2017年10月13日

チョイ住み in Venezia 3

tucasa_venezia_ 2156_R.JPGヴェネツィアの街は百を超える
小島が集まってできていて、
島の周囲を石組で固定しながら

ただでさえ少ない貴重な地面に
住居は密集してくるんだけど、それを補うように
島ごとに公の広場と教会の用地を残した。

こうして70以上の広場と教区教会堂を中心とした
居住区の間に大運河と小運河が整備されていった。

家から狭い迷路を歩き、
明るい広場に出た時の解放感は、想像に難くない。

わざと広場に出る前で、ソットポルティゴを潜らせて、
より解放感を劇的なものにする演出もする。

密集した街に暮らしていても、広場があれば
天気のいい日は大広間のように寛げる。

広場の形も様々で、運河の潮の流れに従った
壁面線が描くラインは、人工的とは真逆で肌に馴染む。

tucasa_venezia_ 2404_R.JPG広場は、相互扶助の精神を育む、
運命共同体の縮図とも言うべき場所だ。

ヴェネツィアでは私より
公を優先してきたことは、
歴史が物語っている。

まだ外交官という概念がない時代から、
各国に大使を派遣して、商人にも報告する義務を課して、
最新の情報を集めることに重きを置いた。

一人の英雄、絶対君主を作らない制度と気風を徹底し、
皇帝でさえカノッサの屈辱がある時代、

どの権力にも属さず、神の代理人という名の
ローマ法王庁という従うべき権威にも

国益を損なうような命令や圧力には従わない、
政教分離のバランス感覚を備えていた。

tucasa_venezia_ 2329_R.JPG塩と魚介類くらいしか資源のない
干潟に作られたちっぽけな島が、

独立国家として生き延びるための覚悟を
街並みにも感じたのでした。

ヴェネツィア共和国の1100年間、
武力ではなく、人間力のもてなしによって、
街の魅力の虜にさせる平和外交をしてきた。

日本も欧米にはない誇れる日本文化を認識して、
おもてなしや粋に暮らす精神性の高い国民として
平和外交をもっと努力するべきではないだろうか。

つづく。

司建築工房

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2017年10月12日

チョイ住み in Venezia 2

滞在する住居は、路地からアプローチして
2階部分の小運河に面した素敵な部屋で、
窓からの景色は、歴史ある街に住んでいるという充実感がある。

tucasa_venezia_ 1997_R.JPGこの小運河沿いの路地から
職人さんが船で資材を搬入し、

夕方近所の親子が、
ここから船に乗り込んで出掛ける。

路地は小運河の対岸の景色を楽しむ
ビュースポットにもなる。

この小運河にこそ海の都ヴェネツィアの
日常的な素顔がある。

家には生活するのに必要なものはすべて揃っていて、
イタリアでは一家に一台あるという

直火式マキネッタもあるから、
毎日クレマのあるエスプレッソを嗜んだ。

13世紀頃アラブで飲まれていた珈琲を
最初にヨーロッパに持ち込んだのは、ヴェネツィア人だ。

近くの生協で食材を買い出しして、
家で食事をするのは寛げていい。

tucasa_venezia_ 1758_R.JPG滑車の付いた物干しから洗濯物を取り込んでいると、
ゴンドラに乗ったカップルとゴンドリエーレが
声を掛けてくれた。

