2017年10月05日

チョイ住み in Firenze 4

ミケランジェロがフィレンツェを離れている5年の間に
町は政治的動乱に襲われていた。

サボナローラが「虚栄の焼却」を行い、
市民の生活は殺伐としたものになる。

「火の試練」を拒否したために
サン・マルコ修道院に市民が押し寄せ、

サボナローラは捕らえられ、
シニョリーア広場で焚刑に処される。

不安定な混乱の時期に、フランスとの外交交渉の現場に立った
マキャヴェリは、イタリア統一を構想し、
君主制のあり方を思索していた。

ピエタを制作した26歳のミケランジェロが、フィレンツェに戻ると
S・M・デル・フィオーレ大聖堂造営局の仕事場に

荒彫りされ、脚になる部分に大きな穴が開けられた
大理石の塊が放置されていた。

創作の可能性が限られていた大理石の形に構図を合わせ、
フォルムを彫り出すことがまだ可能だと判断したミケランジェロは、
2年半で「ダヴィデ」を完成させる。

羊飼いの少年のモチーフを
芸術家によって着想が千差万別で面白い。

ドナテッロの「ダヴィデ」は、
倒したばかりのゴリアテの首を踏みつけている
等身大の少年の裸像で、甘美な姿なのに対して、

tucasa_firenze_ 485_R.JPGミケランジェロの「ダヴィデ」は、
ゴリアテと戦う前の緊張感を湛えた
巨人の青年裸像だ。

光を透過する大理石の彫刻は、
ギリシャ彫刻の系統を踏まえた
幻想的な魅力に満ちている。

石から掘り出されたことを忘れてしまうほど、
割礼の跡がないルネサンスの表現と
血管や筋肉の弾力感は生身の人間のヌードだ。

ルネサンス爛熟期の当主ロレンツォ・デ・メディチに、
10代で住み込みの修行を許され、

人文学者たちから様々な知識を得て、ギリシャ彫刻に魅せられ、
人体研究に興味を持ったミケランジェロは、

キリスト教社会では御法度だった人体解剖によって
秘密裏に人体内部の構造と動きを知り尽くし、
人間の真実に迫っていった。

ルネサンスのリアルな人体表現とともに
ダヴィデが民衆を守ったように、フィレンツェを
救うという壮大なスケールの主題を提示した。

ローマの劫略の知らせに反教皇感情が高まったフィレンツェでは、
市民が狂乱して、「ダヴィデ」の左腕は一度折られている。

新しくユリウス2世が教皇になると
前例のない規模の自分の墓碑を作らせるために
ミケランジェロをローマに呼び寄せる。

ユリウス2世は、デッサンに強い感銘を受け、
サン・ピエトロ大聖堂の再建と小さな町に成り果てたローマを
かつての帝国時代の輝きを蘇らすアイデアが芽生えたという。

tucasa_firenze_ 524_R.JPGその時フィレンツェで
制作の中断を余儀なくされたのが、

ダビデ像の前に置かれている
未完の彫刻作品「聖マタイ」。

ユリウス2世の墓碑に使われる予定だった
未完の「若い奴隷」「奴隷アトラス」
「覚醒する奴隷」「髭のある奴隷」。

そして80歳の時の「パレストリーナのピエタ」。

命を彫り出すノミの跡が残る石の塊は、まるで鋳造の鋳型を壊したら
作品が出てきそうなエネルギーを感じて、改めて感服するのでした。

つづく

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2017年10月04日

チョイ住み in Firenze 3

人文主義者がフィレンツェの
裕福な商人たちの審美眼を肥やし、

政府に対しても実権を握るほどのギルドの彼らは、
都市を作ることに積極的で、

そこに彼らが雇った天才芸術家がいたことは
歴史上の幸運だろう。

ブルネレスキは透視図法を発見して、
アルベルティが遠近法を数学的に解析した。

絵画は、遠近法と構図と物語の調和だという
「絵画論」をブルネレスキに献呈する。

古代ローマの人文学に傾倒したアルベルティは、
修道院で埃をかぶっていた、
ウィトルウィウスの「建築書」を発見し、

ローマ建築の遺構を調査して、
人体比例と美の背後にある幾何学を
「建築論」で紹介している。

弦の長さが整数比になるように音を組み合わせると
心地よい和音になるということは、
古代ギリシャの数学者ピタゴラスまで遡るけれど、

tucasa_firenze_ 622_R.JPG作曲もこなす万能の天才アルベルティは、
