2018年07月02日

チョイ住み in paris 3

西ローマ帝国滅亡以来絶えていた、円筒ヴォールトや
半円形を用いた石造建築が、11世紀クリュニー修道会によって復活され、

絵画ではフレスコ画が盛んになり、
ステンドグラスによる装飾もこの頃に始まる。

遡ると6世紀に東ゴート族のテオドリック大王が
ラヴェンナに首都を置いて以来、

古代ローマの建築技術を引き継ぐ
オリエントのビザンチン様式をもたらしたけれど、

その後東ゴートを滅ぼしたランゴバルト族は、北イタリアに定住し、
ランゴバルト王国の首都だったパドヴァが
ビザンチン文化を西欧と結びつけた。

石工職人らは、かつてのローマの石造建築を研究し、
ビザンチン建築の思考に基づいて横断アーチを掛け、

天井を石で覆う組積工法やロンバルディア帯を編み出し、
巡礼路教会の建設に伴って南仏からブルゴーニュ、
ラングドック、ルシヨン、カタルーニャまで移動した。

その交流によって、民族の大移動に伴ってイベリア半島に伝わった
西ゴート文化、アラブ文化を吸収して、イスラム文様を残している。

コーカサス地方の金属細工品にある動物文様は、
東ローマ帝国がササン朝ペルシャを倒したことで伝わった技法だけれど、

ヴァイキングや十字軍遠征による東方の文化の刺激によって、
建築技術や装飾に新しい手法が導入され、
より自分たちのアイデンティティーを求めていった。

アーチを先尖りにして、壁に掛かる応力を減らすことで壁を薄くし、
石でリブになる交差ヴォールトを造って、

リブの間のスペースは軽い煉瓦と漆喰で覆うことで、
柱によって荷重を支え、天井まで大きな窓を空けることが可能になり、

内陣の背後も身廊と同じく高窓にして、
ステンドグラスの光で満たされた空間を実現した。

高く積まれた側壁は、外側から
フライングバットレスで軽やかに支えた。

ゴシック様式に見られる交差ヴォールトのリブや束ね柱は、
木造聖堂時代の記憶を留めている。

tucasa_paris_1399_R.JPGシテ島の西側に裁判所に囲まれて建つ
サント・シャペルの中に佇むと、

天井や柱に描かれた文様とともに
パリ最古のステンドグラスの色彩が
大合唱を奏でていた。

13世紀にイギリスやスペイン、イタリアの人口が
500万人なのに対し、
フランスは3000万人もいたから

人口の数に比例して、フランスには
多くのロマネスク教会が建てられたけれど、

1950年代ヴェズレーの近くの修道士が始めた
「ゾディアック」という出版活動が、

自然と一体になったロマネスク教会の風景の価値を
再認識させるきっかけを作り、
これによって各地の調査や文化財保護活動が進んだ。

フランスは16世紀の宗教改革と18世紀の大革命で
教会や修道院の文化財が多く破壊されているから、
今は保存に余念がない。

パリのシャイヨー宮の中に建築文化財博物館がある。

tucasa_paris_0136_R.JPGフランス・ロマネスク教会のハイライトのような
ブルゴーニュ、サントンジュ、オーヴェルニュ、

ラングドック、ルシヨン、プロヴァンスなど
各地の選りすぐりのタンパンや柱頭彫刻が
見事に原寸大で復元されている。

国境が可変的で、ヨーロッパがひとつだった時代の
多様な文化の融合した手作り作品の数々を
1ヶ所でじっくり見られるなんて

ロマネスク好きには有難い博物館だった。

鋳型による復元やフレスコ画の修復技術の研鑽等、
文化財への保存に並々ならぬ決意が感じられた。

tucasa_paris_0106_R.JPGシンメトリーのシャイヨー宮の真ん中の広場から
セーヌ河を挟んでエッフェル塔が軸線上に見える。

今回パリのエッフェル塔を初めて間近で眺めた。

赤いエレベーターが
斜めの脚に合わせて上がっていくのを見たけれど、
股の空間をスッキリさせて、視界を作り、

セーヌ河に掛かるイエナ橋やシャイヨー宮までの
軸線の景観に、頑なまでの意思を感じる。

パリの街は至るところに軸線が意識されていて、
