦労は厭わないけれど、

自給自足の隠修に相応しい場所として、
人里離れただけではなく、小川が流れ、
泉が湧くヴァールの丘を開墾して建てられた。

特に水利が考えられ、飲用に適した水質を持つことと
灌漑に用いる水は不可欠だった。

クリュニーとシトーという二つの修道会は、
ブルゴーニュ地方で生まれたけれど、

ワインの王様と称されるブルゴーニュの葡萄畑は、
そのほとんどがシトー会修道院の開墾によるもので、

地質学や土壌学、気候学の裏付けから研究を重ね、
味と香りの品質を生み出すクリマを獲得していった。

諸侯や豪族は、争って森林原野を修道院に寄進し、
かつての修道院付属屋では、農機具の発明や改良も行われ、
農業経営と経済の発展に計り知れない寄与を成し遂げた。

ブルゴーニュ地方とプロヴァンス地方は、
ローマ時代から石工の技術の継承と良質の石材に恵まれ、
洗練された表現を持っていた。

もっともプロヴァンス地方は、紀元前からすでに
ギリシャ人がマッサリア(マルセイユ)に都市を作り、

1世紀の終わりからは古代ローマがこの地方一帯を
属州(プロヴァンキア)として統治したから、

tucasa_le pont du gard_1249_R.JPGオランジュの古代劇場や
アビニョンの西に古代の水道橋
(ポン・デュ・ガール)など

至るところに、巨石を積み上げた
古代遺跡が現存し、ローマと
ガロ=ロマン文化を窺い知ることができる。

この地方では8世紀頃まで
ローマの生活習慣や教育制度が維持されていたという。

ル・トロネは、土地の赤褐色の土の色と同じ色をした切石でできた、
彫刻による立体感はなく簡素で、
親しみの持てる高さで、温かく迎えてくれた。

建物の西側の側廊にある入口は、
かつては俗人を入れない修道士だけの入口だったから、
タンパンなどなく素朴で、

入口の前で、聖堂の中の暗がりに、

tucasa_le thoronet_1465_R.JPG側廊突き当たり正面の
組紐文様のステンドグラスが黄色く浮かんでいて、
すっかりご長女さまに心奪われてしまった。