朝と夕方には近くの教会の鐘の音が聴こえて、
向かいの煉瓦の塀やリオの木杭の上で
鳥が謳っている光景にも出会える。

ローマやフィレンツェの旧市街地では
車が走っていて、歩行は気を遣ったし、
騒音は街の営みの一部としてあったけれど、

ヴェネツィアでは道幅がヒューマンスケールで、
車がいっさいなく、全ての通りがまさに歩行者天国だから

車の騒音や排気ガスから解放されて、
安心して街歩きが堪能できる。

車社会の騒音がないサウンドスケープは、
人が癒される特別な街なのだ。

tucasa_venezia_ 2516_R.JPG中世の街並みの中で最も地中海的な
迷宮性を帯びたヴェネツィアの街は、
建築的手法に溢れている。

建物が両側から迫り、
狭い路地を折れ曲がりながら進み、
天井の低いソットポルティコを潜るから、

小運河に架かる橋の上が、
解放感に浸るホッとする場所になる。

tucasa_venezia_ 2661_R.JPGこうした歩く人の気持ちを考えて、
可能な限り橋の幅を広くしている。

対岸どうしの路地が
正面に重なるとは限らないから、

斜めに橋が架かり、
これがまた変化に富んだ風景を作っている。

建物を壊してまでまっすぐ通すようなことは考えない。
古い街並みを活かしながら豊かな空間を繋げていく。

迷路を歩く人の目線を考えて、
目線の先の様々な意匠で閉塞感を和らげ、
歩く楽しみに一役買っている。

tucasa_venezia_ 2390_R.JPG路地と小運河の織り成す
周辺の環境と上手く対話して、

歩くごとに見え方が変わり、
見え方の数だけ絵になる景色を作っているのだ。

こういう街並みで育ったからこその、
スカルパの空間構成や
人の目線を利用した意匠が腑に落ちる。

もっとも日本人の茶庭などはもっと繊細で。。。

敷石のリズムをわざと崩して、
緊張感と共に足元に目線を誘導して、

足元が安定した石に来た時、顔を上げると
ハッと息を呑む景色を見せるような。。。

この街並みは、通商で培われた、
人の心理を読むことに長けたヴェネツィア人の
知力の結集だと感じたのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月11日

チョイ住み in Venezia 1

フィレンツェから電車でヴェネツィアへ。
通い慣れたボローニャを過ぎると、
広い平原の景色が続く。

6世紀、東ゴートを滅ぼした
ランゴバルト王国が支配して以来、
この平原はロンバルディアと云われ、中世が始まる。

この時ランゴバルト人の侵攻から逃れた人々が
ラグーナの島に逃れヴェネツィアを建設した、とされる。

tucasa_venezia_ 1679_R.JPGオーストリア支配時代の19世紀半ばに
全長5kmの鉄道の橋が開通するまでは、
船でしかたどり着けない街だった。

電車が海を渡り始め、
海の中にオレンジ色の島が見えてくると、

「旅情」のキャサリン・ヘップバーンほどは
大人げなくはなかったけれど、

隣のゲイカップルの見つめ合う笑みの狭間で
窓の景色にテンションは急上昇した。

サンタ・ルチア駅を降りると、
運河が目に飛び込んでくる配置には感動した。

tucasa_venezia_ 1680_R.JPGたいがい大地の中に川があるのだけれど、
ここは海の中に陸地がある。

はるか昔の先人たちが、
干潟に築いた海の都。

紀元前の古代ローマ人がすでに、
川に橋脚を造り橋を建設していた
ハードなインフラ技術を持っていたけれど、

海水を塞き止めなければならないラグーナの土木工事は、
陸地とは比較にならないほど
高度な技術を要し、難工事だったはずだ。

想像が尽きない先人たちの苦労の上に、
僕らは特別な感動を味わえることを忘れてはならない。

すぐ目の前がヴァポレット乗り場だ。
19世紀後半に駅とサン・マルコを結ぶ
ヴァポレットの運行が始まっている。

tucasa_venezia_ 1702_R.JPG最寄りの乗船口で降りるつもりが、
リアルトまで停まらない船だったんだけど、

心地よい風を感じながら、ゆっくり
大運河沿いのオリエントの文化が融合した

エキゾティックな建物を眺める感動は
少年のようだったと思う。

船でアプローチする玄関やロッジアの
開放的な連続アーチが水の中から建ち上がる都市風景は、
僕の心をわしづかみにした。

東方貿易時代にビザンチンの影響を受けた13世紀ゴシックから
古典主義のルネサンスや陰影のある優美なバロックまで、
窓の表情の華麗なる饗宴が目の前で展開される。

これらが当時のまま海の上に、今だに建っている。
堅い地盤まで打ち込んだカラマツの木杭と板が
今だに地面と建物を支えているのだ。

かつてのヴェネツィア商人は交易に生き、
オリエント文化を吸収して、
多様性という価値を見出した。

イタリアの他の中世の街並みが、
敵の侵入を防ぐ城壁で囲われ、
ファサードが閉鎖的で素朴な時代に、

アーチや円や花模様の開放的でエレガントな窓のデザインは、
当時訪れた人々にとってもかなりの衝撃だったに違いない。

しかも水辺と戯れる風景だ。
と言うより、海に囲まれているからそれができた。

弱みを強みに変える!逆転の発想が
ヴェネツィアにはある。

tucasa_venezia_ 1725_R.JPG同じように、9世紀頃の
ビザンチン帝国勢力圏内で交易をしていた、

聖マルコの遺骨を盗み出した
二人のヴェネツィア商人も

ビザンチンの文化水準の高さに
驚嘆したに違いない。

教会建築は大運河に正面を向けていて、
東西軸より街並みを優先させている。

大運河にかかる長さ約48mのリアルト橋は、
船の航行を跨ぐ大きなアーチの上に

両側から6つのアーチの店舗が中央に向かって上昇して、
中央で大きなアーチがロッジアのように開放している。

実は店舗は2列あって、階段が3列になって、
全体の幅が約22mある。

tucasa_venezia_ 1732_R.JPG滞在先までおおよその地図を頼りに通りを歩くと、
小運河を渡る橋の裏側に、水面にバウンドした光が
キラキラ揺れていて、しばし見とれてしまった。