軸線の先の建物に正面性を与えて、
街並みの景観を印象づけ魅力的にしている。

友人のご好意で、シャンゼリーゼ通り沿いの歴史的建造物の中で、
普通より大きなビリヤード台でひと時を興じたんだけれど、

やはり道路を横断する際、
軸線の先にある凱旋門は少し足を止めて眺めたくなった。

オペラ座もしかり。

つづく。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活


posted by Koji at 20:58 | TrackBack(0) | 建築ツアー

2018年07月01日

チョイ住み in paris 2

パリには紀元前3世紀頃すでにケルトのパリシイ族が
シテ島に集落を作って住んでいて、

カエサルのガリア征服時にはすでに金貨を鋳造して、
セーヌ河によって交易していた。

ローマ帝国時代、ケルト人が神々を祀っていたように
島の東側で祭祀を行ない、西側で行政が行われた。

西ローマ帝国が滅亡した後もこの配置は受け継がれて、
現在、島の東側にノートル=ダム大聖堂、
西側に裁判所やコンシェルジュリーがある。

コンシェルジュリーは、元々はカペー朝の王宮で、
14世紀末司法権を与えられた守衛(コンシェルジュ)に
管理される牢獄として使用され、

フランス革命後は、マリー・アントワネットらが投獄された。

このカペー朝からフランス王国だけれど、
三国に分割される起源となるフランク王国は、

西欧のキリスト教世界の政治的後ろ盾として、
西ローマ帝国滅亡後の中世世界を築いてきた。

遡ると元は多神教だったゲルマン部族のフランク王クローヴィスが、
ローマ=カトリックに改宗したことに始まる。

シテの名は、クローヴィスが首都(シテ)と宣言したことに因む。

8世紀ランゴバルト王国からラヴェンナを奪回した
ピピンの寄進によってローマ教皇領が本格的に形成され、

以降ローマ教皇は、教皇領を財源として
政治、経済の支配権を行使した。

カペー朝のフィリップ2世は、父の代からの
ノートル=ダム大聖堂の建設を引き継ぎ、

パリ大学の創設、道路の舗装や堅牢な城壁を建設して、
初代ローマ皇帝アウグストゥスに因んで、
オーギュスト(尊厳王)と評された。

一方でローマ教皇インノケンティウス3世の要請で
アルビジョワ十字軍を派遣し、南仏のカタリ派を徹底的に残滅した。

これによってフランス王権がプロヴァンスまで拡大し、
インノケンティウス3世は、叙任権闘争と十字軍運動によって
絶大な権力を握り、ローマ教皇領は最大になる。

キリスト教の歴史に当初から出てくる異端という言葉自体、
違和感を感じるのだけれど、

教会の腐敗・堕落を批判されると
自分たちに都合が悪いものには悪者のレッテルを貼って
消すことを正当化した。

tucasa_paris_1457_R.JPG独り言はともかくも、
フィリップ・オーギュストの城壁の遺構が
今もあちらこちらに点在している。

サン=ルイ島からマリー橋を渡ると
リセ・シャルルマーニュという

高校の校庭に残っていて、
円筒形の見張り塔もある。

サン=ルイ島から左岸に渡ると、
建物の横に存在感のある城壁が現れて、
先生に連れられて歴史探索している小学生たちと出会した。

tucasa_paris_1433_R.JPGノートル=ダム大聖堂前の広場の地下で、
古代ローマ時代の床暖房設備等の遺構が
発見されていて、

シテ島の左岸には古代ローマ時代の
劇場や闘技場跡が残っている。

3世紀のユリアヌス帝の浴場跡もあり、
それをクリュニー修道会が買い取って、

tucasa_paris_1446_R.JPG14世紀にパリの住まいとして建てられたのが
現在のクリュニー中世美術館で、
たまたま改修工事中だった。

14世紀初頭の城壁で囲まれたパリの市街図を見ると
サン=ルイ島はまだ無人だったようだ。

僕が20年前初めてパリを訪れて以来、
ルーブル宮殿の外壁に囲まれて、

中心にガラスのピラミッドのある広場の景色は、
ここでしか味わえないものがあるけれど、