階段を4段降りて側廊があり、
北へ3段降りて身廊で、

この3段分の高低差が
翼廊ではレベルが一緒になっている。

つまり側廊はスロープで、
身廊と側廊の高低差がベンチのようになっていて、
こうした高低差だけで、様々な空間変移が感じられる。

内部で7段下がって、アーケードも尖頭アーチになっているからか、
想像していたより天井が高く感じた。

きっちり真東に軸線を合わせた内陣の3つの窓と
アプス上部の丸窓からの光が辺りの石を黄色く染め、

tucasa_le thoronet_0662_R.JPG南側の翼廊の上部に穿たれた
紫色のステンドグラスからの光が
翼廊をピンクに染めていた。

西側を見返すと、
青や緑のステンドグラスになっている。

すべて単一の石で造られた、
小さな窓からの自然光による

ストイックな空間を想像していたから、
色のインパクトに少々驚いた。

つづく。


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2018年07月03日

チョイ住み in paris 4

パリに来たら、オペラやバレエ好きでなくとも
オペラ座は一度は訪れてみたい場所だろう。

ギリシャ・ローマの古典建築の文法を使った
威厳にエレガントな要素を加えた非日常空間で、パリの宝箱だ。

カラヤン風マオカラースーツと足元までドレスアップして
パリの街を歩くのはまた違った気分だったけれど、

オペラ座の内部に足を踏み入れたら、、、

劇的な階段のある吹抜け空間は、
人々を様々な角度から眺める場所へ誘惑し、
照明の灯りに照らされた石の色調は品があって居心地がいい。

赤いベルベットと金の彫刻で飾られたボックス席の
一番前の席でバレエの鑑賞を楽しんだのだけれど、

ボックス席のお部屋に入るドアには、ノブがついておらず、
係の男性が持つノブを差し込んでドアを開けて下さるのでした。

tucasa_paris_1949_R.JPG丸い天井のシャガールの色彩が
華を添えていた。

オーケストラピットの先の舞台の奥行は、
1階席と同じくらいあるのではと思うほど深く、

演目の演出が笑って楽しめるもので、
この日の観客の反応もすごく良くて、
ここでしか味わえない気分を体験できた。

舞台が跳ねた後、この別世界から去るのを惜しみながら
帰る観客たちを眺めていると、
中学生や高校生だろうと思われる子達も見えて、

ある女の子がバレリーナに成り切って、
振り付けをしながら帰る純粋な姿が印象的だった。

夜10時を過ぎて外の通りに出てみると、
まだ明るくて、夜が長いパリなのでした。

パリに暮らすほとんどの方が集合住宅だから
身近に立ち寄れる緑のある公園は、かけがえのない場所だろう。
パリにはそんな場所が幾つもある。

tucasa_paris_1461_R.JPGリュクサンブル公園は、花々の植え込みや
マロニエの樹々が木陰を作って、
夏には避暑地にもなる。

木陰のベンチから
陽の当たるあたる光景を眺める。

本を読む人、イヤホンを耳に当てて音楽を聴いている人
水着風の出で立ちで日光浴する人、

ここは広いから、自分だけのテリトリーを作って、
皆プライベートルームのようだ。

厳しい長い冬を経て待ち望んだ、
光に満ちた束の間の夏を満喫したい人々にとっては、

陽だまりに腰掛けを据えて、
顔を太陽に向けて目を閉じている。

8月半ばを過ぎるとマロニエの葉が黄色付いて、
9月の声を聞くと冬を肌で感じ、

再び訪れる薄暗い冬の厳しさへの備えが、
バカンスの真髄だろう。

パリにカフェができたのは18世紀からで、
それまでは王侯、貴族が文化や情報の場として
社交界を持っていたけれど、

文化が大衆化し、市民がカフェで
芸術や思想、哲学を語れるようになった。

以前は画家も王侯や貴族からの注文だけで描いていたのが、
アトリエを持って市民の注文にも応ずる時代になる。

大革命は18世紀の終わりだった。

リュクサンブール公園の外にあるカフェは、
僕のお気に入りの場所になった。

日本と違って公衆トイレがなかなか見当たらないから
休憩ポイントでもあるけれど、

ここは街路のテーブルごしに車の行き交う、
向かいの建物を見るのではなくて、
リュクサンブール公園の樹々を眺める。

日本だと車の排気ガスが気になるけれど、
ここではただ気持ちがいい。

もっとも蚊にも刺されない。
湿気が少ないからなのか、

人口密度が低くて手つかずの自然がたっぷりあるから
人間の居場所に来る必要がないからなのか。

あっという間に地元の馴染み客でテーブルを囲まれた。

tucasa_paris_1349_R.JPGセーヌ河沿いには古本屋が軒を連ねて、
パリ市内だけで
30を越す橋が架けられている。

この街で季節を超えたら、
「ミラボー橋」や「枯葉」のような
詩情溢れる表現が浮かんでくるだろうか。

パリからは日本の国内旅行の感覚で
ヨーロッパ各地へ出掛けられる。

北イタリア、ヴェネト地方のスカルパ詣でと
プロヴァンスのロマネスク修道院への巡礼の旅に出掛けたのでした。


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2018年07月02日

チョイ住み in paris 3

西ローマ帝国滅亡以来絶えていた、円筒ヴォールトや
半円形を用いた石造建築が、11世紀クリュニー修道会によって復活され、

絵画ではフレスコ画が盛んになり、
ステンドグラスによる装飾もこの頃に始まる。

遡ると6世紀に東ゴート族のテオドリック大王が
ラヴェンナに首都を置いて以来、

古代ローマの建築技術を引き継ぐ
オリエントのビザンチン様式をもたらしたけれど、

その後東ゴートを滅ぼしたランゴバルト族は、北イタリアに定住し、
ランゴバルト王国の首都だったパドヴァが
ビザンチン文化を西欧と結びつけた。

石工職人らは、かつてのローマの石造建築を研究し、
ビザンチン建築の思考に基づいて横断アーチを掛け、

天井を石で覆う組積工法やロンバルディア帯を編み出し、
巡礼路教会の建設に伴って南仏からブルゴーニュ、
ラングドック、ルシヨン、カタルーニャまで移動した。

その交流によって、民族の大移動に伴ってイベリア半島に伝わった
西ゴート文化、アラブ文化を吸収して、イスラム文様を残している。

コーカサス地方の金属細工品にある動物文様は、
東ローマ帝国がササン朝ペルシャを倒したことで伝わった技法だけれど、

ヴァイキングや十字軍遠征による東方の文化の刺激によって、
建築技術や装飾に新しい手法が導入され、
より自分たちのアイデンティティーを求めていった。

アーチを先尖りにして、壁に掛かる応力を減らすことで壁を薄くし、
石でリブになる交差ヴォールトを造って、

リブの間のスペースは軽い煉瓦と漆喰で覆うことで、
柱によって荷重を支え、天井まで大きな窓を空けることが可能になり、

内陣の背後も身廊と同じく高窓にして、
ステンドグラスの光で満たされた空間を実現した。

高く積まれた側壁は、外側から
フライングバットレスで軽やかに支えた。

ゴシック様式に見られる交差ヴォールトのリブや束ね柱は、
木造聖堂時代の記憶を留めている。

tucasa_paris_1399_R.JPGシテ島の西側に裁判所に囲まれて建つ
サント・シャペルの中に佇むと、

天井や柱に描かれた文様とともに
パリ最古のステンドグラスの色彩が
大合唱を奏でていた。

13世紀にイギリスやスペイン、イタリアの人口が
500万人なのに対し、
フランスは3000万人もいたから

人口の数に比例して、フランスには
多くのロマネスク教会が建てられたけれど、

1950年代ヴェズレーの近くの修道士が始めた
「ゾディアック」という出版活動が、

自然と一体になったロマネスク教会の風景の価値を
再認識させるきっかけを作り、
これによって各地の調査や文化財保護活動が進んだ。

フランスは16世紀の宗教改革と18世紀の大革命で
教会や修道院の文化財が多く破壊されているから、
今は保存に余念がない。

パリのシャイヨー宮の中に建築文化財博物館がある。

tucasa_paris_0136_R.JPGフランス・ロマネスク教会のハイライトのような
ブルゴーニュ、サントンジュ、オーヴェルニュ、

ラングドック、ルシヨン、プロヴァンスなど
各地の選りすぐりのタンパンや柱頭彫刻が
見事に原寸大で復元されている。

国境が可変的で、ヨーロッパがひとつだった時代の
多様な文化の融合した手作り作品の数々を
1ヶ所でじっくり見られるなんて

ロマネスク好きには有難い博物館だった。

鋳型による復元やフレスコ画の修復技術の研鑽等、
文化財への保存に並々ならぬ決意が感じられた。

tucasa_paris_0106_R.JPGシンメトリーのシャイヨー宮の真ん中の広場から
セーヌ河を挟んでエッフェル塔が軸線上に見える。

今回パリのエッフェル塔を初めて間近で眺めた。

赤いエレベーターが
斜めの脚に合わせて上がっていくのを見たけれど、
股の空間をスッキリさせて、視界を作り、

セーヌ河に掛かるイエナ橋やシャイヨー宮までの
軸線の景観に、頑なまでの意思を感じる。

パリの街は至るところに軸線が意識されていて、
軸線の先の建物に正面性を与えて、
街並みの景観を印象づけ魅力的にしている。

友人のご好意で、シャンゼリーゼ通り沿いの歴史的建造物の中で、
普通より大きなビリヤード台でひと時を興じたんだけれど、

やはり道路を横断する際、
軸線の先にある凱旋門は少し足を止めて眺めたくなった。

オペラ座もしかり。

つづく。

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2018年07月01日

チョイ住み in paris 2

パリには紀元前3世紀頃すでにケルトのパリシイ族が
シテ島に集落を作って住んでいて、

カエサルのガリア征服時にはすでに金貨を鋳造して、
セーヌ河によって交易していた。

ローマ帝国時代、ケルト人が神々を祀っていたように
島の東側で祭祀を行ない、西側で行政が行われた。

西ローマ帝国が滅亡した後もこの配置は受け継がれて、
現在、島の東側にノートル=ダム大聖堂、
西側に裁判所やコンシェルジュリーがある。

コンシェルジュリーは、元々はカペー朝の王宮で、
14世紀末司法権を与えられた守衛(コンシェルジュ)に
管理される牢獄として使用され、

フランス革命後は、マリー・アントワネットらが投獄された。

このカペー朝からフランス王国だけれど、
三国に分割される起源となるフランク王国は、

西欧のキリスト教世界の政治的後ろ盾として、
西ローマ帝国滅亡後の中世世界を築いてきた。

遡ると元は多神教だったゲルマン部族のフランク王クローヴィスが、
ローマ=カトリックに改宗したことに始まる。

シテの名は、クローヴィスが首都(シテ)と宣言したことに因む。

8世紀ランゴバルト王国からラヴェンナを奪回した
ピピンの寄進によってローマ教皇領が本格的に形成され、

以降ローマ教皇は、教皇領を財源として
政治、経済の支配権を行使した。

カペー朝のフィリップ2世は、父の代からの
ノートル=ダム大聖堂の建設を引き継ぎ、

パリ大学の創設、道路の舗装や堅牢な城壁を建設して、
初代ローマ皇帝アウグストゥスに因んで、
オーギュスト(尊厳王)と評された。

一方でローマ教皇インノケンティウス3世の要請で
アルビジョワ十字軍を派遣し、南仏のカタリ派を徹底的に残滅した。

これによってフランス王権がプロヴァンスまで拡大し、
インノケンティウス3世は、叙任権闘争と十字軍運動によって
絶大な権力を握り、ローマ教皇領は最大になる。

キリスト教の歴史に当初から出てくる異端という言葉自体、
違和感を感じるのだけれど、

教会の腐敗・堕落を批判されると
自分たちに都合が悪いものには悪者のレッテルを貼って
消すことを正当化した。

tucasa_paris_1457_R.JPG独り言はともかくも、
フィリップ・オーギュストの城壁の遺構が
今もあちらこちらに点在している。

サン=ルイ島からマリー橋を渡ると
リセ・シャルルマーニュという

高校の校庭に残っていて、
円筒形の見張り塔もある。

サン=ルイ島から左岸に渡ると、
建物の横に存在感のある城壁が現れて、
先生に連れられて歴史探索している小学生たちと出会した。

tucasa_paris_1433_R.JPGノートル=ダム大聖堂前の広場の地下で、
古代ローマ時代の床暖房設備等の遺構が
発見されていて、

シテ島の左岸には古代ローマ時代の
劇場や闘技場跡が残っている。

3世紀のユリアヌス帝の浴場跡もあり、
それをクリュニー修道会が買い取って、

tucasa_paris_1446_R.JPG14世紀にパリの住まいとして建てられたのが
現在のクリュニー中世美術館で、
たまたま改修工事中だった。

14世紀初頭の城壁で囲まれたパリの市街図を見ると
サン=ルイ島はまだ無人だったようだ。

僕が20年前初めてパリを訪れて以来、
ルーブル宮殿の外壁に囲まれて、

中心にガラスのピラミッドのある広場の景色は、
ここでしか味わえないものがあるけれど、

元は12世紀にフィリップ2世がパリを囲む城壁の外に
セーヌ河を遡って攻めてくるノルマン人への備えとして
馬出のように要塞として築いたものだ。

今や紀元前の貴重な美術品をはじめとした世界の美術の宝庫だけれど、
当時は町外れの武器庫と文書などの倉庫だった。

パリには、他にもヴァンドーム広場やヴォージュ広場のように
建物の外壁で囲われた公共のリビングのような場所が幾つもある。

つづく。

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2018年06月30日

チョイ住み in paris 1

久しぶりのパリは、様々な歴史と文化の宝庫で、
全てを味わうには一生では不可能かと思えるほどだ。

セーヌ河の中洲、サン=ルイ島にチョイ住みして、
パリの中の古代、中世をテーマに
許される時間を過ごすことにした。

tucasa_paris_1907_R.JPG窓の外に身を乗り出すとセーヌ河が見える、
5階建て+屋根裏部屋のアパルトマンの
5階で、コンパクトだけど機能的なパリ生活。

