2017年10月07日

トスカーナの休日 1

フィレンツェから南へ。
FIAT500で、サン・ジミニャーノに立ち寄りながら、
ピエンツァへお出掛け。

車窓から眺めるトスカーナの
折り重なる丘陵の景色は、飽きることがない。

丘陵のなだらかな斜面に幾つかの塔が立つ集落が見えた。

tucasa_s.gimignano_ 1004_R.JPGこのサン・ジミニャーノの城門をくぐって、
僕が好きなチステルナ広場を目指す。

12世紀頃の建物に囲われた三角形の広場は、
自然の地形のまま傾斜していて、
真ん中に13世紀の井戸がある。

この井戸を囲む石段に
人々が気持ちよさそうに座っている。

あらゆる世代の人々が町の中心の広場に出て、
ひと時を過ごす光景は、本来の人間的魅力に溢れた町の姿がある。

中世の富と権力を誇示する象徴の
塔の大半が壊されている現在にあって、
かすかに塔が林立する街並みを留めている。

丘陵地の丘の上に城壁で囲われた中世の街並みは、
自然の地形に寄り添うように限られた素材で作られていて、

自然発生的に不規則で変化に富んだ集落は、
歩くごとに絵になる風景に出会える。

建物の外壁が街路の形に変化を与え、
蛇行した通りや狭い路地は、自然のまま起伏に富んでいて、

地元の業者さんの車以外はないから、
この魅力的な迷宮空間はしばらく時を忘れてしまった。

さて目的のピエンツァの集落がトスカーナの丘陵の上に見えてきた。
ここは、人文主義者のピウス2世が、
「建築書」を書いたアルベルティに紹介されたロッセリーノと共に

生まれ故郷の中世の街並みの一部を
ルネサンスの理想の広場に改造した街だ。

しかも中世の絵画的で有機的な街並みと調和して、
550年経った今でもそのまま保たれている。

tucasa_pienza_ 1173_R.JPG広場の形はフィレンツェのところでも触れたけれど、
逆台形で、広場の正面にある

以前は宗教的理由の伝統方位である東西軸の
ロマネスク様式の教会堂を壊して、

広場の正面のファサードを
ルネサンス様式の南北軸の教会に建て替えた。

広場の右側パラッツォ・ピッコロミニのファサードは、
フィレンツェのパラッツォ・ルチェッライの言語そのままに、
幾何学的なシンメトリーは、トスカーナ地方のパラッツォ風だ。