ヴェネツィアで生まれヴェネトで活躍した建築家、
スカルパの原風景だろう。

橋の上から眺める両側の小運河沿に、
水の中から建ち上がるそれぞれの風景は、
見ていて飽きない。

tucasa_venezia_ 1735_R.JPG一見袋小路の行き止まりのように見えて、
進んでいくと、横に通路が繋がっている。
地図以上に実際はまさに迷路だ。

距離はそんなに遠くないはずなのに、
案外時間を喰ってしまったんだけど、

もう既にこの迷宮のような街歩きに
ワクワク感が止まらなかった。

つづく。

司建築工房

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2017年10月10日

ボローニャの休日 2

学都としての名声と経済効果がもたらされた12世紀頃、
ポー川からレノ運河が造られ、
水運の面では恵まれてなかったボローニャに水が引かれた。

tucasa_bologna_ 1651_R.JPG市街地の地下に大小の運河を張り巡らし、
地下に木製の紡績機を設置して、

引込んだ水力エネルギーで水車を廻して、
15世紀頃には絹織物の

一大産地になっていた歴史は
意外と知られていない。

運河はヴェネツィアまで及び、絹織物の他製粉など
水路を使って流通し、ヴェネツィアからは塩などを持ち帰った。

現在でも街の中で運河を確認できる場所があった。

第二次大戦時ボローニャは戦場となり、
かなりの空爆を受けていることは日本と同じだけれど、

今だに中世の街並みを継承しつつ、保たれていることは
歴史的建造物に対する考え方が違った。

日本は明治維新で一度、
街並みごと自分たちの文化を否定してしまった。

文化とは、人々の長い暮らしの中で育まれた
心と形の伝承だと思うんだけれど、

戦後アメリカ型の大量生産、大量消費時代の中、
日本の住宅はプレハブメーカーによって商品になり、
全く新しい工業製品の街並みに変わった。

近代化への憧れは、歴史に無頓着な進歩主義と
本物の持つ豊かさへの無知によって盲目的に破壊していった。

ボローニャの人々は、「新しい社会のための古い街」という、
住人たちの様々な営みによる人間的魅力に溢れた
歴史地区の庶民住宅を保存修復することを選んだ。

tucasa_bologna_ 1649_R.JPG市民にとっての住みやすい
都市環境の保全を目的として、

類型学を参考に歴史的街並みを再生させ、
内部は必要な用途に改造して、
近代設備を導入し、新しい機能を生み出した。

これらには自治体や庶民住宅局と州が
財政負担をし、借家人や家主の権利の保護に当て、

膨大な額の民間投資が行われ、
民間主導で一戸一戸の修復事業をやった。

文化財建築から手掛けるのではなく、
観光化は全くされていないのだ。

tucasa_bologna_ 1521_R.JPGイタリアの都市が自治権を獲得してゆく時代、
コムーネが司教に変わって
世俗権力を掌握してゆく頃には

100近くの塔が
この街に林立してしたらしいんだけど、
今では2つの斜塔が持ち堪えている。

tucasa_bologna_ 1514_R.JPG
一つのまとまった建物ごとに
それぞれ特徴のあるポルティコが連続し、
地元の土の色、

ビザンチンやイスラム文化の影響も見られて、
都市ごとに個性のある街並みを擁するイタリアは、
興味が尽きない。

ネプチューンの噴水は修復中で、
女神の乳房から水が出るのは
見られなかったけれど、

一日中街を歩いて色んなポルティコを楽しみ、
旅の疲れか、ロマネスクの素朴な
クローチェフィッソ教会の礼拝席で

tucasa_bologna_ 1578_R.JPG美しい賛美歌に眠りを誘われ、
サン・ドメニコ教会の後陣を囲う回廊の中庭に心を洗われた。

様々な職人工房の文化と感性が息づく街。


お気に入りの、古代ローマ時代から2000年続く
マジョーレ広場前のポルティコで、