キッチンに換気扇はないけれど、
洗濯物は窓際に干しておけばよく乾く。

窓際の天井が屋根勾配のフォルムを作って、
窓からは、通りを挟んだ向かいの灰色の板金屋根や
茶色い土管の煙突も間近に見られる。

朝になると窓を開けて、陽の光を浴びて
下の通りの様子を伺うマダム。

映画「裏窓」のように人間ウォッチングしてしまう。

1665年に建てられたというこの建物の
窓の外や屋根の水切りと樋はブリキだ。

朝の清々しい空気を感じて散歩がてら、
朝8時に開く八百屋とパン屋で買い出しした。

ムッシュ、今日も良き一日を!といつも声を掛けてくれた。
ここではロボットのようなお声掛けの違和感は全くない。

アパルトマンの螺旋階段の真ん中に
上手いこと設置されたエレベーターを挟んで、
お向かいに暮らすパリジェンヌとも挨拶を交わす。

玄関戸など当時のものは新しいものに変えてはならず、
高さ制限の規制緩和以前の17世紀の街並みの景観を保っている。

tucasa_paris_1383_R.JPGサン=ルイ橋を渡ると、シテ島の
ノートル=ダム大聖堂の後陣が見えて、

石の天井の重みをフライングバットレスという
アーチ状の梁で支えるゴシックの外観に
異国情緒を感じる。

内陣を東に向けるのは、ケルトよりはるかに古い
巨石文化に続く、土俗的な太陽信仰が根本にあるけれど、

傍を通ると雨樋のガーゴイルがユニークで
思わず足を止めてしまう。

細かい浮彫や線の表現と古代のヘレニズム的人像や
タンパンも尖頭アーチだけれど、
他民族に由来するモチーフのロマネスク的彫刻も混在している。

これらがパリで採掘された石で積み上げられ、
パリの街の地下には全長350キロもの坑道が
今も残っているという。

tucasa_paris_1363_R.JPGゴシックの教会は北フランスから始まり、
いずれもノートル=ダムという名前だ。

都市の団結の象徴として、
聖母マリアを共通の聖人とした。

いにしえから都市には富があるから
略奪の対象になるのだけれど、

9世紀、シャルルマーニュ大帝の死後、フランク王国が分割され、
その内紛が北からノルマン人、東からマジャール人、
南からサラセン人の侵入の機会を与えてしまう。

他民族の侵入は、防備に変革をもたらし、
運命共同体としての役割分担が階級社会を一層明確にし、
自治都市が形成されていった。

他民族の侵入が落ち着いた10世紀頃からは、
人口が増加し、定住率が高まり、

11世紀からの大開墾時代、
多くの修道院が建設され、農業経済が進展した。

サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路や
ローマ時代の道路が機能していたガリアの交通ルートと
河川交通が港湾都市とも結びついて、

人の往来や交易が盛んになり、西欧を豊かにし、
そのことが文化の伝播にも大いに貢献した。

市民を収容するノートル=ダム大聖堂の正面に
クリスマス前になると、大きなツリーが飾られる。

この習慣は19世紀からだけれど、
クリスマスツリーは元々、古いケルトの聖樹信仰だ。

ヨーロッパは、12世紀まで3分の2が森だった。

森はケルトの人々にとって、
生活に必要なものを提供してくれる聖なる場所で、
彼らは木の文化を持っていた。

今やパリの街は、組積造の外壁が
あらゆる方向の軸線を持つ街路を形成しているけれど、

ルネサンス以前は、木造の民家が建ち並んで、
木造の教会も多かったそうだ。

サン=ルイ島からルイ・フィリップ橋を渡ると
15世紀の木造民家が幾つか現存していた。

古代ローマ時代の道路を繋ぐ、木の橋だったプチ・ポンは、
12世紀に石橋に変わった。

つづく。

司建築工房

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2017年10月22日

ヴェネツィアでスカルパ建築を堪能

今回写真集で見てきたクェリーニ・スタンパーリアと
オリヴェッティ・ショールームをじっくり観ることができた。

tucasa_venezia_ 2171_R.JPGこんなところまでこんなデザインがされている
という連続で、
なかなか先に進めなかったんだけど、

移動するごとに展開していく
景色の空間構成を自らの美意識で、

素材を加工した幾何学的なパーツと
テクスチャーで組み合わせ、ディテール、
納まりを職人に伝えるための図面や

現場につきっきりで職人に伝えた仕事に想いを馳せ、
その妥協なき情熱に敬意を抱く。

tucasa_venezia_ 2249_R.JPGこれだけ意匠の連続する空間なのに
ずっと居られるのは、
茶室や茶庭と通ずるものがある。

料理を作る前に必要な食材を並べると
豊かな気持ちになるように
建築の素材たちがいい表情を見せている。

イタリア磨きや大理石の模様、
コンクリートのジャンカや骨材の質感、
真鍮のムラ、タイルの光沢、

抑制の利いた色彩と素材の厚み、
余白の美(間)と緻密な意匠が合わさって、
絶妙な緊張感を作っているのを身体で感じた。

きっと数奇屋建築の棟梁や庭師の親方が現場で
微妙な配置や材料寸法の決定の積み重ねの上に
総合的な調和を見出していくのと同じだろうと想像する。

tucasa_venezia_ 2980_R.JPG日本語で数寄という言葉が近いだろうか、
多様な文化の理解と

独自の視点で導かれた創造性、作風は
スカルパの好み、世界感の発露だろう。


これだけの設計を創造できるスカルパは
やはり凄い方です。

ライトの建築を観た後に感じたのと同様、
視覚的構成感覚としての日本美術の卓越性を見直したのでした。

司建築工房

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2017年10月15日

チョイ住み in Venezia 5

tucasa_venezia_ 1790_R.JPGある日、幾つかの小運河が交わる橋の上から
飽きることのない景色をながめていたら、

ゴンドラがやってきて、男性のバンドネオンに、
女性歌手の歌を聴けて、
特別な気持ちになったりする。

様々な方向の外壁面と水面が
反響効果を増すのだろう。

街で聞くおじさんの会話さえオペラのようだ。
まさに街自体が劇場のようだ。

tucasa_venezia_ 2423_R.JPG夕暮れのひと時は
ひときわロマンティックなんだけれど、

たまにはマオカラーのカラヤンスーツを着て、
フェニーチェ劇場へ。

ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」。
このフェニーチェ劇場で初演された演目だ。

tucasa_venezia_ 1884_R.JPGかつての貴族たちが埋めた
ボックス席からの観劇は貴重な体験だった。

観客も装飾もすべてが芸術の一部であり、
劇場の箱も音楽の一部で、
いかに場というものが大事かを痛感した。

ベルリオーズは、オペラは総合芸術だと言った。

日本にはこういったオペラ専用の劇場がないことを残念に思う。

その点歌舞伎は専用の劇場があるから
地方(じかた)さん、舞台芸術含めて、日本の総合芸術だ。

そしてお茶事こそ日本の総合芸術だ。

ある夜、教会でヴィヴァルディの「四季」を聴く機会に恵まれた。
ヴィヴァルディが育った街で聴くことは感慨も一入だ。

イタリア人による質の高い演奏を間近で聴けて、
教会に響く生の音は最高だった。

古楽器の弓で弾いてたんだけど、
バロックは教会で聴くように作られていると感じた。

その土地特有の街の空気感から様々な芸術が生まれる。

ヴィヴァルディの「霊感の調和」などは海のヴェネツィアの
自然の呼吸、街並みのリズムや華麗な輝きを感じる。

「四季」は海のヴェネツィアではなくて
本土の陸地で繰り広げられる四季の表現なのではないだろうか。

海の都に暮らすからこそ、
本土にある大自然というものに対する憧れを
表現したのではと勝手に推測してみる。

tucasa_venezia_ 2729_R.JPGこの街では演奏会に船で出掛け、船で帰る。

夜の大運河沿いの建物の部屋には
明かりが灯っていて、
優雅な雰囲気を伝えてくれる。

この街で生まれ育った建築家スカルパの
この街でのレスタウロを肌で空間体験できたことは、
かけがえのない学びになったのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月14日