丘を見下ろす南側は、1階が庭に面する柱廊で、
2階はテラスになっていて、
田舎のヴィラの要素も持ち合わせている。

教会とパラッツォの間から垣間見えるオルチャの谷の遠景が、
ピエンツァならではの広場の風景になっている。

tucasa_pienza_ 1130_R.JPGパラッツォは広場と街路に面して、
石のベンチになっていて、
地元の社交場になっているようだ。

広場の隅に井戸があるんだけど、
地元のおっちゃんがこの井戸に集まって、

通りの向かいのお店に寄ったおばちゃんを
からかっている日常風景は微笑ましかった。

ルネサンスの広場の特徴である
中心や軸線にモニュメントを置くところを

ここでは広場の多目的な使い勝手を優先して、
井戸を端に寄せているのは、中世の作り方だ。

広場以外の中世の街並みとの
頃合いを計ったのだと思う。

ルネサンスの理想表現をするよりも
周りの環境との誠実な対話を優先させたのだ。

広場の左側もパラッツォで、広場の通りを挟んだ手前の
向かい側のパラッツォには柱廊があり、
シンボル的な教会を眺める景色を楽しむのに一役買っていると思う。

オルチャの谷を見下ろす丘の上の
東西400m、南北200mほどの小さな集落のピエンツァは、
トスカーナでも最も美しい自然風景に恵まれたところにある。

車は全て城壁の外に停めるから、
城壁の中は人のための迷宮空間で特別な場所になる。

tucasa_pienza_ 1319_R.JPGこの自然の地形に寄り添うように作られた
土着的な味わい深い街並みは、

現代の無機質で画一的な都市空間で失われた
人間性を呼び覚まして、
歩くごとに新しい素敵な風景を発見できる。

日が暮れてから、雨が降り出した。

雨に濡れた一つ一つ違う個性の石畳や
杉綾模様の煉瓦の街路が、
オレンジ色の街灯に照らされていた。

つづく。

司建築工房

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2017年10月06日

チョイ住み in Firenze 5

高度な都市文明を築いた古代ローマ人は、
しばしば都市を離れ、田舎で労働をし、

自然と接触することで、
健全で強靭な人間になれると考えていて、

都市生活がもたらす不健康は、
結局は国家の基盤を揺るがすことを知っていた。

古代ローマ人の伝記を読んだ裕福なフィレンツェ人は、
農地を買い、別荘を建て、古代ローマの
理想的な生活を再現した。

tucasa_firenze_ 668_R.JPGリッピに師事したボッティチェッリの
「プリマヴェーラ」と「ヴィーナスの誕生」。

メディチ家のカステッロの別荘に
飾られていたという対をなす作品は、

宗教的モチーフを題材にしたものではなく、
ギリシャ神話に因んだ題材で、

古代ローマ時代の人間性の再生、
人間と自然の美を表現した立体感と物質感は、
ルネサンスの息吹を感じる作品だ。

生でじっくり観ると植物等実によく描いてあって、
ヴィーナスの表情になぜか泣けてきた。

ヴェロッキオに師事した20歳のダ・ヴィンチの「受胎告知」は、
すでにスフマートの技法や遠近法で描き、
大天使ガブリエルのまなざしに心を惹きつけられる。

tucasa_firenze_ 670_R.JPGミケランジェロのドーニ家の結婚祝いとして
描かれたという唯一のタブロー「聖家族」は、

マリアも子供のイエスも
筋肉質の彫刻的な人体表現で、

地面に腰を下ろして夫のヨセフと共に
幼子を肩ごしに抱えるという母として描いている。

当時のままの額縁もこの絵画も隅々まで
意図を想像しながら眺めた。

ジョット以降、ラファエロの「小椅子の聖母」や
ティツィアーノなど、ルネサンスのマリアは
一人の女性として描かれるようになった。

ヴェッキオ宮殿のある中世の広場、シニョーリ広場の
ランツィの回廊には、野外美術館のように

メドゥーサの神話に因んだ「ペルゼウス像」や
ローマ建国の神話に因んだ「サビーニの女たちの略奪」がある。

tucasa_firenze_ 596_R.JPGそこからアルノ川に続く
ウフィツィ宮殿の広場のような空間は、

ドリス式の回廊のある建物に囲われた
親密感があって、ワルツのように

リズミカルな回廊柱には、3本ごとに
ルネサンスの偉人たちの彫像が飾られてある。

ローマ時代に起源を持つポンテ・ヴェッキオは14世紀に再建され、
16世紀にウフィツィとともにヴァザーリの回廊が造られた。

3つのアーチ構造で建物を載せたユニークな橋は、
中央にアルノ川を眺める三連アーチのロッジアになっている。

先のランツィの回廊も三連アーチだったけれど、
ミケランジェロはシニョーリ広場全体を
このアーチで囲むことを考えていたようだ。

フィレンツェの歴史が詰まった物語の遺産には、
支援した人がいて、芸術家が才能を発揮して、
それを保存修復に努めた人がいて、

愛しんで鑑賞した人々がいたからこそ、
こうして望めば感動に浸れることができるのだ。

フィレンツェでのルネサンス期に支援した
メディチ家などの功績は、
やはり後世に語り継がれる偉業だろう。

tucasa_firenze_ 360_R.JPG現在でも世界遺産や芸術作品の修復費用は、
入場料以上に

民間企業の寄付によって守られていることは、
ローマのところでも書いた。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂にある、
ギベルティが27年間製作に没頭したという