職人の生きざまや哲学に希望を抱きつつ、

ナチスドイツとファシストの連合勢力を
街から追い出したレジスタンスの
住民自治を慈しむのでした。

司建築工房

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2017年10月09日

ボローニャの休日 1

フィレンツェから電車でボローニャへお出掛け。

ボローニャと云えば、ポルティコ(柱廊)の街。
歴史的市街地は都市廊とも言えるほど、
街中を雨の日も真夏の日差しも避けて歩けそうだ。

tucasa_bologna_ 1553_R.JPGその特徴ある街並みは、
12世紀頃まで遡れるらしい。

それはボローニャが法学を学ぶ都市として
存在感を増していく時期と重なる。

その後の都市としての発展は、イルネリウスが
ローマ法全体の注釈を行ったことから始まった、
と云っても過言ではない。

その頃アルプス以北の街では、
文字の読み書きができたのは聖職者で、

教会付属の学校か修道院でしか学べなかったのに対して、
イルネリウスが教養学などの私塾の教師だったように
一般の学識者が専門性を活かせる活動の場があり、

また法学のような高度な学問を修める場が
一般人にも広く開かれていた。

tucasa_bologna_ 1528_R.JPG文書作成法が発達したことで知られるボローニャは、
高い文化を誇るビザンチン帝国の玄関口であり、

ローマ皇帝とローマ教皇の勢力の狭間にあって、
比較的自由な街であり、

ローマ時代からの交通の要所であったために
多くの学生が東西2キロの城壁に囲まれた
この街に押し掛けた。

教師の家に下宿できるのは、最初のうちで、
膨れ上がる数の学生を収容する部屋が必要になる。

tucasa_bologna_ 1558_R.JPGこの頃の建物は木造で、ボローニャでは、
建物の基礎にも木材が使われていたんだけど、

街路に建物が連なる状態では、
道路の上に張り出さざるを得なかった。

こうして木材で支えた
ポルティコの街並みが形成された。

外来の学生が多く住むようになると、
暴力行為や家賃、書籍等様々な問題が生じ、
教師の私塾の枠を超えて、同郷で団結する必要性が出てきた。

それが学生団体ユニヴェルシタスであり、
その後のボローニャ市からも教皇からも公認された
学生主体のボローニャ大学で、

司教座教会付属の大学である
パリ大学とは性格を異にする。

校舎ができるのは16世紀だけど、
ヴェネツィアのサン・マルコ広場を囲む建物のように
2層に開放的なアーチが連なる。

他の都市のシンボルは司教座教会であるけれど、
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院がドージェの礼拝堂であるのと、

tucasa_bologna_ 1459_R.JPGボローニャの中心マッジョーレ広場に建つ
サン・ペトロニオ聖堂は、

教皇権に対抗して市民が建設した
市民の聖堂だ。

ちなみに世界一の教会として
着手したんだけど、

ローマ教皇がサン・ピエトロ大聖堂よりも
大きな教会を許さず、建設資金を打ち切って、
今尚未完のままだ。

でも僕には市民の方々の
精神的な誇りを感じる景色に思えるのでした。

つづく。

司建築工房

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2017年10月08日

トスカーナの休日 2

たまたま泊まった宿が、元ローマ教皇庁の書記官の邸宅で、
13世紀の建物だった。

その頃は日が暮れると城門は閉ざされて、
住民は運命共同体として一致団結の夜を過ごしていた。

囲郭都市は乾燥地帯に分布して、人が生きていくための貴重な水である
集落の井戸を他の部族に奪われないように死守する心理は、
海で守られ、自然に恵まれた日本人には想像し難い。