チョイ住み in Venezia 4

古代ローマ人は、公衆浴場に広い中庭を造り、
そこで子供たちも遊び、野戦病院でさえ中庭があり、
噴水や樹木、草花で満たされていた。

地中海世界では古代から中庭が一貫して使われてきた。

建物がぎっしり並んでいる通りからは想像もできない
地上の楽園のような空間だ。

tucasa_venezia_1784_R.JPG知的好奇心とロマンに溢れた商人たちは、
地中海世界の中庭に感動したに違いない。

ヴェネツィアの住宅は、
通路から一歩中へ入れば私的空間で、

中庭を取り込みながら、
徹底して快適性と独立性を確保している。

複数の家族が一つの建物に住んでいても
それぞれの中庭と階段を持ち、お互い顔を合わせることなく
プライバシーが守られるように巧みに作られている。

土地が少ないヴェネツィアの倉庫と居住部分を
上下に積み重ねる実用主義的な構成は、
日本における建築にも大いに参考になると思われる。

敷地の周辺環境を捉え、住む人の心理を考えた
見事な内部構成力は、良き刺激を頂いた。

古代ギリシャの広場アゴラや
1世紀頃ポンペイのウエッティ家の円柱廊で囲われた中庭、
ヴィラ・ロマーナの回廊などの原型があるけれど、

古代ローマの遺跡が残るお膝元のローマでさえ
廊空間によって囲まれた広場が作られるのは、
ルネサンス以降だったことはフィレンツェのところで書いた。

tucasa_venezia_ 3033_R.JPG1層目が連続したアーチのポルティコで、
2・3層目が2分の1の幅のアーチによる
旧行政館をはじめ、

開放感のある外壁によって囲まれた
サン・マルコ広場は、

サン・マルコ寺院がほぼ現在の姿になった
12世紀まで遡れるという。

中世のイスラム都市ではすでに
アーチのある回廊状の広場が
存在していたと思われる。

ヴェネツィア人は、サン・マルコ寺院の建立に着手した時から
研究機関が充実し、自然科学が発達したヘレニズム文化が融合した
ビザンチン帝国の東方デザインを変えていない。

tucasa_venezia_ 1981_R.JPGサン・マルコ寺院の
床の幾何学模様のモザイクには、

ビザンチンの知力の高さに
度肝を抜かれた。

イスラム芸術は幾何学パターンを
その背後の秩序によって複雑に織り合わせ、

中心性や無限性の概念を表し、
有機的な生命やリズムを体現する。

ドゥカーレ宮殿は、1層目の上に2層目が2分の1の幅の
尖頭アーチとゴシックの優美な回廊で廻らし開放感があり、

ピンクと白の大理石でモワレのような色気のある壁面と
回廊の床面も幾何学模様で織り成されている。

明治の日本にジョサイア・コンドルが招かれたように、
ギリシャ人技師がビザンチン様式の教会建築を指導し、
その後の住宅建築にもオリエントの影響を色濃く残すことになる。

tucasa_venezia_ 2145_R.JPG三列構成プランのヴェネツィアンゴシックが
街の独自のスタイルとして完成して、それは
ルネサンス、バロックにおいても踏襲された。

ルネサンス以降、建築家が
個性的な作風を競い合っていた時代でも

基本的には景観の変化に対して
慎重な考え方を持っていたから
この独特の中世的都市空間が守られてきたのだ。

日本では歴史的建造物を壊して、
小さな新築が建ち並ぶ風景に一変させてしまったけれど、

貴族の邸宅も庶民の家も、近代になって用途が変わり、
細分化されて使われていても、街の風景は持続させるのでした。

つづく。

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2017年10月13日

チョイ住み in Venezia 3

tucasa_venezia_ 2156_R.JPGヴェネツィアの街は百を超える
小島が集まってできていて、
島の周囲を石組で固定しながら

ただでさえ少ない貴重な地面に
住居は密集してくるんだけど、それを補うように
島ごとに公の広場と教会の用地を残した。

こうして70以上の広場と教区教会堂を中心とした
居住区の間に大運河と小運河が整備されていった。

家から狭い迷路を歩き、
明るい広場に出た時の解放感は、想像に難くない。

わざと広場に出る前で、ソットポルティゴを潜らせて、
より解放感を劇的なものにする演出もする。

密集した街に暮らしていても、広場があれば
天気のいい日は大広間のように寛げる。

広場の形も様々で、運河の潮の流れに従った
壁面線が描くラインは、人工的とは真逆で肌に馴染む。

tucasa_venezia_ 2404_R.JPG広場は、相互扶助の精神を育む、
運命共同体の縮図とも言うべき場所だ。

ヴェネツィアでは私より
公を優先してきたことは、
歴史が物語っている。

まだ外交官という概念がない時代から、
各国に大使を派遣して、商人にも報告する義務を課して、
最新の情報を集めることに重きを置いた。

一人の英雄、絶対君主を作らない制度と気風を徹底し、
皇帝でさえカノッサの屈辱がある時代、

どの権力にも属さず、神の代理人という名の
ローマ法王庁という従うべき権威にも

国益を損なうような命令や圧力には従わない、
政教分離のバランス感覚を備えていた。

tucasa_venezia_ 2329_R.JPG塩と魚介類くらいしか資源のない
干潟に作られたちっぽけな島が、

独立国家として生き延びるための覚悟を
街並みにも感じたのでした。

ヴェネツィア共和国の1100年間、
武力ではなく、人間力のもてなしによって、
街の魅力の虜にさせる平和外交をしてきた。

日本も欧米にはない誇れる日本文化を認識して、
おもてなしや粋に暮らす精神性の高い国民として
平和外交をもっと努力するべきではないだろうか。

つづく。

司建築工房

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2017年10月12日

チョイ住み in Venezia 2

滞在する住居は、路地からアプローチして
2階部分の小運河に面した素敵な部屋で、
窓からの景色は、歴史ある街に住んでいるという充実感がある。

tucasa_venezia_ 1997_R.JPGこの小運河沿いの路地から
職人さんが船で資材を搬入し、

夕方近所の親子が、
ここから船に乗り込んで出掛ける。

路地は小運河の対岸の景色を楽しむ
ビュースポットにもなる。

この小運河にこそ海の都ヴェネツィアの
日常的な素顔がある。

家には生活するのに必要なものはすべて揃っていて、
イタリアでは一家に一台あるという

直火式マキネッタもあるから、
毎日クレマのあるエスプレッソを嗜んだ。

13世紀頃アラブで飲まれていた珈琲を
最初にヨーロッパに持ち込んだのは、ヴェネツィア人だ。

近くの生協で食材を買い出しして、
家で食事をするのは寛げていい。

tucasa_venezia_ 1758_R.JPG滑車の付いた物干しから洗濯物を取り込んでいると、
ゴンドラに乗ったカップルとゴンドリエーレが
声を掛けてくれた。