通称「天国の扉」のレプリカ製作は、
日本の茂登山長市郎さんの寄贈だ。

市民が住みたいと感じる、
世界の人々が訪れたいと思えるまちづくりの陰には、

文化財と名の付く保存ではなく、
名もない歴史的建造物が集まった街の保存を

名もない一人ひとりの建物所有者や
商業を営む経営者一人ひとりが、保存再生に投資をし、

建築家が魅力的なレスタウロをし、
そのほとんどが民間工事によって

都市の保存がなされてきたことを
忘れてはならない。

司建築工房

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2017年10月05日

チョイ住み in Firenze 4

ミケランジェロがフィレンツェを離れている5年の間に
町は政治的動乱に襲われていた。

サボナローラが「虚栄の焼却」を行い、
市民の生活は殺伐としたものになる。

「火の試練」を拒否したために
サン・マルコ修道院に市民が押し寄せ、

サボナローラは捕らえられ、
シニョリーア広場で焚刑に処される。

不安定な混乱の時期に、フランスとの外交交渉の現場に立った
マキャヴェリは、イタリア統一を構想し、
君主制のあり方を思索していた。

ピエタを制作した26歳のミケランジェロが、フィレンツェに戻ると
S・M・デル・フィオーレ大聖堂造営局の仕事場に

荒彫りされ、脚になる部分に大きな穴が開けられた
大理石の塊が放置されていた。

創作の可能性が限られていた大理石の形に構図を合わせ、
フォルムを彫り出すことがまだ可能だと判断したミケランジェロは、
2年半で「ダヴィデ」を完成させる。

羊飼いの少年のモチーフを
芸術家によって着想が千差万別で面白い。

ドナテッロの「ダヴィデ」は、
倒したばかりのゴリアテの首を踏みつけている
等身大の少年の裸像で、甘美な姿なのに対して、

tucasa_firenze_ 485_R.JPGミケランジェロの「ダヴィデ」は、
ゴリアテと戦う前の緊張感を湛えた
巨人の青年裸像だ。

光を透過する大理石の彫刻は、
ギリシャ彫刻の系統を踏まえた
幻想的な魅力に満ちている。

石から掘り出されたことを忘れてしまうほど、
割礼の跡がないルネサンスの表現と
血管や筋肉の弾力感は生身の人間のヌードだ。

ルネサンス爛熟期の当主ロレンツォ・デ・メディチに、
10代で住み込みの修行を許され、

人文学者たちから様々な知識を得て、ギリシャ彫刻に魅せられ、
人体研究に興味を持ったミケランジェロは、

キリスト教社会では御法度だった人体解剖によって
秘密裏に人体内部の構造と動きを知り尽くし、
人間の真実に迫っていった。

ルネサンスのリアルな人体表現とともに
ダヴィデが民衆を守ったように、フィレンツェを
救うという壮大なスケールの主題を提示した。

ローマの劫略の知らせに反教皇感情が高まったフィレンツェでは、
市民が狂乱して、「ダヴィデ」の左腕は一度折られている。

新しくユリウス2世が教皇になると
前例のない規模の自分の墓碑を作らせるために
ミケランジェロをローマに呼び寄せる。

ユリウス2世は、デッサンに強い感銘を受け、
サン・ピエトロ大聖堂の再建と小さな町に成り果てたローマを
かつての帝国時代の輝きを蘇らすアイデアが芽生えたという。

tucasa_firenze_ 524_R.JPGその時フィレンツェで
制作の中断を余儀なくされたのが、

ダビデ像の前に置かれている
未完の彫刻作品「聖マタイ」。

ユリウス2世の墓碑に使われる予定だった
未完の「若い奴隷」「奴隷アトラス」
「覚醒する奴隷」「髭のある奴隷」。

そして80歳の時の「パレストリーナのピエタ」。

命を彫り出すノミの跡が残る石の塊は、まるで鋳造の鋳型を壊したら
作品が出てきそうなエネルギーを感じて、改めて感服するのでした。

つづく

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2017年10月04日

チョイ住み in Firenze 3

人文主義者がフィレンツェの
裕福な商人たちの審美眼を肥やし、

政府に対しても実権を握るほどのギルドの彼らは、
都市を作ることに積極的で、

そこに彼らが雇った天才芸術家がいたことは
歴史上の幸運だろう。

ブルネレスキは透視図法を発見して、
アルベルティが遠近法を数学的に解析した。

絵画は、遠近法と構図と物語の調和だという
「絵画論」をブルネレスキに献呈する。