元は12世紀にフィリップ2世がパリを囲む城壁の外に
セーヌ河を遡って攻めてくるノルマン人への備えとして
馬出のように要塞として築いたものだ。

今や紀元前の貴重な美術品をはじめとした世界の美術の宝庫だけれど、
当時は町外れの武器庫と文書などの倉庫だった。

パリには、他にもヴァンドーム広場やヴォージュ広場のように
建物の外壁で囲われた公共のリビングのような場所が幾つもある。

つづく。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活

posted by Koji at 20:55 | TrackBack(0) | 建築ツアー

2018年06月30日

チョイ住み in paris 1

久しぶりのパリは、様々な歴史と文化の宝庫で、
全てを味わうには一生では不可能かと思えるほどだ。

セーヌ河の中洲、サン=ルイ島にチョイ住みして、
パリの中の古代、中世をテーマに
許される時間を過ごすことにした。

tucasa_paris_1907_R.JPG窓の外に身を乗り出すとセーヌ河が見える、
5階建て+屋根裏部屋のアパルトマンの
5階で、コンパクトだけど機能的なパリ生活。

キッチンに換気扇はないけれど、
洗濯物は窓際に干しておけばよく乾く。

窓際の天井が屋根勾配のフォルムを作って、
窓からは、通りを挟んだ向かいの灰色の板金屋根や
茶色い土管の煙突も間近に見られる。

朝になると窓を開けて、陽の光を浴びて
下の通りの様子を伺うマダム。

映画「裏窓」のように人間ウォッチングしてしまう。

1665年に建てられたというこの建物の
窓の外や屋根の水切りと樋はブリキだ。

朝の清々しい空気を感じて散歩がてら、
朝8時に開く八百屋とパン屋で買い出しした。

ムッシュ、今日も良き一日を!といつも声を掛けてくれた。
ここではロボットのようなお声掛けの違和感は全くない。

アパルトマンの螺旋階段の真ん中に
上手いこと設置されたエレベーターを挟んで、
お向かいに暮らすパリジェンヌとも挨拶を交わす。

玄関戸など当時のものは新しいものに変えてはならず、
高さ制限の規制緩和以前の17世紀の街並みの景観を保っている。

tucasa_paris_1383_R.JPGサン=ルイ橋を渡ると、シテ島の
ノートル=ダム大聖堂の後陣が見えて、

石の天井の重みをフライングバットレスという
アーチ状の梁で支えるゴシックの外観に
異国情緒を感じる。

内陣を東に向けるのは、ケルトよりはるかに古い
巨石文化に続く、土俗的な太陽信仰が根本にあるけれど、

傍を通ると雨樋のガーゴイルがユニークで
思わず足を止めてしまう。

細かい浮彫や線の表現と古代のヘレニズム的人像や
タンパンも尖頭アーチだけれど、
他民族に由来するモチーフのロマネスク的彫刻も混在している。

これらがパリで採掘された石で積み上げられ、
パリの街の地下には全長350キロもの坑道が
今も残っているという。

tucasa_paris_1363_R.JPGゴシックの教会は北フランスから始まり、
いずれもノートル=ダムという名前だ。

都市の団結の象徴として、
聖母マリアを共通の聖人とした。

いにしえから都市には富があるから
略奪の対象になるのだけれど、

9世紀、シャルルマーニュ大帝の死後、フランク王国が分割され、
その内紛が北からノルマン人、東からマジャール人、
南からサラセン人の侵入の機会を与えてしまう。

他民族の侵入は、防備に変革をもたらし、
運命共同体としての役割分担が階級社会を一層明確にし、
自治都市が形成されていった。

他民族の侵入が落ち着いた10世紀頃からは、
人口が増加し、定住率が高まり、

11世紀からの大開墾時代、
多くの修道院が建設され、農業経済が進展した。

サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路や
ローマ時代の道路が機能していたガリアの交通ルートと
河川交通が港湾都市とも結びついて、