音楽の聴覚比例を建築の視覚比例に移し替え、

和音を図形に置き換えて、建築形態の美や調和、
プロポーションを生み出すことを考えた。

S・M・ノヴェッラ教会のファサードは
その整数比の幾何学で構成されているし、

パラッツォ・ルチェライは、コロッセオの要素と
ロマネスクの半円形アーチ窓を応用して、
石積みの目地で比例のリズムをデザインした。

中世以来の街路に沿って連なる街並みに
パラッツォ・メディチをはじめ上層市民による

古典主義的なプロポーションの都市邸宅が建てられたけれど、
どれもヴェッキオ宮殿のような要塞的な雰囲気を持つ。

tucasa_firenze_ 846_R.JPG街路の裏側に中庭があるのは
古代ローマのヴィラからの伝統だろう。

ポルティコに囲まれた中庭を
いくつも堪能できる街でもある。

街で見かける足場のある工事現場は、
新築はなく全て外装の補修か内部の改装だ。

古い建物のレスタウロで上手く再生させた店舗など
多くの魅力的な都市デザインを見てきた。

外観だけ残しただけではただの景色で、
そこに人々が生き生きと必要な用途で使って、
働いているからこそ、街並みが魅力を帯びるのだ。

フィレンツェに来たら、どうしても会いたくなる美術品がいくつもある。

tucasa_firenze_410_R.JPGパラッツォ・メディチとともに
ミケロッツォが手掛けた、

木の小屋組が親しみを感じる、
静謐なサン・マルコ修道院。

真っ先に階段を目指して、
踊り場に出た時正面を見上げると
フラ・アンジェリコの「受胎告知」がある。

クリスチャンでなくても
不思議な安堵感の中で、瞑想するようだ。

宗教的モチーフの題材だけれど、
透視図画法はルネサンスを感じる。

tucasa_firenze_ 437_R.JPG小食堂の壁一面に描かれた
ギルランダイオの
「最後の晩餐」のフレスコ画は、

この部屋のヴォールト天井に合わせて、
天井が透視図画法で連続して、

窓も延長して描かれ、
窓からの光は部屋と同化している。

ギルランダイオは、
若き日のミケランジェロが師事した師匠だ。

つづく。

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2017年10月03日

チョイ住み in Firenze 2

フィレンツェでは13世紀の終から、
シエナやピサの大聖堂に対抗して、
3万人を収容できる大聖堂が着工されていた。

すでに地上45mの高さの八角形のゴシックの壁ができていて、
そこに直径43mのクーポラを架ける解決方法を
1418年ブルネレスキが提案している。

ローマのパンテオンは、軽量コンクリートという
驚くべき技術で実現させたけれど、

ブルネレスキは、コンクリートではなく、仮枠なしで、
煉瓦を二重構造の格子状のアーチにして、

一定の位置で杉綾形に積んで、
木材と鉄のテンションリングで締め付けて実現させた。

足場や荷積み作業のプラットホームなど
難工事の作業実務の工夫を職人に指示し、

道具の発明まで現場の監理に関わった人で、
クーポラは1420年から16年で完成した。

tucasa_firenze_ 535_R.JPG正面の装飾や外装の3色の大理石が
完成するのは19世紀の後半だけれど、

街路や窓から見える
S・M・デル・フィオーレ大聖堂の

八角形の美しい煉瓦製ドームは
後世の人々に残した素晴らしい遺産だ。

古代ローマ建築に触発されたブルネレスキは、
ゴシック聖堂のようなそびえ立つ美ではなく、
数学的に各部の比例が調和した美を描いていた。

大聖堂の工事監理者が決定するまでの間の1419年、
その理想を初めて形にしたのが、無垢な子供のための養育院だ。

アーケードの柱とアーチは、
円と正方形の単純な比例になっていて、

鉄製の細いタイバーで横揺れを防いで、
柱は細く、壁は薄く、軽快な表現で、
ヒューマンスケールの建築を生み出した。

tucasa_firenze_ 337_R.JPG構造と仕上げは分離して、
ピエトラ・セレーナの砂岩と漆喰塗りに

可愛らしい子供のメダイオンの青が
調和の取れたアクセントになっている。

神のためではなく、