古代ローマの人文学に傾倒したアルベルティは、
修道院で埃をかぶっていた、
ウィトルウィウスの「建築書」を発見し、

ローマ建築の遺構を調査して、
人体比例と美の背後にある幾何学を
「建築論」で紹介している。

弦の長さが整数比になるように音を組み合わせると
心地よい和音になるということは、
古代ギリシャの数学者ピタゴラスまで遡るけれど、

tucasa_firenze_ 622_R.JPG作曲もこなす万能の天才アルベルティは、
音楽の聴覚比例を建築の視覚比例に移し替え、

和音を図形に置き換えて、建築形態の美や調和、
プロポーションを生み出すことを考えた。

S・M・ノヴェッラ教会のファサードは
その整数比の幾何学で構成されているし、

パラッツォ・ルチェライは、コロッセオの要素と
ロマネスクの半円形アーチ窓を応用して、
石積みの目地で比例のリズムをデザインした。

中世以来の街路に沿って連なる街並みに
パラッツォ・メディチをはじめ上層市民による

古典主義的なプロポーションの都市邸宅が建てられたけれど、
どれもヴェッキオ宮殿のような要塞的な雰囲気を持つ。

tucasa_firenze_ 846_R.JPG街路の裏側に中庭があるのは
古代ローマのヴィラからの伝統だろう。

ポルティコに囲まれた中庭を
いくつも堪能できる街でもある。

街で見かける足場のある工事現場は、
新築はなく全て外装の補修か内部の改装だ。

古い建物のレスタウロで上手く再生させた店舗など
多くの魅力的な都市デザインを見てきた。

外観だけ残しただけではただの景色で、
そこに人々が生き生きと必要な用途で使って、
働いているからこそ、街並みが魅力を帯びるのだ。

フィレンツェに来たら、どうしても会いたくなる美術品がいくつもある。

tucasa_firenze_410_R.JPGパラッツォ・メディチとともに
ミケロッツォが手掛けた、

木の小屋組が親しみを感じる、
静謐なサン・マルコ修道院。

真っ先に階段を目指して、
踊り場に出た時正面を見上げると
フラ・アンジェリコの「受胎告知」がある。

クリスチャンでなくても
不思議な安堵感の中で、瞑想するようだ。

宗教的モチーフの題材だけれど、
透視図画法はルネサンスを感じる。

tucasa_firenze_ 437_R.JPG小食堂の壁一面に描かれた
ギルランダイオの
「最後の晩餐」のフレスコ画は、

この部屋のヴォールト天井に合わせて、
天井が透視図画法で連続して、

窓も延長して描かれ、
窓からの光は部屋と同化している。

ギルランダイオは、
若き日のミケランジェロが師事した師匠だ。

つづく。

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2017年10月03日

チョイ住み in Firenze 2

フィレンツェでは13世紀の終から、
シエナやピサの大聖堂に対抗して、
3万人を収容できる大聖堂が着工されていた。

すでに地上45mの高さの八角形のゴシックの壁ができていて、
そこに直径43mのクーポラを架ける解決方法を
1418年ブルネレスキが提案している。

ローマのパンテオンは、軽量コンクリートという
驚くべき技術で実現させたけれど、

ブルネレスキは、コンクリートではなく、仮枠なしで、
煉瓦を二重構造の格子状のアーチにして、

一定の位置で杉綾形に積んで、
木材と鉄のテンションリングで締め付けて実現させた。

足場や荷積み作業のプラットホームなど
難工事の作業実務の工夫を職人に指示し、

道具の発明まで現場の監理に関わった人で、
クーポラは1420年から16年で完成した。

tucasa_firenze_ 535_R.JPG正面の装飾や外装の3色の大理石が
完成するのは19世紀の後半だけれど、

街路や窓から見える
S・M・デル・フィオーレ大聖堂の

八角形の美しい煉瓦製ドームは
後世の人々に残した素晴らしい遺産だ。

古代ローマ建築に触発されたブルネレスキは、
ゴシック聖堂のようなそびえ立つ美ではなく、
数学的に各部の比例が調和した美を描いていた。

大聖堂の工事監理者が決定するまでの間の1419年、
その理想を初めて形にしたのが、無垢な子供のための養育院だ。

アーケードの柱とアーチは、
円と正方形の単純な比例になっていて、

鉄製の細いタイバーで横揺れを防いで、
柱は細く、壁は薄く、軽快な表現で、
ヒューマンスケールの建築を生み出した。