人の往来や交易が盛んになり、西欧を豊かにし、
そのことが文化の伝播にも大いに貢献した。

市民を収容するノートル=ダム大聖堂の正面に
クリスマス前になると、大きなツリーが飾られる。

この習慣は19世紀からだけれど、
クリスマスツリーは元々、古いケルトの聖樹信仰だ。

ヨーロッパは、12世紀まで3分の2が森だった。

森はケルトの人々にとって、
生活に必要なものを提供してくれる聖なる場所で、
彼らは木の文化を持っていた。

今やパリの街は、組積造の外壁が
あらゆる方向の軸線を持つ街路を形成しているけれど、

ルネサンス以前は、木造の民家が建ち並んで、
木造の教会も多かったそうだ。

サン=ルイ島からルイ・フィリップ橋を渡ると
15世紀の木造民家が幾つか現存していた。

古代ローマ時代の道路を繋ぐ、木の橋だったプチ・ポンは、
12世紀に石橋に変わった。

つづく。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活




posted by Koji at 20:49 | TrackBack(0) | 建築ツアー

2018年06月12日

季節の移り変わりを楽しむ

紫陽花の美しい季節。

tucasa_8560_R.JPGお庭には平家物語の儚さを象徴する
沙羅双樹の白い可憐な花が、
季節感に相応しい夏着物の透けを表現している。

季節の変わり目は、体調の変わり目でもあるけれど、
月に一度のお茶事には、
単衣着物に羅帯とパナマ草履で出掛けた。

お茶席のお床は「清流間断無」のお掛け軸に
紙釜敷とお香合も清流。

低い立ちの風炉先屏風に割蓋の平水指。

この時期だけのお道具立て、
織部の馬盥(まだらい)茶碗と
紫陽花を想わせる薄紫色の平茶碗での

初夏の一服をゆったり噛み締め、
良き季節感を堪能させて頂いた。

大変貴重な赤織部と練込織部のお茶碗、
お菓子器の拝見も許されたのだけれど、

とりわけ亭主のお心尽くしが何よりのおもてなしと感じ入り、
感謝に堪えなかった。

今からパッキングして明日パリに出掛ける。
パリは長い冬の厳しさを脱して、
束の間の夏の歓びを謳歌してるだろうか。

ケルト系パリシイ族から始まり、
民族の大移動による歴史と文化の重層性が
ロマネスクとゴシックを生み出した。

今設計している建築は、洗練と土着的、上品で荒削り。

今回は、演奏にも共通する
良い意味で脱力したフランス人の感性にも触れると思う。

せっかくパリまで行くのだから、
南仏のプロヴァンスと北イタリアのヴェネトにも
足を運んで建築詣でをしたいと思っている。

日本とは違った文化の重層性の空の下で、
音楽を見るように、様々な空間変移を聴く建築を考えたいと思う。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活