朝と夕方には近くの教会の鐘の音が聴こえて、
向かいの煉瓦の塀やリオの木杭の上で
鳥が謳っている光景にも出会える。

ローマやフィレンツェの旧市街地では
車が走っていて、歩行は気を遣ったし、
騒音は街の営みの一部としてあったけれど、

ヴェネツィアでは道幅がヒューマンスケールで、
車がいっさいなく、全ての通りがまさに歩行者天国だから

車の騒音や排気ガスから解放されて、
安心して街歩きが堪能できる。

車社会の騒音がないサウンドスケープは、
人が癒される特別な街なのだ。

tucasa_venezia_ 2516_R.JPG中世の街並みの中で最も地中海的な
迷宮性を帯びたヴェネツィアの街は、
建築的手法に溢れている。

建物が両側から迫り、
狭い路地を折れ曲がりながら進み、
天井の低いソットポルティコを潜るから、

小運河に架かる橋の上が、
解放感に浸るホッとする場所になる。

tucasa_venezia_ 2661_R.JPGこうした歩く人の気持ちを考えて、
可能な限り橋の幅を広くしている。

対岸どうしの路地が
正面に重なるとは限らないから、

斜めに橋が架かり、
これがまた変化に富んだ風景を作っている。

建物を壊してまでまっすぐ通すようなことは考えない。
古い街並みを活かしながら豊かな空間を繋げていく。

迷路を歩く人の目線を考えて、
目線の先の様々な意匠で閉塞感を和らげ、
歩く楽しみに一役買っている。

tucasa_venezia_ 2390_R.JPG路地と小運河の織り成す
周辺の環境と上手く対話して、

歩くごとに見え方が変わり、
見え方の数だけ絵になる景色を作っているのだ。

こういう街並みで育ったからこその、
スカルパの空間構成や
人の目線を利用した意匠が腑に落ちる。

もっとも日本人の茶庭などはもっと繊細で。。。

敷石のリズムをわざと崩して、
緊張感と共に足元に目線を誘導して、

足元が安定した石に来た時、顔を上げると
ハッと息を呑む景色を見せるような。。。

この街並みは、通商で培われた、
人の心理を読むことに長けたヴェネツィア人の
知力の結集だと感じたのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月11日

チョイ住み in Venezia 1

フィレンツェから電車でヴェネツィアへ。
通い慣れたボローニャを過ぎると、
広い平原の景色が続く。

6世紀、東ゴートを滅ぼした
ランゴバルト王国が支配して以来、
この平原はロンバルディアと云われ、中世が始まる。

この時ランゴバルト人の侵攻から逃れた人々が
ラグーナの島に逃れヴェネツィアを建設した、とされる。

tucasa_venezia_ 1679_R.JPGオーストリア支配時代の19世紀半ばに
全長5kmの鉄道の橋が開通するまでは、
船でしかたどり着けない街だった。

電車が海を渡り始め、
海の中にオレンジ色の島が見えてくると、

「旅情」のキャサリン・ヘップバーンほどは
大人げなくはなかったけれど、

隣のゲイカップルの見つめ合う笑みの狭間で
窓の景色にテンションは急上昇した。

サンタ・ルチア駅を降りると、
運河が目に飛び込んでくる配置には感動した。

tucasa_venezia_ 1680_R.JPGたいがい大地の中に川があるのだけれど、
ここは海の中に陸地がある。

はるか昔の先人たちが、
干潟に築いた海の都。

紀元前の古代ローマ人がすでに、
川に橋脚を造り橋を建設していた
ハードなインフラ技術を持っていたけれど、

海水を塞き止めなければならないラグーナの土木工事は、
陸地とは比較にならないほど
高度な技術を要し、難工事だったはずだ。

想像が尽きない先人たちの苦労の上に、
僕らは特別な感動を味わえることを忘れてはならない。

すぐ目の前がヴァポレット乗り場だ。
19世紀後半に駅とサン・マルコを結ぶ
ヴァポレットの運行が始まっている。

tucasa_venezia_ 1702_R.JPG最寄りの乗船口で降りるつもりが、
リアルトまで停まらない船だったんだけど、

心地よい風を感じながら、ゆっくり
大運河沿いのオリエントの文化が融合した

エキゾティックな建物を眺める感動は
少年のようだったと思う。

船でアプローチする玄関やロッジアの
開放的な連続アーチが水の中から建ち上がる都市風景は、
僕の心をわしづかみにした。

東方貿易時代にビザンチンの影響を受けた13世紀ゴシックから
古典主義のルネサンスや陰影のある優美なバロックまで、
窓の表情の華麗なる饗宴が目の前で展開される。

これらが当時のまま海の上に、今だに建っている。
堅い地盤まで打ち込んだカラマツの木杭と板が
今だに地面と建物を支えているのだ。

かつてのヴェネツィア商人は交易に生き、
オリエント文化を吸収して、
多様性という価値を見出した。

イタリアの他の中世の街並みが、
敵の侵入を防ぐ城壁で囲われ、
ファサードが閉鎖的で素朴な時代に、

アーチや円や花模様の開放的でエレガントな窓のデザインは、
当時訪れた人々にとってもかなりの衝撃だったに違いない。

しかも水辺と戯れる風景だ。
と言うより、海に囲まれているからそれができた。

弱みを強みに変える!逆転の発想が
ヴェネツィアにはある。

tucasa_venezia_ 1725_R.JPG同じように、9世紀頃の
ビザンチン帝国勢力圏内で交易をしていた、

聖マルコの遺骨を盗み出した
二人のヴェネツィア商人も

ビザンチンの文化水準の高さに
驚嘆したに違いない。

教会建築は大運河に正面を向けていて、
東西軸より街並みを優先させている。

大運河にかかる長さ約48mのリアルト橋は、
船の航行を跨ぐ大きなアーチの上に

両側から6つのアーチの店舗が中央に向かって上昇して、
中央で大きなアーチがロッジアのように開放している。

実は店舗は2列あって、階段が3列になって、
全体の幅が約22mある。

tucasa_venezia_ 1732_R.JPG滞在先までおおよその地図を頼りに通りを歩くと、
小運河を渡る橋の裏側に、水面にバウンドした光が
キラキラ揺れていて、しばし見とれてしまった。

ヴェネツィアで生まれヴェネトで活躍した建築家、
スカルパの原風景だろう。

橋の上から眺める両側の小運河沿に、
水の中から建ち上がるそれぞれの風景は、
見ていて飽きない。

tucasa_venezia_ 1735_R.JPG一見袋小路の行き止まりのように見えて、
進んでいくと、横に通路が繋がっている。
地図以上に実際はまさに迷路だ。