乾燥地域の戦闘の歴史が、丘の高台に街を築き城壁を巡らした。
そうした城壁が身近な集落の方々との平和な夜を共有した。

tucasa_pienza_ 1169_R.JPG朝、夜明け前の散歩。
ピエンツァの街から見下ろすオルチャの谷に
白い朝靄がたなびき、

朝日が昇って、
果てしなく続く丘を照らした風景は、
2オクターブくらいテンションが上がった。

美味しい空気、鳥や動物の声と鐘の音。
樹々や土の匂い。

tucasa_pienza_ 1206_R.JPG近代的なものや豪華なものはないのに
五感で癒される。

より速く、より簡単に、より便利に、
東京ーハワイをロケットで30分とか、

その一方で歴史や環境を
破壊していることには目を向けない。

ライフスタイルを含めて社会が急速に激動している中で、
人間にとって心地よく大切なものって何なのかを気付かされる。

部屋の窓からの景色は、
オレンジ色の屋根の向こうに広がるトスカーナの絶景。

tucasa_pienza_ 1378_R.JPGこの宿の朝食は、
混じりっけのない本物の味だと感動するもので、

簡素な中にも設えからきちんとした食器で、
きちんとした食事をすることの大切さを
改めて感じさせて頂けるものだった。

給仕の方の家が隣町のモンテキエーロという
地図にも載っていないような町だけれど、

とても綺麗なところで、また違ったオルチャの谷を見られますよ、
とのことで、廻りの小さな集落を転々とドライブ。

渓谷には、中世にローマからエルサレムへの主要な巡礼路として
多くの巡礼者や商人たちが行き交った、フランチジェーナ街道がある。

tucasa_pienza_ 1445_R.JPG隣町から見る丘の上の
ピエンツァは一軒の家のようだった。

城壁の中はまるで室内のように
建物も街路も広場も素材が統一されていて、
人間性豊かな家族の営みが感じられた。

オルチャの谷はすべて家族の庭なのだ。

こうした広大な景観は、
厳しい土地利用規制によって

保全されているんだけど、
実はすべて民間で行われている。

まちづくりの会社はポケットマネーを出し合って作られた。

自然保護区域に登録すると、区域内での一切の建築に許可がいるし、
水道や電気を引くにも制約を受け、好きにできなくなる。

でも区域内の五つの町や村の人々は、
自分たちの地域が生き残るためにも
美しく守る枠組みを決めるべきだと犠牲を受け入れた。

地元の事業者のためならと資金面で援助したのが
民間のシエナの銀行だ。

tucasa_pienza_ 1447_R.JPG80年代からアグリツーリズムと
スローフードが、農業所得を拡大させ、

過疎で放棄された建物の補修も進み、
景観保全に大きく貢献している。


個人の利益より人類の遺産を優先させるというイタリア人の考え方、
文化的景観という発想をしっかり胸にしまう。

帰り道はやはり囲郭都市であるシエナに立ち寄ったんだけど、
一際高い城壁をくぐって中世のカンポ広場をめざす。

広場を囲う建物の輪郭がフリーハンドのような歪んだ形を作って、
自然の傾斜とともに親しみの湧く広場だ。

外壁の色や窓の形は様々だけど、
まるで劇場のボックス席のような連帯感がある。

地面は低い排水口から放射状に描かれて、
杉綾模様の煉瓦で舗装されていた。

立派な城壁に囲われたシエナの街は、
他の街と同じ文法を使った中世の街なんだけど、

それぞれ街ごとに個性があって画一的でなく、
色んな街を訪ねてみたくなる旅心をますますくすぐった。

主要な街を繋ぐ高速道路は無料で合流し、渋滞もなく、
目的の街ですっと降りるのは、ドイツと同じだ。

行きとは違った道で、トスカーナの赤く染まった景色を満喫しながら、
アルノ川を渡って、フィレンツェの旧市街へ戻ったのでした。

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2017年10月07日

トスカーナの休日 1

フィレンツェから南へ。
FIAT500で、サン・ジミニャーノに立ち寄りながら、
ピエンツァへお出掛け。

車窓から眺めるトスカーナの
折り重なる丘陵の景色は、飽きることがない。

丘陵のなだらかな斜面に幾つかの塔が立つ集落が見えた。

tucasa_s.gimignano_ 1004_R.JPGこのサン・ジミニャーノの城門をくぐって、
僕が好きなチステルナ広場を目指す。

12世紀頃の建物に囲われた三角形の広場は、