人のためのルネサンス建築だ。

後継者がアンヌンツィアータ広場を囲む建物を
同じ様式と材料と色で統一感を与え、

S・M・デル・フィオーレ大聖堂の
ドームに向かって、軸線を与えた。

tucasa_firenze_ 897_R.JPGブルネレスキが設計したサン・ロレンツォ教会や
サンタ・クローチェ教会パッツィ家礼拝堂も

設計者と現場監督の立場で建築を味わうほどに
大変な熱意と苦労を感じ入る。

14世紀以降、戦争に
火薬が使われるようになると

市壁など敵の砲撃に耐えるだけの強度が必要になり、
ブルネレスキやレオナルド・ダ・ヴィンチは、
軍事構築物の設計、監督もするようになる。

古代ローマに学んだブルネレスキとドナテッロは、
パトロンの望むまま、彫刻でも金属細工でも
建築でも何でもこなした。

つづく。


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2017年10月02日

チョイ住み in Firenze 1

ローマから高速鉄道でフィレンツェへ。

tucasa_firenze_ 268_R.JPG旅情を誘う駅は、イタリア人男性の
耳に心地よいアナウンスだけで、

騒がしい音がなく、
ただ電光掲示板を見つめて到着を待つ。

列車は何のアナウンスもなく動き出し、
車窓からトスカーナの風景を眺めながら
静かな大人の時間を楽しむ。

列車はやはり何のアナウンスもなく、
centrale S・M・novella駅に到着した。

フィレンツェの富はアルノ川からもたらされた。

アルノ川の岸辺の恵まれた交易地点で、
当時の最先端技術による質の高い毛織物と絹織物を製造した。

染色、縮絨など織物の製造過程で大量の水を必要とする。

原料や生地を輸入し、製造加工して、
ヴェネツィアやジェノヴァの地中海貿易を通じて輸出した。

裕福になった商人のジョヴァンニ・デ・メディチは、
教皇に金を貸付け、銀行業でさらに財産を築く。

tucasa_firenze_ 775_R.JPGフィレンツェは銀行業の一大中心地となり、
1420年代には72の銀行があった。

14世紀、ペトラルカは
ラテン語の文法を整理するため
古代ローマの文献を収集し研究していた。

大概歴史的な書物というものは、
筆者の主観で虚飾される傾向があるけれど、
古代ローマ人は真実を綴った。

15世紀、父の遺産を受け継いだコジモ・デ・メディチは、
ペトラルカの影響から古代ローマの著述家に魅せられる。

その情熱はフィレンツェの学者たちを巻き込み、
彼らは、キリスト教会が長い間異端としてきた思想を見つける。

人は神に作られたのではなく、知識は神によって示されるのではなく、
人は新しい真実を発見し、創る能力が備わっているという
ヒューマニズムの思想だった。

この新しい情熱は、古代の手稿の収集に駆り立て、
コジモは発見しうる稀覯本のすべてを購入し、何千冊もの本を集める。

思想の中心が神から人間に移され、
学問と芸術の宗教的束縛からの解放、個人の独立と自由など
近代の先駆けとなるルネサンスが生まれた街、フィレンツェ。

美術においては肉体描写、文学においては心理描写。
そして建築においては、幾何学や透視図法によって、
新しい秩序の都市計画が行われた。

車のなかった時代の人間的なスケールの理想都市は
広場や建築のファサードなどに表現される。

そういう視点で訪れた今回は、歴史的市街地の
15世紀の住居にチョイ住みしながら、ローマに引き続き、
毎日街歩きとルネサンスの芸術に触れることができた。

tucasa_firenze_ 836_R.JPGフィレンツェの初日にしたことは、
足にやさしい靴を買うことだった。

つま先から頭の先まで油断しちゃいけない、
イタリア男は特に靴に気を遣う、とばかり

ローマで気合いを入れ過ぎて、
膝に痛みを感じる始末。w

案の定、おしゃれな外国人観光客の
足元に注目したら、みんなカジュアルだ。

一日中歩き回る所詮旅人は、水を得た魚のように
石畳を軽やか歩くのでした。

15世紀に入り、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉の共同制作を
ブルネレスキが辞退したあと、