tucasa_firenze_ 337_R.JPG構造と仕上げは分離して、
ピエトラ・セレーナの砂岩と漆喰塗りに

可愛らしい子供のメダイオンの青が
調和の取れたアクセントになっている。

神のためではなく、
人のためのルネサンス建築だ。

後継者がアンヌンツィアータ広場を囲む建物を
同じ様式と材料と色で統一感を与え、

S・M・デル・フィオーレ大聖堂の
ドームに向かって、軸線を与えた。

tucasa_firenze_ 897_R.JPGブルネレスキが設計したサン・ロレンツォ教会や
サンタ・クローチェ教会パッツィ家礼拝堂も

設計者と現場監督の立場で建築を味わうほどに
大変な熱意と苦労を感じ入る。

14世紀以降、戦争に
火薬が使われるようになると

市壁など敵の砲撃に耐えるだけの強度が必要になり、
ブルネレスキやレオナルド・ダ・ヴィンチは、
軍事構築物の設計、監督もするようになる。

古代ローマに学んだブルネレスキとドナテッロは、
パトロンの望むまま、彫刻でも金属細工でも
建築でも何でもこなした。

つづく。


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2017年10月02日

チョイ住み in Firenze 1

ローマから高速鉄道でフィレンツェへ。

tucasa_firenze_ 268_R.JPG旅情を誘う駅は、イタリア人男性の
耳に心地よいアナウンスだけで、

騒がしい音がなく、
ただ電光掲示板を見つめて到着を待つ。

列車は何のアナウンスもなく動き出し、
車窓からトスカーナの風景を眺めながら
静かな大人の時間を楽しむ。

列車はやはり何のアナウンスもなく、
centrale S・M・novella駅に到着した。

フィレンツェの富はアルノ川からもたらされた。

アルノ川の岸辺の恵まれた交易地点で、
当時の最先端技術による質の高い毛織物と絹織物を製造した。

染色、縮絨など織物の製造過程で大量の水を必要とする。

原料や生地を輸入し、製造加工して、
ヴェネツィアやジェノヴァの地中海貿易を通じて輸出した。

裕福になった商人のジョヴァンニ・デ・メディチは、
教皇に金を貸付け、銀行業でさらに財産を築く。

tucasa_firenze_ 775_R.JPGフィレンツェは銀行業の一大中心地となり、
1420年代には72の銀行があった。

14世紀、ペトラルカは
ラテン語の文法を整理するため
古代ローマの文献を収集し研究していた。

大概歴史的な書物というものは、
筆者の主観で虚飾される傾向があるけれど、
古代ローマ人は真実を綴った。

15世紀、父の遺産を受け継いだコジモ・デ・メディチは、
ペトラルカの影響から古代ローマの著述家に魅せられる。

その情熱はフィレンツェの学者たちを巻き込み、
彼らは、キリスト教会が長い間異端としてきた思想を見つける。

人は神に作られたのではなく、知識は神によって示されるのではなく、
人は新しい真実を発見し、創る能力が備わっているという
ヒューマニズムの思想だった。

この新しい情熱は、古代の手稿の収集に駆り立て、
コジモは発見しうる稀覯本のすべてを購入し、何千冊もの本を集める。

思想の中心が神から人間に移され、
学問と芸術の宗教的束縛からの解放、個人の独立と自由など
近代の先駆けとなるルネサンスが生まれた街、フィレンツェ。

美術においては肉体描写、文学においては心理描写。
そして建築においては、幾何学や透視図法によって、
新しい秩序の都市計画が行われた。

車のなかった時代の人間的なスケールの理想都市は
広場や建築のファサードなどに表現される。

そういう視点で訪れた今回は、歴史的市街地の
15世紀の住居にチョイ住みしながら、ローマに引き続き、
毎日街歩きとルネサンスの芸術に触れることができた。

tucasa_firenze_ 836_R.JPGフィレンツェの初日にしたことは、
足にやさしい靴を買うことだった。

つま先から頭の先まで油断しちゃいけない、
イタリア男は特に靴に気を遣う、とばかり

ローマで気合いを入れ過ぎて、
膝に痛みを感じる始末。w

案の定、おしゃれな外国人観光客の
足元に注目したら、みんなカジュアルだ。

一日中歩き回る所詮旅人は、水を得た魚のように
石畳を軽やか歩くのでした。

15世紀に入り、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉の共同制作を
ブルネレスキが辞退したあと、