自然の地形のまま傾斜していて、
真ん中に13世紀の井戸がある。

この井戸を囲む石段に
人々が気持ちよさそうに座っている。

あらゆる世代の人々が町の中心の広場に出て、
ひと時を過ごす光景は、本来の人間的魅力に溢れた町の姿がある。

中世の富と権力を誇示する象徴の
塔の大半が壊されている現在にあって、
かすかに塔が林立する街並みを留めている。

丘陵地の丘の上に城壁で囲われた中世の街並みは、
自然の地形に寄り添うように限られた素材で作られていて、

自然発生的に不規則で変化に富んだ集落は、
歩くごとに絵になる風景に出会える。

建物の外壁が街路の形に変化を与え、
蛇行した通りや狭い路地は、自然のまま起伏に富んでいて、

地元の業者さんの車以外はないから、
この魅力的な迷宮空間はしばらく時を忘れてしまった。

さて目的のピエンツァの集落がトスカーナの丘陵の上に見えてきた。
ここは、人文主義者のピウス2世が、
「建築書」を書いたアルベルティに紹介されたロッセリーノと共に

生まれ故郷の中世の街並みの一部を
ルネサンスの理想の広場に改造した街だ。

しかも中世の絵画的で有機的な街並みと調和して、
550年経った今でもそのまま保たれている。

tucasa_pienza_ 1173_R.JPG広場の形はフィレンツェのところでも触れたけれど、
逆台形で、広場の正面にある

以前は宗教的理由の伝統方位である東西軸の
ロマネスク様式の教会堂を壊して、

広場の正面のファサードを
ルネサンス様式の南北軸の教会に建て替えた。

広場の右側パラッツォ・ピッコロミニのファサードは、
フィレンツェのパラッツォ・ルチェッライの言語そのままに、
幾何学的なシンメトリーは、トスカーナ地方のパラッツォ風だ。

丘を見下ろす南側は、1階が庭に面する柱廊で、
2階はテラスになっていて、
田舎のヴィラの要素も持ち合わせている。

教会とパラッツォの間から垣間見えるオルチャの谷の遠景が、
ピエンツァならではの広場の風景になっている。

tucasa_pienza_ 1130_R.JPGパラッツォは広場と街路に面して、
石のベンチになっていて、
地元の社交場になっているようだ。

広場の隅に井戸があるんだけど、
地元のおっちゃんがこの井戸に集まって、

通りの向かいのお店に寄ったおばちゃんを
からかっている日常風景は微笑ましかった。

ルネサンスの広場の特徴である
中心や軸線にモニュメントを置くところを

ここでは広場の多目的な使い勝手を優先して、
井戸を端に寄せているのは、中世の作り方だ。

広場以外の中世の街並みとの
頃合いを計ったのだと思う。

ルネサンスの理想表現をするよりも
周りの環境との誠実な対話を優先させたのだ。

広場の左側もパラッツォで、広場の通りを挟んだ手前の
向かい側のパラッツォには柱廊があり、
シンボル的な教会を眺める景色を楽しむのに一役買っていると思う。

オルチャの谷を見下ろす丘の上の
東西400m、南北200mほどの小さな集落のピエンツァは、
トスカーナでも最も美しい自然風景に恵まれたところにある。

車は全て城壁の外に停めるから、
城壁の中は人のための迷宮空間で特別な場所になる。

tucasa_pienza_ 1319_R.JPGこの自然の地形に寄り添うように作られた
土着的な味わい深い街並みは、

現代の無機質で画一的な都市空間で失われた
人間性を呼び覚まして、
歩くごとに新しい素敵な風景を発見できる。

日が暮れてから、雨が降り出した。

雨に濡れた一つ一つ違う個性の石畳や
杉綾模様の煉瓦の街路が、
オレンジ色の街灯に照らされていた。

つづく。

司建築工房

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2017年10月06日

チョイ住み in Firenze 5

高度な都市文明を築いた古代ローマ人は、
しばしば都市を離れ、田舎で労働をし、

自然と接触することで、
健全で強靭な人間になれると考えていて、

都市生活がもたらす不健康は、
結局は国家の基盤を揺るがすことを知っていた。

古代ローマ人の伝記を読んだ裕福なフィレンツェ人は、
農地を買い、別荘を建て、古代ローマの
理想的な生活を再現した。

tucasa_firenze_ 668_R.JPGリッピに師事したボッティチェッリの
「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」。