posted by Koji at 20:03 | TrackBack(0) | お茶

2018年05月05日

レディース鍼灸院のレスタウロ 1

tucasa_casa_8269_R.JPG桜に続きハナミズキの花も終わり、
緑が際立って美しく感じられる立夏。

新たな鍼灸院づくりで、
施工の段取りと墨だしとともに、
工具を手にして

鍼灸院の院長先生と一緒に施工することを許され、
その楽しさを共有させてもらている。

大工道具や重機を揃えて、
何でも自分で手掛ける院長先生の姿勢に
狩猟時代の人間の輝きを垣間見る気がする。

tucasa_gou_ 197_R.JPG科学の進歩の恩恵と引換えに、様々な
しがらみに縛られている現代だからこそ、

好きなことに没頭するかけがえのない時間は
何ものにも代え難い。

既存のそば屋の内部を解体して、
既存の住設や電気配線の撤去、水道管の改変、

腐った土台の取り替えや不十分な断熱施工の補充から
床組み、壁起こし、天井下地と骨格が見えてきた。

自分が引いた設計図を現場で現寸法に描き写し、
施工していくと目の前に実在が姿を現す、、、
そんな密かな喜びを味わっている。

tucasa_gou_8208_R.JPGここは女性と子供のための鍼灸院だから、
やさしく癒される空間であるために
木をふんだんに使い、

長方形の既存空間に
三角形グリッドを導入することで

原始的な包容感を与え、
天井の高低差が空間の親密感を増す。

地続きのヨーロッパは、
歴史と地勢の異なる文化の共振が生まれ、
無数のバリエーションが存在するけれど、

ヘレニズムとヘブライズムとともに
ローマ文化を基盤としながら

多様な民族的起源が息づいた
ロマネスク文化の重層性に
魅力を感じてきた。

福岡県にある古墳時代の石室壁画に三角形の彩色文様があって、
直線と三角形を組み合わせた文様が、まさに今回のグリッドで、
この建築の室内の秩序となる。

異質なものの融合は、
日本が殆ど持つことができなかった感覚のように思われる。

tucasa_gou_8361_R.JPG今回初めての試みも二つ提案していて、
一つは、ビザンチン芸術の
円から始まる交点を結んで、

三角文様グリッドを導き、
そこから自由な幾何学模様を生み出した。

幾何学パネルを26枚刳り貫き加工して、
木の壁と一体になった
窓からの光の変容を生み出そうというもの。

その文様に子供たちが色んな想像力を働かせてくれることを
今から楽しみにしている。

三角形が根底のテーマとして流れ、
空間に様々な三角形がアクセントとして現れる。

手間は掛かるけれど、手間を積み重ねた先に
歓喜が訪れるはずだ。

tucasa_casa_8365_R.JPG追伸:GWは、自宅の木の簀子の組子
41本を全部新しいものに換えて、

木の風呂桶や木の風呂蓋も磨いて、
自然の風合いを損ねない撥水塗装を施した。

木の箸で確信を得て、
今度は簀子でも実験を兼ねて。


司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活


posted by Koji at 13:45 | TrackBack(0) | 現場

2017年11月28日

鉋フィニッシュの椅子

霜月の紅葉のお茶事では炉のお点前になり、
我が家でも暖炉に火を熾し、火の神に酒を供えた。

今年は庭の木の葉の色付きも鮮やかで、
ゆずが黄色くなり始めた。

師走が間近に迫った近頃は、
好きな刳物の漆器を事務所に並べて
時折触っているんだけど、

深紅(ふかきくれない)のチェロケースと共に
朱漆のアカが生命感を与えてくれる。

tucasa_homes_ 057_R.JPG先日、徳永順男さんの鉋フィニッシュの椅子と
ご本人にお目に掛かるため銀座へ出掛けた。

ペーパーで木を擦らない生命感は、
いつか見かけた野生の鹿の輝きを彷彿させた。

腰のラインにピタッと納まる心地よさと手触り。

三次元ルーターでは出せない何かが伝わってくる。

人の心を打つ技術力を支える道具は、
見たことのない指先に収まる自作の鉋台に、
光り輝く玉鋼の刃で、

tucasa_homes_ 052_R.JPG自然と神聖なモノを扱うように
握らせてもらった。

火山によって地表に噴出した
花崗岩の風化による砂鉄を

粘土の炉で還元するタタラという
原始的な方法で鉄を取り出すらしい。

工業製品に囲まれた現代にあって、
人の手で作る意味を共感でき、

良き精神性に触れると
何も要らない幸福感に包まれる。

tucasa_homes_ 061_R.JPG人の住む環境が自然を覆い隠して、
新建材に囲まれてしまったら、
我々の想像力や感性は鈍るばかりだ。

人間は自然から遠ざかると病的になる。

僕が独立した2000年以前から人々は、
便利・快適を追求してイライラしていたけれど、

今や、AIやロボットに
人間の営みの一部を担わせようとしている。

日々の暮らしを支える住処や家具や料理は、
人の手で作ることが肝心だし、手掛ける醍醐味は失くしたくない。

取り分け、場というものが重要だと思うのだけれど。。。

人を癒し英気を養うのは、自然の生命力しかないのだから、
大地の樹木のような建築をこれからも肌感覚で作っていこうと思う。


司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活



posted by Koji at 23:42 | TrackBack(0) | 交流

2017年10月28日

スポットライトを浴びて

豊川童謡祭りにて、合唱団の方から