人文主義者の学者が古代の文献から学んだように
ドナテッロとブルネレスキが、ローマへ出向き、

古代ローマの遺跡の調査研究を行って、
ローマ建築から構造を学び、空間の秩序と柱のオーダーを発見する。

つづく。


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2017年10月01日

チョイ住み in Rome 5

19世紀にイタリアが統一し、ローマが首都になり、
二つの大戦を終えた70年代。

古いものを壊さず、残しさえすれば、
それが観光資源となり、文化価値となり、経済価値となることに
イタリアの自治都市国家の人々は気づいた。

価値があるのは、便利さや効率性ではなくて、
歴史の重層性を現代に活かすことで、
彼らは全部壊して一から作り直すことを止めた。

tucasa_rome_ 089_R.JPG景観規制は、建物だけでなく、
看板、広告物、店舗デザインにまで及ぶ。

建物の外観を維持するだけでなく、
むしろ標識や広告物に調和を与える
デザイン手法が、

ローマの都市景観を形成している。

建物の外壁は限られた素材で統一感があって、
何より標識や看板の素材や材質まで建物と調和している。

内部は歴史の記憶や豊かさを生かしつつ、
現代のニーズに合わせた空間づくりがなされて、
近代の新築した建物には出せない魅力に溢れていた。

ジェントリフィケーションが起きて、
歴史的市街地にはかなりの高額所得者しか住んでないという
格差社会も垣間見えたりするけれど、

tucasa_rome_ 142_R.JPG先人たちが築いた玄武岩の石畳にしても、
現在の市民の方々の街の美観を
保存したいという尊い意思によって、

我々はかけがえのない文化遺産を
享受させてもらえる。

コロッセオはローマの貴重な遺産であるという市民の声が高まり、
19年間に渡って大規模な修復工事が行われたんだけど、
その費用は民間の銀行が負担している。

tucasa_rome_ 206_R.JPGその他数々の文化遺産や美術品の修復費用は、
実は民間企業の寄付金で賄われている。

利益の半分は地元に戻すという企業倫理が、
イタリア文化の奥深さかもしれない。

ある夜の歩き疲れて、たまたま入った
壁がワインで埋め尽くされた
クチーナはいい思い出だ。

店長含め3人の男性給仕の
ゴッドファーザーの世界を彷彿とさせる出で立ちと

プロフェッショナルな身のこなしは、
まるでオペラの舞台のようだった。

お薦めのトスカーナのTボーンステーキを頬張ったら
旨い!目がランランとしてエネルギーが湧いてきた。

tucasa_rome_ 3304_R.JPG店長からのおごりですという
アマーロの美味しさは、絶品のティラミスと

心温まるメッセージのカプチーノの
想い出とともに、今でも舌が覚えている。

街を見下ろす丘から
ローマの街並みを眺める。。。

ローマは歴史の物語が沢山詰まった宝箱だった。


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2017年09月30日

チョイ住み in Rome 4

ナヴォーナ広場にはボッロミーニのサンタニェーゼ教会と
ベルニーニの四大河の泉があるけれど、

元は1世紀に建てられた3万人収容のスタジアムの跡地で
観客席だった強固な躯体を利用した店舗が並び、

スタジアムの曲線がそのまま凹面の外壁となって、
歴史を記憶に残した形になっている。

tucasa_rome_ 185_R.JPGボッロミーニの、交差点の四角に噴水のある
クアトロ・フォンターネ聖堂は、
曲面に波打ったファサードに

内部の楕円形のドーム天井が、
十字形と八角形と六角形で、

見事な幾何学模様になっていて、
上に行くほど狭く納まる、
イスラム芸術の三次元デザインを思わせる天才的な空間だった。

様々な広場や噴水は市民の憩いの場となり、
ボルゲーゼ公園などの広大な緑地の自然公園もあり、
街中に心地よい居場所がたくさん作ってある。

tucasa_rome_ 3119_R.JPGボルゲーゼ公園のある
ピンチョの丘の斜面に作られた

スペイン階段やトレヴィの泉も
バロック時代のものだ。

これらの劇場的な空間は街に開かれていて、
身近に立ち寄れて、腰掛けられる。

トレヴィの泉は建物に囲まれて、街路より掘り下げられているので、
俯瞰によってこの劇的な空間が一瞬にして心に焼き付けられる。

そういえばパンテオンからトレヴィの泉に向う途中に
アントニヌス・ピウス帝が2世紀に建てた
ハドリアヌスの神殿の列柱が現存していた。

柱脚の基礎構造も見える状態になっていて、
採石場の名残で石の広場と呼ばれている。

ボルゲーゼ美術館にあるベルニーニの「プロセルピナの略奪」は、
僕が一番心奪われた彫刻作品だ。

tucasa_rome_ 3231_R.JPGギリシャ神話の一場面を
逃げようとする抵抗の躍動感でドラマティックに、

しかも指が柔らかなもとももに喰い込むリアリティを
またふたりを3次元にどの方向から見ても

破綻のないように掘り出す
造形能力には圧倒された。

「アポロとダフネ」の逃げて触られた瞬間の月桂樹に姿を変えていく瞬間が
目の前で繰り広げられているような劇的なドラマ性。

ふたりと木や葉っぱを絶妙なバランス感覚で掘り出す技は、
古代ローマやギリシャを超越した人類最高の彫刻家とさえ僕には思える。

tucasa_rome_ 3371_R.JPGベルニーニの
ローマにある数々の噴水彫刻は、
ローマの街を劇場のような場に変えた。

サン・ピエトロ大聖堂前のコロネードでは、
なるべく多くの市民を収容できるように

長軸200mの楕円形と台形で囲み、
大聖堂を遠く感じさせずに、オベリスクの中心性をより引き立たせた。

カトリック教会は権威を高めるため、
教会を彫刻や絵画で飾り立てた。

tucasa_rome_ 068_R.JPGカラヴァッジョのキアロスクーロの技法で
劇場の舞台のような
明暗のコントラストの中に

感情を表現した人間ドラマは、
ルネサンスにはない異質の感動を与える。

ローマのサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会の
壁面に描かれた「聖マタイの召命」「聖マタイの殉教」と