メディチ家のカステッロの別荘に
飾られていたという対をなす作品は、

宗教的モチーフを題材にしたものではなく、
ギリシャ神話に因んだ題材で、

古代ローマ時代の人間性の再生、
人間と自然の美を表現した立体感と物質感は、
ルネサンスの息吹を感じる作品だ。

生でじっくり観ると植物等実によく描いてあって、
ヴィーナスの表情になぜか泣けてきた。

ヴェロッキオに師事した20歳のダ・ヴィンチの「受胎告知」は、
すでにスフマートの技法や遠近法で描き、
大天使ガブリエルのまなざしに心を惹きつけられる。

tucasa_firenze_ 670_R.JPGミケランジェロのドーニ家の結婚祝いとして
描かれたという唯一のタブロー「聖家族」は、

マリアも子供のイエスも
筋肉質の彫刻的な人体表現で、

地面に腰を下ろして夫のヨセフと共に
幼子を肩ごしに抱えるという母として描いている。

当時のままの額縁もこの絵画も隅々まで
意図を想像しながら眺めた。

ジョット以降、ラファエロの「小椅子の聖母」や
ティツィアーノなど、ルネサンスのマリアは
一人の女性として描かれるようになった。

ヴェッキオ宮殿のある中世の広場、シニョーリ広場の
ランツィの回廊には、野外美術館のように

メドゥーサの神話に因んだ「ペルゼウス像」や
ローマ建国の神話に因んだ「サビーニの女たちの略奪」がある。

tucasa_firenze_ 596_R.JPGそこからアルノ川に続く
ウフィツィ宮殿の広場のような空間は、

ドリス式の回廊のある建物に囲われた
親密感があって、ワルツのように

リズミカルな回廊柱には、3本ごとに
ルネサンスの偉人たちの彫像が飾られてある。

ローマ時代に起源を持つポンテ・ヴェッキオは14世紀に再建され、
16世紀にウフィツィとともにヴァザーリの回廊が造られた。

3つのアーチ構造で建物を載せたユニークな橋は、
中央にアルノ川を眺める三連アーチのロッジアになっている。

先のランツィの回廊も三連アーチだったけれど、
ミケランジェロはシニョーリ広場全体を
このアーチで囲むことを考えていたようだ。

フィレンツェの歴史が詰まった物語の遺産には、
支援した人がいて、芸術家が才能を発揮して、
それを保存修復に努めた人がいて、

愛しんで鑑賞した人々がいたからこそ、
こうして望めば感動に浸れることができるのだ。

フィレンツェでのルネサンス期に支援した
メディチ家などの功績は、
やはり後世に語り継がれる偉業だろう。

tucasa_firenze_ 360_R.JPG現在でも世界遺産や芸術作品の修復費用は、
入場料以上に

民間企業の寄付によって守られていることは、
ローマのところでも書いた。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂にある、
ギベルティが27年間製作に没頭したという