低音の響きがほしいとお声を掛けて下さり、

豊川市文化会館大ホールで
チェロを演奏する機会に恵まれた。

tucasa_toyokawa_ 0041_R.JPGスポットライトを浴びて、舞台の上で弾く
貴重な経験をさせて頂けた。

集中して楽しく弾いて、
ひとつの音楽を作るひと時は、
かけがえのない想い出となりました。

終わってから、指揮者の方や団員の方々、主催者の理事長からも
良かったとお言葉を賜り、何よりの幸せでございます。

関係者の皆様に感謝申し上げます。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活







posted by Koji at 20:56 | TrackBack(0) | 私ごと

2017年10月22日

ヴェネツィアでスカルパ建築を堪能

今回写真集で見てきたクェリーニ・スタンパーリアと
オリヴェッティ・ショールームをじっくり観ることができた。

tucasa_venezia_ 2171_R.JPGこんなところまでこんなデザインがされている
という連続で、
なかなか先に進めなかったんだけど、

移動するごとに展開していく
景色の空間構成を自らの美意識で、

素材を加工した幾何学的なパーツと
テクスチャーで組み合わせ、ディテール、
納まりを職人に伝えるための図面や

現場につきっきりで職人に伝えた仕事に想いを馳せ、
その妥協なき情熱に敬意を抱く。

tucasa_venezia_ 2249_R.JPGこれだけ意匠の連続する空間なのに
ずっと居られるのは、
茶室や茶庭と通ずるものがある。

料理を作る前に必要な食材を並べると
豊かな気持ちになるように
建築の素材たちがいい表情を見せている。

イタリア磨きや大理石の模様、
コンクリートのジャンカや骨材の質感、
真鍮のムラ、タイルの光沢、

抑制の利いた色彩と素材の厚み、
余白の美(間)と緻密な意匠が合わさって、
絶妙な緊張感を作っているのを身体で感じた。

きっと数奇屋建築の棟梁や庭師の親方が現場で
微妙な配置や材料寸法の決定の積み重ねの上に
総合的な調和を見出していくのと同じだろうと想像する。

tucasa_venezia_ 2980_R.JPG日本語で数寄という言葉が近いだろうか、
多様な文化の理解と

独自の視点で導かれた創造性、作風は
スカルパの好み、世界感の発露だろう。


これだけの設計を創造できるスカルパは
やはり凄い方です。

ライトの建築を観た後に感じたのと同様、
視覚的構成感覚としての日本美術の卓越性を見直したのでした。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活


posted by Koji at 20:06 | TrackBack(0) | 建築ツアー

2017年10月15日

チョイ住み in Venezia 5

tucasa_venezia_ 1790_R.JPGある日、幾つかの小運河が交わる橋の上から
飽きることのない景色をながめていたら、

ゴンドラがやってきて、男性のバンドネオンに、
女性歌手の歌を聴けて、
特別な気持ちになったりする。

様々な方向の外壁面と水面が
反響効果を増すのだろう。

街で聞くおじさんの会話さえオペラのようだ。
まさに街自体が劇場のようだ。

tucasa_venezia_ 2423_R.JPG夕暮れのひと時は
ひときわロマンティックなんだけれど、

たまにはマオカラーのカラヤンスーツを着て、
フェニーチェ劇場へ。

ヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」。
このフェニーチェ劇場で初演された演目だ。

tucasa_venezia_ 1884_R.JPGかつての貴族たちが埋めた
ボックス席からの観劇は貴重な体験だった。

観客も装飾もすべてが芸術の一部であり、
劇場の箱も音楽の一部で、
いかに場というものが大事かを痛感した。

ベルリオーズは、オペラは総合芸術だと言った。

日本にはこういったオペラ専用の劇場がないことを残念に思う。

その点歌舞伎は専用の劇場があるから
地方(じかた)さん、舞台芸術含めて、日本の総合芸術だ。

そしてお茶事こそ日本の総合芸術だ。

ある夜、教会でヴィヴァルディの「四季」を聴く機会に恵まれた。
ヴィヴァルディが育った街で聴くことは感慨も一入だ。

イタリア人による質の高い演奏を間近で聴けて、
教会に響く生の音は最高だった。

古楽器の弓で弾いてたんだけど、
バロックは教会で聴くように作られていると感じた。

その土地特有の街の空気感から様々な芸術が生まれる。

ヴィヴァルディの「霊感の調和」などは海のヴェネツィアの
自然の呼吸、街並みのリズムや華麗な輝きを感じる。

「四季」は海のヴェネツィアではなくて
本土の陸地で繰り広げられる四季の表現なのではないだろうか。

海の都に暮らすからこそ、
本土にある大自然というものに対する憧れを
表現したのではと勝手に推測してみる。

tucasa_venezia_ 2729_R.JPGこの街では演奏会に船で出掛け、船で帰る。

夜の大運河沿いの建物の部屋には
明かりが灯っていて、
優雅な雰囲気を伝えてくれる。

この街で生まれ育った建築家スカルパの
この街でのレスタウロを肌で空間体験できたことは、
かけがえのない学びになったのでした。

つづく。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活
posted by Koji at 22:32 | TrackBack(0) | 建築ツアー