サンタゴスティーノ教会の壁面に描かれた
「ロレートの聖母」が今でも心に残る。

この教会の方が、柱にラファエロの絵もあるよと案内して下さった。
ラファエロは、ミケランジェロのあの天井画を見た後、

既に完成していた絵を壁から削り落として、
ミケランジェロ風の人体表現と色彩に描き直した。

「天地創造」の天井画はそれほど後の芸術家に多大な影響を与えたのだ。

つづく。


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2017年09月29日

チョイ住み in Rome 3

ルネサンスの広場と云えば、
ピエンツァのピウス2世広場や

ルネサンスの理想都市のアイデアの集大成とも云える
ミケランジェロが設計したカンピドリオ広場がある。

祭壇画と時期は被るけれど、
文化レベルの高いパウルス3世の理解のもと、
円熟期のミケランジェロが才能を遺憾無く発揮できた。

カンピドリオの丘は、古代ローマ時代には神殿が作られ、
ローマ市民にとっては町の起源を意味する象徴的な丘だ。

tucasa_rome_ 035_R.JPG広場の隅の円柱上には、ローマ建国神話の
カピトリーノの雌狼像がある。

ミケランジェロは、この丘の両サイドに
中世から建っていた既存建物の条件を活かして、
逆台形の広場にした。

広場を囲む建物に
様式、材料、色に統一性を与えて、
広場の中央を楕円形にしかも階段状に掘り下げた。

この高低差が空間を魅力的にして、
より中心性と親密感を高める効果があると思われる。

床の舗装には地球儀のような幾何学模様を描いた。

室内の絨毯のように美しい模様で舗装するのは
ルネサンス以降の特徴だ。

その中心には五賢帝最後の
マルクス・アウレリウスの騎馬像が設置されている。

ここがローマの中心、世界の中心ということを
象徴的に表現したのだろう。

これも自身では完成を見ていないけれど、
空間の軸線、シンメトリー、透視図的効果を重要視した
ブラマンテと同じ意図が窺える。

tucasa_rome_ 199_R.JPG保存修復の起源はルネサンスに遡れるけれど、

ミケランジェロがディオクレティアヌス帝の
4世紀初頭の浴場跡の大浴場部分を

S・M・デッリ・アンジェリ教会に
レスタウロしている。

当時の一大娯楽施設の壮大さを想像できるものだ。

地下には湯を焚く施設や床暖房設備が完備し、
トイレは常に水が流れる清潔なもので、

ポルティコで囲まれた中庭には草花が植えられ、
ギリシャ彫刻が置かれ、サウナやプール、フィットネス、
図書館、レストランや美容室もあった。

裕福な貴族たちは仕事は午前中だけで、
昼からは娯楽を楽しみ、浴場で垢を落し、

労働や家事は奴隷たちがしていたから
さぞ贅沢な暮らしぶりだったと想像する。

テルミニ駅前に広がる共和国広場を縁取る半円形の建物も
元は浴場の壁面だったから、かなりの巨大浴場だったことが想像される。

tucasa_rome_ 155_R.JPG今回は精力的にローマの街を歩いた。

毎朝カンポ・デ・フィオーリ広場の朝市で
果物と野菜と生ハムを買って、

バターをはじめ乳製品も新鮮で
美味しくてしかも安い。


中世の街並みは、建物の外壁面が様々な幅や形の街路と
色んな形の広場を形成して、変化に富んで、

街中には噴水がたくさんあって、
古代ローマの遺跡が目の前に現れる。

ローマは元々沼地で、水は確保できたんだけど、
人口の増加と市民に良質な水を供給するために
何十キロも先から11本の水道を引っ張った。

そのうちの1本ヴィルゴ水道が、アックア・ヴェルジネ水道として
引き継ぎ、紀元前からの水を今だに供給している。

街路にふと現れる水飲み場からは、カルキの入っていない良質な水が、
24時間、365日噴出し続けている。

七つの教会に向う道路に軸線を与え整備し、
教会のそばにはランドマークとなるオベリスクを置き、

広場や要所には噴水の湧き出る泉を設置するという
シクストゥス5世の都市改造計画案をもとに
以後の教皇たちがバロックの街の景観を作っていった。

つづく。


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2017年09月28日

チョイ住み in Rome 2

イタリアは世界遺産の宝庫で、その60%はローマにあるという。

起伏のある地形に、古代ローマの皇帝たちが築いた都市構造の上に
西ローマ帝国滅亡以来、中世の千年の眠りから覚め、
ルネサンス以降の教皇たちによってバロックの都市が作られる。

建築や美術の文化遺産の影には、
キリスト=カトリック教会の権威があった。

ルネサンスはメディチ家をパトロンとしてフィレンツェで始まったけれど、
後期は教皇をパトロンとしてローマで展開された。

ミラノのスフォルツァ家に仕えていたブラマンテが、
フランス軍のミラノ侵攻を機にローマへとやってきた。

4世紀初頭にコンスタンティヌス帝が、
殉教した聖ペテロの墓の上に建てた旧サン・ピエトロ聖堂を
教皇ユリウス2世が建て替える英断を下す。

ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は、
ギリシャ十字に幾何学形態が立体的に繋がり、
中央に正半球のドームが載るブラマンテの計画案に