通称「天国の扉」のレプリカ製作は、
日本の茂登山長市郎さんの寄贈だ。

市民が住みたいと感じる、
世界の人々が訪れたいと思えるまちづくりの陰には、

文化財と名の付く保存ではなく、
名もない歴史的建造物が集まった街の保存を

名もない一人ひとりの建物所有者や
商業を営む経営者一人ひとりが、保存再生に投資をし、

建築家が魅力的なレスタウロをし、
そのほとんどが民間工事によって

都市の保存がなされてきたことを
忘れてはならない。

司建築工房

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2017年10月05日

チョイ住み in Firenze 4

ミケランジェロがフィレンツェを離れている5年の間に
町は政治的動乱に襲われていた。

サボナローラが「虚栄の焼却」を行い、
市民の生活は殺伐としたものになる。

「火の試練」を拒否したために
サン・マルコ修道院に市民が押し寄せ、

サボナローラは捕らえられ、
シニョリーア広場で焚刑に処される。

不安定な混乱の時期に、フランスとの外交交渉の現場に立った
マキャヴェリは、イタリア統一を構想し、
君主制のあり方を思索していた。

ピエタを制作した26歳のミケランジェロが、フィレンツェに戻ると
S・M・デル・フィオーレ大聖堂造営局の仕事場に

荒彫りされ、脚になる部分に大きな穴が開けられた
大理石の塊が放置されていた。

創作の可能性が限られていた大理石の形に構図を合わせ、
フォルムを彫り出すことがまだ可能だと判断したミケランジェロは、
2年半で「ダヴィデ」を完成させる。

羊飼いの少年のモチーフを
芸術家によって着想が千差万別で面白い。

ドナテッロの「ダヴィデ」は、
倒したばかりのゴリアテの首を踏みつけている
等身大の少年の裸像で、甘美な姿なのに対して、

tucasa_firenze_ 485_R.JPGミケランジェロの「ダヴィデ」は、
ゴリアテと戦う前の緊張感を湛えた
巨人の青年裸像だ。

光を透過する大理石の彫刻は、
ギリシャ彫刻の系統を踏まえた
幻想的な魅力に満ちている。

石から掘り出されたことを忘れてしまうほど、
割礼の跡がないルネサンスの表現と
血管や筋肉の弾力感は生身の人間のヌードだ。

ルネサンス爛熟期の当主ロレンツォ・デ・メディチに、
10代で住み込みの修行を許され、

人文学者たちから様々な知識を得て、ギリシャ彫刻に魅せられ、
人体研究に興味を持ったミケランジェロは、

キリスト教社会では御法度だった人体解剖によって
秘密裏に人体内部の構造と動きを知り尽くし、
人間の真実に迫っていった。

ルネサンスのリアルな人体表現とともに
ダヴィデが民衆を守ったように、フィレンツェを
救うという壮大なスケールの主題を提示した。

ローマの劫略の知らせに反教皇感情が高まったフィレンツェでは、
市民が狂乱して、「ダヴィデ」の左腕は一度折られている。

新しくユリウス2世が教皇になると
前例のない規模の自分の墓碑を作らせるために
ミケランジェロをローマに呼び寄せる。

ユリウス2世は、デッサンに強い感銘を受け、
サン・ピエトロ大聖堂の再建と小さな町に成り果てたローマを
かつての帝国時代の輝きを蘇らすアイデアが芽生えたという。

tucasa_firenze_ 524_R.JPGその時フィレンツェで
制作の中断を余儀なくされたのが、

ダビデ像の前に置かれている
未完の彫刻作品「聖マタイ」。

ユリウス2世の墓碑に使われる予定だった
未完の「若い奴隷」「奴隷アトラス」
「覚醒する奴隷」「髭のある奴隷」。

そして80歳の時の「パレストリーナのピエタ」。

命を彫り出すノミの跡が残る石の塊は、まるで鋳造の鋳型を壊したら
作品が出てきそうなエネルギーを感じて、改めて感服するのでした。

つづく

司建築工房

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2017年10月04日

チョイ住み in Firenze 3

人文主義者がフィレンツェの
裕福な商人たちの審美眼を肥やし、

政府に対しても実権を握るほどのギルドの彼らは、
都市を作ることに積極的で、

そこに彼らが雇った天才芸術家がいたことは
歴史上の幸運だろう。

ブルネレスキは透視図法を発見して、
アルベルティが遠近法を数学的に解析した。

絵画は、遠近法と構図と物語の調和だという
「絵画論」をブルネレスキに献呈する。

古代ローマの人文学に傾倒したアルベルティは、
修道院で埃をかぶっていた、
ウィトルウィウスの「建築書」を発見し、

ローマ建築の遺構を調査して、
人体比例と美の背後にある幾何学を
「建築論」で紹介している。

弦の長さが整数比になるように音を組み合わせると
心地よい和音になるということは、
古代ギリシャの数学者ピタゴラスまで遡るけれど、

tucasa_firenze_ 622_R.JPG作曲もこなす万能の天才アルベルティは、
音楽の聴覚比例を建築の視覚比例に移し替え、

和音を図形に置き換えて、建築形態の美や調和、
プロポーションを生み出すことを考えた。

S・M・ノヴェッラ教会のファサードは
その整数比の幾何学で構成されているし、

パラッツォ・ルチェライは、コロッセオの要素と
ロマネスクの半円形アーチ窓を応用して、
石積みの目地で比例のリズムをデザインした。

中世以来の街路に沿って連なる街並みに
パラッツォ・メディチをはじめ上層市民による

古典主義的なプロポーションの都市邸宅が建てられたけれど、
どれもヴェッキオ宮殿のような要塞的な雰囲気を持つ。

tucasa_firenze_ 846_R.JPG街路の裏側に中庭があるのは
古代ローマのヴィラからの伝統だろう。

ポルティコに囲まれた中庭を
いくつも堪能できる街でもある。

街で見かける足場のある工事現場は、
新築はなく全て外装の補修か内部の改装だ。

古い建物のレスタウロで上手く再生させた店舗など
多くの魅力的な都市デザインを見てきた。

外観だけ残しただけではただの景色で、
そこに人々が生き生きと必要な用途で使って、
働いているからこそ、街並みが魅力を帯びるのだ。

フィレンツェに来たら、どうしても会いたくなる美術品がいくつもある。

tucasa_firenze_410_R.JPGパラッツォ・メディチとともに
ミケロッツォが手掛けた、

木の小屋組が親しみを感じる、
静謐なサン・マルコ修道院。

真っ先に階段を目指して、
踊り場に出た時正面を見上げると
フラ・アンジェリコの「受胎告知」がある。

クリスチャンでなくても
不思議な安堵感の中で、瞑想するようだ。

宗教的モチーフの題材だけれど、
透視図画法はルネサンスを感じる。

tucasa_firenze_ 437_R.JPG小食堂の壁一面に描かれた
ギルランダイオの
「最後の晩餐」のフレスコ画は、

この部屋のヴォールト天井に合わせて、
天井が透視図画法で連続して、

窓も延長して描かれ、
窓からの光は部屋と同化している。

ギルランダイオは、
若き日のミケランジェロが師事した師匠だ。

つづく。

司建築工房

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