距離はそんなに遠くないはずなのに、
案外時間を喰ってしまったんだけど、

もう既にこの迷宮のような街歩きに
ワクワク感が止まらなかった。

つづく。

司建築工房

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2017年10月10日

ボローニャの休日 2

学都としての名声と経済効果がもたらされた12世紀頃、
ポー川からレノ運河が造られ、
水運の面では恵まれてなかったボローニャに水が引かれた。

tucasa_bologna_ 1651_R.JPG市街地の地下に大小の運河を張り巡らし、
地下に木製の紡績機を設置して、

引込んだ水力エネルギーで水車を廻して、
15世紀頃には絹織物の

一大産地になっていた歴史は
意外と知られていない。

運河はヴェネツィアまで及び、絹織物の他製粉など
水路を使って流通し、ヴェネツィアからは塩などを持ち帰った。

現在でも街の中で運河を確認できる場所があった。

第二次大戦時ボローニャは戦場となり、
かなりの空爆を受けていることは日本と同じだけれど、

今だに中世の街並みを継承しつつ、保たれていることは
歴史的建造物に対する考え方が違った。

日本は明治維新で一度、
街並みごと自分たちの文化を否定してしまった。

文化とは、人々の長い暮らしの中で育まれた
心と形の伝承だと思うんだけれど、

戦後アメリカ型の大量生産、大量消費時代の中、
日本の住宅はプレハブメーカーによって商品になり、
全く新しい工業製品の街並みに変わった。

近代化への憧れは、歴史に無頓着な進歩主義と
本物の持つ豊かさへの無知によって盲目的に破壊していった。

ボローニャの人々は、「新しい社会のための古い街」という、
住人たちの様々な営みによる人間的魅力に溢れた
歴史地区の庶民住宅を保存修復することを選んだ。

tucasa_bologna_ 1649_R.JPG市民にとっての住みやすい
都市環境の保全を目的として、

類型学を参考に歴史的街並みを再生させ、
内部は必要な用途に改造して、
近代設備を導入し、新しい機能を生み出した。

これらには自治体や庶民住宅局と州が
財政負担をし、借家人や家主の権利の保護に当て、

膨大な額の民間投資が行われ、
民間主導で一戸一戸の修復事業をやった。

文化財建築から手掛けるのではなく、
観光化は全くされていないのだ。

tucasa_bologna_ 1521_R.JPGイタリアの都市が自治権を獲得してゆく時代、
コムーネが司教に変わって
世俗権力を掌握してゆく頃には

100近くの塔が
この街に林立してしたらしいんだけど、
今では2つの斜塔が持ち堪えている。

tucasa_bologna_ 1514_R.JPG
一つのまとまった建物ごとに
それぞれ特徴のあるポルティコが連続し、
地元の土の色、

ビザンチンやイスラム文化の影響も見られて、
都市ごとに個性のある街並みを擁するイタリアは、
興味が尽きない。

ネプチューンの噴水は修復中で、
女神の乳房から水が出るのは
見られなかったけれど、

一日中街を歩いて色んなポルティコを楽しみ、
旅の疲れか、ロマネスクの素朴な
クローチェフィッソ教会の礼拝席で

tucasa_bologna_ 1578_R.JPG美しい賛美歌に眠りを誘われ、
サン・ドメニコ教会の後陣を囲う回廊の中庭に心を洗われた。

様々な職人工房の文化と感性が息づく街。


お気に入りの、古代ローマ時代から2000年続く
マジョーレ広場前のポルティコで、
職人の生きざまや哲学に希望を抱きつつ、

ナチスドイツとファシストの連合勢力を
街から追い出したレジスタンスの
住民自治を慈しむのでした。

司建築工房

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2017年10月09日

ボローニャの休日 1

フィレンツェから電車でボローニャへお出掛け。

ボローニャと云えば、ポルティコ(柱廊)の街。
歴史的市街地は都市廊とも言えるほど、
街中を雨の日も真夏の日差しも避けて歩けそうだ。

tucasa_bologna_ 1553_R.JPGその特徴ある街並みは、
12世紀頃まで遡れるらしい。

それはボローニャが法学を学ぶ都市として
存在感を増していく時期と重なる。

その後の都市としての発展は、イルネリウスが
ローマ法全体の注釈を行ったことから始まった、
と云っても過言ではない。

その頃アルプス以北の街では、
文字の読み書きができたのは聖職者で、

教会付属の学校か修道院でしか学べなかったのに対して、
イルネリウスが教養学などの私塾の教師だったように
一般の学識者が専門性を活かせる活動の場があり、

また法学のような高度な学問を修める場が
一般人にも広く開かれていた。

tucasa_bologna_ 1528_R.JPG文書作成法が発達したことで知られるボローニャは、
高い文化を誇るビザンチン帝国の玄関口であり、

ローマ皇帝とローマ教皇の勢力の狭間にあって、
比較的自由な街であり、

ローマ時代からの交通の要所であったために
多くの学生が東西2キロの城壁に囲まれた
この街に押し掛けた。

教師の家に下宿できるのは、最初のうちで、
膨れ上がる数の学生を収容する部屋が必要になる。

tucasa_bologna_ 1558_R.JPGこの頃の建物は木造で、ボローニャでは、
建物の基礎にも木材が使われていたんだけど、

街路に建物が連なる状態では、
道路の上に張り出さざるを得なかった。

こうして木材で支えた
ポルティコの街並みが形成された。

外来の学生が多く住むようになると、
暴力行為や家賃、書籍等様々な問題が生じ、
教師の私塾の枠を超えて、同郷で団結する必要性が出てきた。

それが学生団体ユニヴェルシタスであり、
その後のボローニャ市からも教皇からも公認された
学生主体のボローニャ大学で、

司教座教会付属の大学である
パリ大学とは性格を異にする。

校舎ができるのは16世紀だけど、
ヴェネツィアのサン・マルコ広場を囲む建物のように
2層に開放的なアーチが連なる。

他の都市のシンボルは司教座教会であるけれど、
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院がドージェの礼拝堂であるのと、

tucasa_bologna_ 1459_R.JPGボローニャの中心マッジョーレ広場に建つ
サン・ペトロニオ聖堂は、

教皇権に対抗して市民が建設した
市民の聖堂だ。

ちなみに世界一の教会として
着手したんだけど、

ローマ教皇がサン・ピエトロ大聖堂よりも
大きな教会を許さず、建設資金を打ち切って、
今尚未完のままだ。

でも僕には市民の方々の
精神的な誇りを感じる景色に思えるのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月08日

トスカーナの休日 2

たまたま泊まった宿が、元ローマ教皇庁の書記官の邸宅で、
13世紀の建物だった。

その頃は日が暮れると城門は閉ざされて、
住民は運命共同体として一致団結の夜を過ごしていた。

囲郭都市は乾燥地帯に分布して、人が生きていくための貴重な水である
集落の井戸を他の部族に奪われないように死守する心理は、
海で守られ、自然に恵まれた日本人には想像し難い。