教皇パウルス3世の命に従った晩年のミケランジェロが、
構造的なプラン修正を行う。

tucasa_rome_ 3343_R.JPGクーポラのドラムの部分ができたところで、
ミケランジェロ自身は
完成を見ることはできなかったけれど、

1世紀以上の年月を掛けて、
材料を軽減できる二重リブ構造のドームの外観は、

自重に耐える紡錘形になったものの
内部の正半球の天井は実現された。

6世紀に建てられた聖ソフィア大聖堂は、
パンテオンのような円筒形ではなく、
メッカの方向に横に並ぶ礼拝に相応しい四角い礼拝堂で、

ペンデンティブという球面三角形によってドームを載せて、
ドームの荷重はバットレス(控え壁)で支えたけれど、

この頃はドームの土台部分に環をはめて、
ドームの破裂を防ぐ工夫がなされたから
バットレスなしでドームを設けることが可能になった。

バロック最盛期のベルニーニをはじめ
荘厳な装飾や天井画と共に、
建築に携わった先人たちの技術の結集だ。

この下には教皇たちの石棺が置かれ、
そのまた下には、古代ローマ時代のネクロポリスがあるんだけれど、

大聖堂内は、教皇たちの墓碑で飾られ、
まるで彫刻美術館のようでもある。

tucasa_rome_ 3356_R.JPG数々の彫刻の中でも印象に残っているのが、
アントニオ・カノーヴァの二人の天使裸像。

ウィーンにあるマリア・クリスティーナ墓碑の
死を悼んで俯く参列に共通する表現力だ。

フランスとハプスブルク家のイタリア戦争と
政変のさなか、ミケランジェロは21歳の時に

故郷のフィレンツェを離れてローマに来て、
最初の傑作「バッカス」を制作する。

それを見た枢機卿が「ピエタ」の制作を依頼して、
25歳の時完成している。

tucasa_rome_ 3328_R.JPG聖母の若さは、
永遠の清らかさを表現したとのことだけれど、

唯一自分の名前を刻んだ
聖母の胸の文字は見えないほど、
遠くのガラスの向こうに佇む存在感は、

石から彫り出されたことを忘れてしまうほど、
作品というより体温を感じて惹きつけられた。

ミケランジェロが再びローマに呼ばれたのは、
ユリウス2世の廟の制作依頼だった。

制作の途中で、システィナ礼拝堂の天井画を制作するように強要される。

ユリウス2世はチェーザレ=ボルジアを失脚させた人物だ。

「天地創造」の天井画は32〜37歳の時に制作した。

ヴォールト天井の形状を生かしつつ、見上げる人の目線を考慮して
絵の一部が建築の延長のように錯覚させる見事さがある。

フレスコ画は漆喰を塗って、
濡れているうちに下絵から陰影などの細部まで
描ききってしまわなくてはいけない。

フレスコ画の師匠、ギルランダイオも内部装飾に参加しているんだけど、
壁に描かれたカーテンは、最初絵だとは気づかなかった。

今年は奇しくも、ルターが免罪符の発売に疑義を呈して
500年に当たるけれど、宗教改革やローマの劫略などの時代を経て、

今度はクレメンス7世がミケランジェロに
システィナ礼拝堂の祭壇画を描き換えるよう命じる。

後継のパウルス3世も祭壇画を切望し、