人文主義者の学者が古代の文献から学んだように
ドナテッロとブルネレスキが、ローマへ出向き、

古代ローマの遺跡の調査研究を行って、
ローマ建築から構造を学び、空間の秩序と柱のオーダーを発見する。

つづく。


司建築工房

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2017年10月01日

チョイ住み in Rome 5

19世紀にイタリアが統一し、ローマが首都になり、
二つの大戦を終えた70年代。

古いものを壊さず、残しさえすれば、
それが観光資源となり、文化価値となり、経済価値となることに
イタリアの自治都市国家の人々は気づいた。

価値があるのは、便利さや効率性ではなくて、
歴史の重層性を現代に活かすことで、
彼らは全部壊して一から作り直すことを止めた。

tucasa_rome_ 089_R.JPG景観規制は、建物だけでなく、
看板、広告物、店舗デザインにまで及ぶ。

建物の外観を維持するだけでなく、
むしろ標識や広告物に調和を与える
デザイン手法が、

ローマの都市景観を形成している。

建物の外壁は限られた素材で統一感があって、
何より標識や看板の素材や材質まで建物と調和している。

内部は歴史の記憶や豊かさを生かしつつ、
現代のニーズに合わせた空間づくりがなされて、
近代の新築した建物には出せない魅力に溢れていた。

ジェントリフィケーションが起きて、
歴史的市街地にはかなりの高額所得者しか住んでないという
格差社会も垣間見えたりするけれど、

tucasa_rome_ 142_R.JPG先人たちが築いた玄武岩の石畳にしても、
現在の市民の方々の街の美観を
保存したいという尊い意思によって、

我々はかけがえのない文化遺産を
享受させてもらえる。

コロッセオはローマの貴重な遺産であるという市民の声が高まり、
19年間に渡って大規模な修復工事が行われたんだけど、
その費用は民間の銀行が負担している。

tucasa_rome_ 206_R.JPGその他数々の文化遺産や美術品の修復費用は、
実は民間企業の寄付金で賄われている。

利益の半分は地元に戻すという企業倫理が、
イタリア文化の奥深さかもしれない。

ある夜の歩き疲れて、たまたま入った
壁がワインで埋め尽くされた
クチーナはいい思い出だ。

店長含め3人の男性給仕の
ゴッドファーザーの世界を彷彿とさせる出で立ちと

プロフェッショナルな身のこなしは、
まるでオペラの舞台のようだった。

お薦めのトスカーナのTボーンステーキを頬張ったら
旨い!目がランランとしてエネルギーが湧いてきた。

tucasa_rome_ 3304_R.JPG店長からのおごりですという
アマーロの美味しさは、絶品のティラミスと

心温まるメッセージのカプチーノの
想い出とともに、今でも舌が覚えている。

街を見下ろす丘から
ローマの街並みを眺める。。。

ローマは歴史の物語が沢山詰まった宝箱だった。


司建築工房

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2017年09月30日

チョイ住み in Rome 4

ナヴォーナ広場にはボッロミーニのサンタニェーゼ教会と
ベルニーニの四大河の泉があるけれど、

元は1世紀に建てられた3万人収容のスタジアムの跡地で
観客席だった強固な躯体を利用した店舗が並び、

スタジアムの曲線がそのまま凹面の外壁となって、
歴史を記憶に残した形になっている。

tucasa_rome_ 185_R.JPGボッロミーニの、交差点の四角に噴水のある
クアトロ・フォンターネ聖堂は、
曲面に波打ったファサードに

内部の楕円形のドーム天井が、
十字形と八角形と六角形で、

見事な幾何学模様になっていて、
上に行くほど狭く納まる、
イスラム芸術の三次元デザインを思わせる天才的な空間だった。

様々な広場や噴水は市民の憩いの場となり、
ボルゲーゼ公園などの広大な緑地の自然公園もあり、
街中に心地よい居場所がたくさん作ってある。

tucasa_rome_ 3119_R.JPGボルゲーゼ公園のある
ピンチョの丘の斜面に作られた

スペイン階段やトレヴィの泉も
バロック時代のものだ。

これらの劇場的な空間は街に開かれていて、
身近に立ち寄れて、腰掛けられる。

トレヴィの泉は建物に囲まれて、街路より掘り下げられているので、
俯瞰によってこの劇的な空間が一瞬にして心に焼き付けられる。

そういえばパンテオンからトレヴィの泉に向う途中に
アントニヌス・ピウス帝が2世紀に建てた
ハドリアヌスの神殿の列柱が現存していた。

柱脚の基礎構造も見える状態になっていて、
採石場の名残で石の広場と呼ばれている。

ボルゲーゼ美術館にあるベルニーニの「プロセルピナの略奪」は、
僕が一番心奪われた彫刻作品だ。

tucasa_rome_ 3231_R.JPGギリシャ神話の一場面を
逃げようとする抵抗の躍動感でドラマティックに、

しかも指が柔らかなもとももに喰い込むリアリティを
またふたりを3次元にどの方向から見ても

破綻のないように掘り出す
造形能力には圧倒された。

「アポロとダフネ」の逃げて触られた瞬間の月桂樹に姿を変えていく瞬間が
目の前で繰り広げられているような劇的なドラマ性。

ふたりと木や葉っぱを絶妙なバランス感覚で掘り出す技は、
古代ローマやギリシャを超越した人類最高の彫刻家とさえ僕には思える。

tucasa_rome_ 3371_R.JPGベルニーニの
ローマにある数々の噴水彫刻は、
ローマの街を劇場のような場に変えた。

サン・ピエトロ大聖堂前のコロネードでは、
なるべく多くの市民を収容できるように

長軸200mの楕円形と台形で囲み、
大聖堂を遠く感じさせずに、オベリスクの中心性をより引き立たせた。

カトリック教会は権威を高めるため、
教会を彫刻や絵画で飾り立てた。

tucasa_rome_ 068_R.JPGカラヴァッジョのキアロスクーロの技法で
劇場の舞台のような
明暗のコントラストの中に

感情を表現した人間ドラマは、
ルネサンスにはない異質の感動を与える。

ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の
壁面に描かれた「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」と