乾燥地域の戦闘の歴史が、丘の高台に街を築き城壁を巡らした。
そうした城壁が身近な集落の方々との平和な夜を共有した。

tucasa_pienza_ 1169_R.JPG朝、夜明け前の散歩。
ピエンツァの街から見下ろすオルチャの谷に
白い朝靄がたなびき、

朝日が昇って、
果てしなく続く丘を照らした風景は、
2オクターブくらいテンションが上がった。

美味しい空気、鳥や動物の声と鐘の音。
樹々や土の匂い。

tucasa_pienza_ 1206_R.JPG近代的なものや豪華なものはないのに
五感で癒される。

より速く、より簡単に、より便利に、
東京ーハワイをロケットで30分とか、

その一方で歴史や環境を
破壊していることには目を向けない。

ライフスタイルを含めて社会が急速に激動している中で、
人間にとって心地よく大切なものって何なのかを気付かされる。

部屋の窓からの景色は、
オレンジ色の屋根の向こうに広がるトスカーナの絶景。

tucasa_pienza_ 1378_R.JPGこの宿の朝食は、
混じりっけのない本物の味だと感動するもので、

簡素な中にも設えからきちんとした食器で、
きちんとした食事をすることの大切さを
改めて感じさせて頂けるものだった。

給仕の方の家が隣町のモンテキエーロという
地図にも載っていないような町だけれど、

とても綺麗なところで、また違ったオルチャの谷を見られますよ、
とのことで、廻りの小さな集落を転々とドライブ。

渓谷には、中世にローマからエルサレムへの主要な巡礼路として
多くの巡礼者や商人たちが行き交った、フランチジェーナ街道がある。

tucasa_pienza_ 1445_R.JPG隣町から見る丘の上の
ピエンツァは一軒の家のようだった。

城壁の中はまるで室内のように
建物も街路も広場も素材が統一されていて、
人間性豊かな家族の営みが感じられた。

オルチャの谷はすべて家族の庭なのだ。

こうした広大な景観は、
厳しい土地利用規制によって

保全されているんだけど、
実はすべて民間で行われている。

まちづくりの会社はポケットマネーを出し合って作られた。

自然保護区域に登録すると、区域内での一切の建築に許可がいるし、
水道や電気を引くにも制約を受け、好きにできなくなる。

でも区域内の五つの町や村の人々は、
自分たちの地域が生き残るためにも
美しく守る枠組みを決めるべきだと犠牲を受け入れた。

地元の事業者のためならと資金面で援助したのが
民間のシエナの銀行だ。

tucasa_pienza_ 1447_R.JPG80年代からアグリツーリズムと
スローフードが、農業所得を拡大させ、

過疎で放棄された建物の補修も進み、
景観保全に大きく貢献している。


個人の利益より人類の遺産を優先させるというイタリア人の考え方、
文化的景観という発想をしっかり胸にしまう。

帰り道はやはり囲郭都市であるシエナに立ち寄ったんだけど、
一際高い城壁をくぐって中世のカンポ広場をめざす。

広場を囲う建物の輪郭がフリーハンドのような歪んだ形を作って、
自然の傾斜とともに親しみの湧く広場だ。

外壁の色や窓の形は様々だけど、
まるで劇場のボックス席のような連帯感がある。

地面は低い排水口から放射状に描かれて、
杉綾模様の煉瓦で舗装されていた。

立派な城壁に囲われたシエナの街は、
他の街と同じ文法を使った中世の街なんだけど、

それぞれ街ごとに個性があって画一的でなく、
色んな街を訪ねてみたくなる旅心をますますくすぐった。

主要な街を繋ぐ高速道路は無料で合流し、渋滞もなく、
目的の街ですっと降りるのは、ドイツと同じだ。

行きとは違った道で、トスカーナの赤く染まった景色を満喫しながら、
アルノ川を渡って、フィレンツェの旧市街へ戻ったのでした。

司建築工房

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2017年10月07日

トスカーナの休日 1

フィレンツェから南へ。
FIAT500で、サン・ジミニャーノに立ち寄りながら、
ピエンツァへお出掛け。

車窓から眺めるトスカーナの
折り重なる丘陵の景色は、飽きることがない。

丘陵のなだらかな斜面に幾つかの塔が立つ集落が見えた。

tucasa_s.gimignano_ 1004_R.JPGこのサン・ジミニャーノの城門をくぐって、
僕が好きなチステルナ広場を目指す。

12世紀頃の建物に囲われた三角形の広場は、
自然の地形のまま傾斜していて、
真ん中に13世紀の井戸がある。

この井戸を囲む石段に
人々が気持ちよさそうに座っている。

あらゆる世代の人々が町の中心の広場に出て、
ひと時を過ごす光景は、本来の人間的魅力に溢れた町の姿がある。

中世の富と権力を誇示する象徴の
塔の大半が壊されている現在にあって、
かすかに塔が林立する街並みを留めている。

丘陵地の丘の上に城壁で囲われた中世の街並みは、
自然の地形に寄り添うように限られた素材で作られていて、

自然発生的に不規則で変化に富んだ集落は、
歩くごとに絵になる風景に出会える。

建物の外壁が街路の形に変化を与え、
蛇行した通りや狭い路地は、自然のまま起伏に富んでいて、

地元の業者さんの車以外はないから、
この魅力的な迷宮空間はしばらく時を忘れてしまった。

さて目的のピエンツァの集落がトスカーナの丘陵の上に見えてきた。
ここは、人文主義者のピウス2世が、
「建築書」を書いたアルベルティに紹介されたロッセリーノと共に

生まれ故郷の中世の街並みの一部を
ルネサンスの理想の広場に改造した街だ。

しかも中世の絵画的で有機的な街並みと調和して、
550年経った今でもそのまま保たれている。

tucasa_pienza_ 1173_R.JPG広場の形はフィレンツェのところでも触れたけれど、
逆台形で、広場の正面にある

以前は宗教的理由の伝統方位である東西軸の
ロマネスク様式の教会堂を壊して、

広場の正面のファサードを
ルネサンス様式の南北軸の教会に建て替えた。

広場の右側パラッツォ・ピッコロミニのファサードは、
フィレンツェのパラッツォ・ルチェッライの言語そのままに、
幾何学的なシンメトリーは、トスカーナ地方のパラッツォ風だ。

丘を見下ろす南側は、1階が庭に面する柱廊で、
2階はテラスになっていて、
田舎のヴィラの要素も持ち合わせている。

教会とパラッツォの間から垣間見えるオルチャの谷の遠景が、
ピエンツァならではの広場の風景になっている。

tucasa_pienza_ 1130_R.JPGパラッツォは広場と街路に面して、
石のベンチになっていて、
地元の社交場になっているようだ。

広場の隅に井戸があるんだけど、
地元のおっちゃんがこの井戸に集まって、

通りの向かいのお店に寄ったおばちゃんを
からかっている日常風景は微笑ましかった。

ルネサンスの広場の特徴である
中心や軸線にモニュメントを置くところを

ここでは広場の多目的な使い勝手を優先して、
井戸を端に寄せているのは、中世の作り方だ。

広場以外の中世の街並みとの
頃合いを計ったのだと思う。

ルネサンスの理想表現をするよりも
周りの環境との誠実な対話を優先させたのだ。

広場の左側もパラッツォで、広場の通りを挟んだ手前の
向かい側のパラッツォには柱廊があり、
シンボル的な教会を眺める景色を楽しむのに一役買っていると思う。

オルチャの谷を見下ろす丘の上の
東西400m、南北200mほどの小さな集落のピエンツァは、
トスカーナでも最も美しい自然風景に恵まれたところにある。

車は全て城壁の外に停めるから、
城壁の中は人のための迷宮空間で特別な場所になる。

tucasa_pienza_ 1319_R.JPGこの自然の地形に寄り添うように作られた
土着的な味わい深い街並みは、

現代の無機質で画一的な都市空間で失われた
人間性を呼び覚まして、
歩くごとに新しい素敵な風景を発見できる。

日が暮れてから、雨が降り出した。

雨に濡れた一つ一つ違う個性の石畳や
杉綾模様の煉瓦の街路が、
オレンジ色の街灯に照らされていた。

つづく。

司建築工房

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2017年10月06日

チョイ住み in Firenze 5

高度な都市文明を築いた古代ローマ人は、
しばしば都市を離れ、田舎で労働をし、

自然と接触することで、
健全で強靭な人間になれると考えていて、

都市生活がもたらす不健康は、
結局は国家の基盤を揺るがすことを知っていた。

古代ローマ人の伝記を読んだ裕福なフィレンツェ人は、
農地を買い、別荘を建て、古代ローマの
理想的な生活を再現した。

tucasa_firenze_ 668_R.JPGリッピに師事したボッティチェッリの
「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」。

メディチ家のカステッロの別荘に
飾られていたという対をなす作品は、

宗教的モチーフを題材にしたものではなく、
ギリシャ神話に因んだ題材で、

古代ローマ時代の人間性の再生、
人間と自然の美を表現した立体感と物質感は、
ルネサンスの息吹を感じる作品だ。

生でじっくり観ると植物等実によく描いてあって、
ヴィーナスの表情になぜか泣けてきた。

ヴェロッキオに師事した20歳のダ・ヴィンチの「受胎告知」は、
すでにスフマートの技法や遠近法で描き、
大天使ガブリエルのまなざしに心を惹きつけられる。

tucasa_firenze_ 670_R.JPGミケランジェロのドーニ家の結婚祝いとして
描かれたという唯一のタブロー「聖家族」は、

マリアも子供のイエスも
筋肉質の彫刻的な人体表現で、

地面に腰を下ろして夫のヨセフと共に
幼子を肩ごしに抱えるという母として描いている。

当時のままの額縁もこの絵画も隅々まで
意図を想像しながら眺めた。

ジョット以降、ラファエロの「小椅子の聖母」や
ティツィアーノなど、ルネサンスのマリアは
一人の女性として描かれるようになった。

ヴェッキオ宮殿のある中世の広場、シニョーリ広場の
ランツィの回廊には、野外美術館のように

メドゥーサの神話に因んだ「ペルゼウス像」や
ローマ建国の神話に因んだ「サビーニの女たちの略奪」がある。

tucasa_firenze_ 596_R.JPGそこからアルノ川に続く
ウフィツィ宮殿の広場のような空間は、

ドリス式の回廊のある建物に囲われた
親密感があって、ワルツのように

リズミカルな回廊柱には、3本ごとに
ルネサンスの偉人たちの彫像が飾られてある。

ローマ時代に起源を持つポンテ・ヴェッキオは14世紀に再建され、
16世紀にウフィツィとともにヴァザーリの回廊が造られた。

3つのアーチ構造で建物を載せたユニークな橋は、
中央にアルノ川を眺める三連アーチのロッジアになっている。

先のランツィの回廊も三連アーチだったけれど、
ミケランジェロはシニョーリ広場全体を
このアーチで囲むことを考えていたようだ。

フィレンツェの歴史が詰まった物語の遺産には、
支援した人がいて、芸術家が才能を発揮して、
それを保存修復に努めた人がいて、

愛しんで鑑賞した人々がいたからこそ、
こうして望めば感動に浸れることができるのだ。

フィレンツェでのルネサンス期に支援した
メディチ家などの功績は、
やはり後世に語り継がれる偉業だろう。

tucasa_firenze_ 360_R.JPG現在でも世界遺産や芸術作品の修復費用は、
入場料以上に

民間企業の寄付によって守られていることは、
ローマのところでも書いた。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂にある、
ギベルティが27年間製作に没頭したという