2017年10月14日

チョイ住み in Venezia 4

古代ローマ人は、公衆浴場に広い中庭を造り、
そこで子供たちも遊び、野戦病院でさえ中庭があり、
噴水や樹木、草花で満たされていた。

地中海世界では古代から中庭が一貫して使われてきた。

建物がぎっしり並んでいる通りからは想像もできない
地上の楽園のような空間だ。

tucasa_venezia_1784_R.JPG知的好奇心とロマンに溢れた商人たちは、
地中海世界の中庭に感動したに違いない。

ヴェネツィアの住宅は、
通路から一歩中へ入れば私的空間で、

中庭を取り込みながら、
徹底して快適性と独立性を確保している。

複数の家族が一つの建物に住んでいても
それぞれの中庭と階段を持ち、お互い顔を合わせることなく
プライバシーが守られるように巧みに作られている。

土地が少ないヴェネツィアの倉庫と居住部分を
上下に積み重ねる実用主義的な構成は、
日本における建築にも大いに参考になると思われる。

敷地の周辺環境を捉え、住む人の心理を考えた
見事な内部構成力は、良き刺激を頂いた。

古代ギリシャの広場アゴラや
1世紀頃ポンペイのウエッティ家の円柱廊で囲われた中庭、
ヴィラ・ロマーナの回廊などの原型があるけれど、

古代ローマの遺跡が残るお膝元のローマでさえ
廊空間によって囲まれた広場が作られるのは、
ルネサンス以降だったことはフィレンツェのところで書いた。

tucasa_venezia_ 3033_R.JPG1層目が連続したアーチのポルティコで、
2・3層目が2分の1の幅のアーチによる
旧行政館をはじめ、

開放感のある外壁によって囲まれた
サン・マルコ広場は、

サン・マルコ寺院がほぼ現在の姿になった
12世紀まで遡れるという。

中世のイスラム都市ではすでに
アーチのある回廊状の広場が
存在していたと思われる。

ヴェネツィア人は、サン・マルコ寺院の建立に着手した時から
研究機関が充実し、自然科学が発達したヘレニズム文化が融合した
ビザンチン帝国の東方デザインを変えていない。

tucasa_venezia_ 1981_R.JPGサン・マルコ寺院の
床の幾何学模様のモザイクには、

ビザンチンの知力の高さに
度肝を抜かれた。

イスラム芸術は幾何学パターンを
その背後の秩序によって複雑に織り合わせ、

中心性や無限性の概念を表し、
有機的な生命やリズムを体現する。

ドゥカーレ宮殿は、1層目の上に2層目が2分の1の幅の
尖頭アーチとゴシックの優美な回廊で廻らし開放感があり、

ピンクと白の大理石でモワレのような色気のある壁面と
回廊の床面も幾何学模様で織り成されている。

明治の日本にジョサイア・コンドルが招かれたように、
ギリシャ人技師がビザンチン様式の教会建築を指導し、
その後の住宅建築にもオリエントの影響を色濃く残すことになる。

tucasa_venezia_ 2145_R.JPG三列構成プランのヴェネツィアンゴシックが
街の独自のスタイルとして完成して、それは
ルネサンス、バロックにおいても踏襲された。

ルネサンス以降、建築家が
個性的な作風を競い合っていた時代でも

基本的には景観の変化に対して
慎重な考え方を持っていたから
この独特の中世的都市空間が守られてきたのだ。

日本では歴史的建造物を壊して、
小さな新築が建ち並ぶ風景に一変させてしまったけれど、

貴族の邸宅も庶民の家も、近代になって用途が変わり、
細分化されて使われていても、街の風景は持続させるのでした。

つづく。

司建築工房

♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪
 大地の樹木 本物の素材 火のある生活

posted by Koji at 23:28 | TrackBack(0) | 建築ツアー