サンタゴスティーノ教会の壁面に描かれた
「ロレートの聖母」が今でも心に残る。

この教会の方が、柱にラファエロの絵もあるよと案内して下さった。
ラファエロは、ミケランジェロのあの天井画を見た後、

既に完成していた絵を壁から削り落として、
ミケランジェロ風の人体表現と色彩に描き直した。

「天地創造」の天井画はそれほど後の芸術家に多大な影響を与えたのだ。

つづく。


司建築工房

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2017年09月29日

チョイ住み in Rome 3

ルネサンスの広場と云えば、
ピエンツァのピウス2世広場や

ルネサンスの理想都市のアイデアの集大成とも云える
ミケランジェロが設計したカンピドリオ広場がある。

祭壇画と時期は被るけれど、
文化レベルの高いパウルス3世の理解のもと、
円熟期のミケランジェロが才能を遺憾無く発揮できた。

カンピドリオの丘は、古代ローマ時代には神殿が作られ、
ローマ市民にとっては町の起源を意味する象徴的な丘だ。

tucasa_rome_ 035_R.JPG広場の隅の円柱上には、ローマ建国神話の
カピトリーノの雌狼像がある。

ミケランジェロは、この丘の両サイドに
中世から建っていた既存建物の条件を活かして、
逆台形の広場にした。

広場を囲む建物に
様式、材料、色に統一性を与えて、
広場の中央を楕円形にしかも階段状に掘り下げた。

この高低差が空間を魅力的にして、
より中心性と親密感を高める効果があると思われる。

床の舗装には地球儀のような幾何学模様を描いた。
室内の絨毯のように美しい模様で舗装するのは
ルネサンス以降の特徴だ。

その中心には五賢帝最後の
マルクス・アウレリウスの騎馬像が設置されている。

ここがローマの中心、世界の中心ということを
象徴的に表現したのだろう。

これも自身では完成を見ていないけれど、
空間の軸線、シンメトリー、透視図的効果を重要視した
ブラマンテと同じ意図が窺える。

tucasa_rome_ 199_R.JPG保存修復の起源はルネサンスに遡れるけれど、

ミケランジェロがディオクレティアヌス帝の
4世紀初頭の浴場跡の大浴場部分を

S・M・デッリ・アンジェリ教会に
レスタウロしている。

当時の一大娯楽施設の壮大さを想像できるものだ。

地下には湯を焚く施設や床暖房設備が完備し、
トイレは常に水が流れる清潔なもので、

ポルティコで囲まれた中庭には草花が植えられ、
ギリシャ彫刻が置かれ、サウナやプール、フィットネス、
図書館、レストランや美容室もあった。

裕福な貴族たちは仕事は午前中だけで、
昼からは娯楽を楽しみ、浴場で垢を落し、

労働や家事は奴隷たちがしていたから
さぞ贅沢な暮らしぶりだったと想像する。

テルミニ駅前に広がる共和国広場を縁取る半円形の建物も
元は浴場の壁面だったから、かなりの巨大浴場だったことが想像される。

tucasa_rome_ 155_R.JPG今回は精力的にローマの街を歩いた。

毎朝カンポ・デ・フィオーリ広場の朝市で
果物と野菜と生ハムを買って、

バターをはじめ乳製品も新鮮で
美味しくてしかも安い。


中世の街並みは、建物の外壁面が様々な幅や形の街路と
色んな形の広場を形成して、変化に富んで、

街中には噴水がたくさんあって、
古代ローマの遺跡が目の前に現れる。

ローマは元々沼地で、水は確保できたんだけど、
人口の増加と市民に良質な水を供給するために
何十キロも先から11本の水道を引っ張った。

そのうちの1本ヴィルゴ水道が、アックア・ヴェルジネ水道として
引き継ぎ、紀元前からの水を今だに供給している。

街路にふと現れる水飲み場からは、カルキの入っていない良質な水が、
24時間、365日噴出し続けている。

七つの教会に向う道路に軸線を与え整備し、
教会のそばにはランドマークとなるオベリスクを置き、

広場や要所には噴水の湧き出る泉を設置するという
シクストゥス5世の都市改造計画案をもとに
以後の教皇たちがバロックの街の景観を作っていった。

つづく。


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2017年09月28日

チョイ住み in Rome 2

イタリアは世界遺産の宝庫で、その60%はローマにあるという。

起伏のある地形に、古代ローマの皇帝たちが築いた都市構造の上に
西ローマ帝国滅亡以来、中世の千年の眠りから覚め、
ルネサンス以降の教皇たちによってバロックの都市が作られる。