通称「天国の扉」のレプリカ製作は、
日本の茂登山長市郎さんの寄贈だ。

市民が住みたいと感じる、
世界の人々が訪れたいと思えるまちづくりの陰には、

文化財と名の付く保存ではなく、
名もない歴史的建造物が集まった街の保存を

名もない一人ひとりの建物所有者や
商業を営む経営者一人ひとりが、保存再生に投資をし、

建築家が魅力的なレスタウロをし、
そのほとんどが民間工事によって

都市の保存がなされてきたことを
忘れてはならない。

司建築工房

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2017年10月05日

チョイ住み in Firenze 4

ミケランジェロがフィレンツェを離れている5年の間に
町は政治的動乱に襲われていた。

サボナローラが「虚栄の焼却」を行い、
市民の生活は殺伐としたものになる。

「火の試練」を拒否したために
サン・マルコ修道院に市民が押し寄せ、

サボナローラは捕らえられ、
シニョリーア広場で焚刑に処される。

不安定な混乱の時期に、フランスとの外交交渉の現場に立った
マキャヴェリは、イタリア統一を構想し、
君主制のあり方を思索していた。

ピエタを制作した26歳のミケランジェロが、フィレンツェに戻ると
S・M・デル・フィオーレ大聖堂造営局の仕事場に

荒彫りされ、脚になる部分に大きな穴が開けられた
大理石の塊が放置されていた。

創作の可能性が限られていた大理石の形に構図を合わせ、
フォルムを彫り出すことがまだ可能だと判断したミケランジェロは、
2年半で「ダヴィデ」を完成させる。

羊飼いの少年のモチーフを
芸術家によって着想が千差万別で面白い。

ドナテッロの「ダヴィデ」は、
倒したばかりのゴリアテの首を踏みつけている
等身大の少年の裸像で、甘美な姿なのに対して、

tucasa_firenze_ 485_R.JPGミケランジェロの「ダヴィデ」は、
ゴリアテと戦う前の緊張感を湛えた
巨人の青年裸像だ。

光を透過する大理石の彫刻は、
ギリシャ彫刻の系統を踏まえた
幻想的な魅力に満ちている。

石から掘り出されたことを忘れてしまうほど、
割礼の跡がないルネサンスの表現と
血管や筋肉の弾力感は生身の人間のヌードだ。

ルネサンス爛熟期の当主ロレンツォ・デ・メディチに、
10代で住み込みの修行を許され、

人文学者たちから様々な知識を得て、ギリシャ彫刻に魅せられ、
人体研究に興味を持ったミケランジェロは、

キリスト教社会では御法度だった人体解剖によって
秘密裏に人体内部の構造と動きを知り尽くし、
人間の真実に迫っていった。

ルネサンスのリアルな人体表現とともに
ダヴィデが民衆を守ったように、フィレンツェを
救うという壮大なスケールの主題を提示した。

ローマの劫略の知らせに反教皇感情が高まったフィレンツェでは、
市民が狂乱して、「ダヴィデ」の左腕は一度折られている。

新しくユリウス2世が教皇になると
前例のない規模の自分の墓碑を作らせるために
ミケランジェロをローマに呼び寄せる。

ユリウス2世は、デッサンに強い感銘を受け、
サン・ピエトロ大聖堂の再建と小さな町に成り果てたローマを
かつての帝国時代の輝きを蘇らすアイデアが芽生えたという。

tucasa_firenze_ 524_R.JPGその時フィレンツェで
制作の中断を余儀なくされたのが、

ダビデ像の前に置かれている
未完の彫刻作品「聖マタイ」。

ユリウス2世の墓碑に使われる予定だった
未完の「若い奴隷」「奴隷アトラス」
「覚醒する奴隷」「髭のある奴隷」。

そして80歳の時の「パレストリーナのピエタ」。

命を彫り出すノミの跡が残る石の塊は、まるで鋳造の鋳型を壊したら
作品が出てきそうなエネルギーを感じて、改めて感服するのでした。

つづく

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2017年10月04日

チョイ住み in Firenze 3

人文主義者がフィレンツェの
裕福な商人たちの審美眼を肥やし、

政府に対しても実権を握るほどのギルドの彼らは、
都市を作ることに積極的で、

そこに彼らが雇った天才芸術家がいたことは
歴史上の幸運だろう。

ブルネレスキは透視図法を発見して、
アルベルティが遠近法を数学的に解析した。

絵画は、遠近法と構図と物語の調和だという
「絵画論」をブルネレスキに献呈する。

古代ローマの人文学に傾倒したアルベルティは、
修道院で埃をかぶっていた、
ウィトルウィウスの「建築書」を発見し、

ローマ建築の遺構を調査して、
人体比例と美の背後にある幾何学を
「建築論」で紹介している。

弦の長さが整数比になるように音を組み合わせると
心地よい和音になるということは、
古代ギリシャの数学者ピタゴラスまで遡るけれど、

tucasa_firenze_ 622_R.JPG作曲もこなす万能の天才アルベルティは、
音楽の聴覚比例を建築の視覚比例に移し替え、

和音を図形に置き換えて、建築形態の美や調和、
プロポーションを生み出すことを考えた。

S・M・ノヴェッラ教会のファサードは
その整数比の幾何学で構成されているし、

パラッツォ・ルチェライは、コロッセオの要素と
ロマネスクの半円形アーチ窓を応用して、
石積みの目地で比例のリズムをデザインした。

中世以来の街路に沿って連なる街並みに
パラッツォ・メディチをはじめ上層市民による

古典主義的なプロポーションの都市邸宅が建てられたけれど、
どれもヴェッキオ宮殿のような要塞的な雰囲気を持つ。

tucasa_firenze_ 846_R.JPG街路の裏側に中庭があるのは
古代ローマのヴィラからの伝統だろう。

ポルティコに囲まれた中庭を
いくつも堪能できる街でもある。

街で見かける足場のある工事現場は、
新築はなく全て外装の補修か内部の改装だ。

古い建物のレスタウロで上手く再生させた店舗など
多くの魅力的な都市デザインを見てきた。

外観だけ残しただけではただの景色で、
そこに人々が生き生きと必要な用途で使って、
働いているからこそ、街並みが魅力を帯びるのだ。

フィレンツェに来たら、どうしても会いたくなる美術品がいくつもある。

tucasa_firenze_410_R.JPGパラッツォ・メディチとともに
ミケロッツォが手掛けた、

木の小屋組が親しみを感じる、
静謐なサン・マルコ修道院。

真っ先に階段を目指して、
踊り場に出た時正面を見上げると
フラ・アンジェリコの「受胎告知」がある。

クリスチャンでなくても
不思議な安堵感の中で、瞑想するようだ。

宗教的モチーフの題材だけれど、
透視図画法はルネサンスを感じる。

tucasa_firenze_ 437_R.JPG小食堂の壁一面に描かれた
ギルランダイオの
「最後の晩餐」のフレスコ画は、

この部屋のヴォールト天井に合わせて、
天井が透視図画法で連続して、

窓も延長して描かれ、
窓からの光は部屋と同化している。

ギルランダイオは、
若き日のミケランジェロが師事した師匠だ。

つづく。

司建築工房

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