建築や美術の文化遺産の影には、
キリスト=カトリック教会の権威があった。

ルネサンスはメディチ家をパトロンとしてフィレンツェで始まったけれど、
後期は教皇をパトロンとしてローマで展開された。

ミラノのスフォルツァ家に仕えていたブラマンテが、
フランス軍のミラノ侵攻を機にローマへとやってきた。

4世紀初頭にコンスタンティヌス帝が、
殉教した聖ペテロの墓の上に建てた旧サン・ピエトロ聖堂を
教皇ユリウス2世が建て替える英断を下す。

ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、
ギリシャ十字に幾何学形態が立体的に繋がり、
中央に正半球のドームが載るブラマンテの計画案に

教皇パウルス3世の命に従った晩年のミケランジェロが、
構造的なプラン修正を行う。

tucasa_rome_ 3343_R.JPGクーポラのドラムの部分ができたところで、
ミケランジェロ自身は
完成を見ることはできなかったけれど、

1世紀以上の年月を掛けて、
材料を軽減できる二重リブ構造のドームの外観は、

自重に耐える紡錘形になったものの
内部の正半球の天井は実現された。

6世紀に建てられた聖ソフィア大聖堂は、
パンテオンのような円筒形ではなく、
メッカの方向に横に並ぶ礼拝に相応しい四角い礼拝堂で、

ペンデンティブという球面三角形によってドームを載せて、
ドームの荷重はバットレス(控え壁)で支えたけれど、

この頃はドームの土台部分に環をはめて、
ドームの破裂を防ぐ工夫がなされたから
バットレスなしでドームを設けることが可能になった。

バロック最盛期のベルニーニをはじめ
荘厳な装飾や天井画と共に、
建築に携わった先人たちの技術の結集だ。

この下には教皇たちの石棺が置かれ、
そのまた下には、古代ローマ時代のネクロポリスがあるんだけれど、

大聖堂内は、教皇たちの墓碑で飾られ、
まるで彫刻美術館のようでもある。

tucasa_rome_ 3356_R.JPG数々の彫刻の中でも印象に残っているのが、
アントニオ・カノーヴァの二人の天使裸像。

ウィーンにあるマリア・クリスティーナ墓碑の
死を悼んで俯く参列に共通する表現力だ。

フランスとハプスブルク家のイタリア戦争と
政変のさなか、ミケランジェロは21歳の時に

故郷のフィレンツェを離れてローマに来て、
最初の傑作「バッカス」を制作する。

それを見た枢機卿が「ピエタ」の制作を依頼して、
25歳の時完成している。

tucasa_rome_ 3328_R.JPG聖母の若さは、
永遠の清らかさを表現したとのことだけれど、

唯一自分の名前を刻んだ
聖母の胸の文字は見えないほど、
遠くのガラスの向こうに佇む存在感は、

石から彫り出されたことを忘れてしまうほど、
作品というより体温を感じて惹きつけられた。

ミケランジェロが再びローマに呼ばれたのは、
ユリウス2世の廟の制作依頼だった。

制作の途中で、システィナ礼拝堂の天井画を制作するように強要される。

ユリウス2世はチェーザレ=ボルジアを失脚させた人物だ。

「天地創造」の天井画は32〜37歳の時に制作した。

ヴォールト天井の形状を生かしつつ、見上げる人の目線を考慮して
絵の一部が建築の延長のように錯覚させる見事さがある。

フレスコ画は漆喰を塗って、
濡れているうちに下絵から陰影などの細部まで
描ききってしまわなくてはいけない。

フレスコ画の師匠、ギルランダイオも内部装飾に参加しているんだけど、
壁に描かれたカーテンは、最初絵だとは気づかなかった。

今年は奇しくも、ルターが免罪符の発売に疑義を呈して
500年に当たるけれど、宗教改革やローマの劫略などの時代を経て、

今度はクレメンス7世がミケランジェロに
システィナ礼拝堂の祭壇画を描き換えるよう命じる。

後継のパウルス3世も祭壇画を切望し、
還暦を過ぎたミケランジェロは「最後の審判」を完成させた。

tucasa_rome_ 103_R.JPGこの礼拝堂の内部に
どれだけの時間留まれたのかは
定かではないけれど、

濃密な時間だったことは確かだ。

そういえば、ユリウス2世に
ヴァチカン宮の室内装飾や
壁画を依頼されていた

ラファエロが描いた「アテネの学堂」がある。

同郷のブラマンテが構想した大聖堂の景観を思わせる、
ルネサンスを感じる印象的なフレスコ画だった。

つづく。


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