還暦を過ぎたミケランジェロは「最後の審判」を完成させた。

tucasa_rome_ 103_R.JPGこの礼拝堂の内部に
どれだけの時間留まれたのかは
定かではないけれど、

濃密な時間だったことは確かだ。

そういえば、ユリウス2世に
ヴァチカン宮の室内装飾や
壁画を依頼されていた

ラファエロが描いた「アテネの学堂」がある。

同郷のブラマンテが構想した大聖堂の景観を思わせる、
ルネサンスを感じる印象的なフレスコ画だった。

つづく。


司建築工房

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2017年09月27日

チョイ住み in Rome 1

イタリア人は、個人の部屋以外は家の中も街の中も
さほど大差ない空間領域として生活しているようだ。

だからこそ自分たちの暮らす街を大切にし、
魅力ある街の暮らしをみんなで守ろうとする。

それは自分の家だけ魅力的にしても実現しないという
自治都市共同体を重んずる精神だ。

そんなイタリアのまちづくりという視点で
今回現地を訪れる機会に恵まれた。

紀元前の共和制時代の遺構は見られないけれど、
ヴェスピオ火山の噴火で埋もれた
ローマ時代の都市ポンペイの発掘によって

紀元前の街に市役所や大劇場、
2万人収容の円形闘技場などが見つかり、
道路は石で舗装され、各住居には水道が引かれていた。

日本の弥生時代に、ほぼ現代社会が出来ていたのだ。

ガラス容器の起源はメソポタミア文明だけど、
型枠のいらない吹き技法が、紀元前1世紀にシリアで開発されて、
ローマの属州に取り込まれたことで、窓ガラスが登場する。

tucasa_rome_ 3156_R.JPG古代ローマ人の生活を快適にする叡智と
インフラ建設を可能にする高度な技術。

パンテオンやコロッセオのように
コンピューターや重機のない時代に、

現代でさえ困難な大規模建造物が
1900年前のまま建っている現実を
目の当たりにすると

過去の先人たちへの尊敬の念が自ずと湧き上がる。

切石の集積で大きな開口部を作れるアーチを編み出し、
アーチを立体的にしたヴォールト天井は、
既にコロッセオで見られる。

楕円形の外壁面は、アーチが3層積み重なり、
アーチの間にギリシャのオーダーに従って
ピラスターで壁面装飾していて美しい。

悠久の時を廃墟となって風雪に耐え、
採石場となって建材に転用され、戦場となっても
圧倒的な存在感を放つ巨大な建築だ。

古代ローマ人は、やはりメソポタミア文明に始まり
ローマにもたらされた煉瓦や
砕石と火山灰のローマンコンクリートを使って強度を出した。

tucasa_rome_ 099_R.JPGローマには、パンテオンやアッピア街道など、
有力者が私財を投じて建設された例も
少なくない。

パンテオンの基礎構造や壁の厚みの計算、
一番厚い部分で約6.2mあるけれど、

材料を工夫して使い分け、下層のトラバーチンから
クーポラの上層は骨材を軽石に変えて薄くしてある。

クーポラを支えるドラムの壁の厚みは約7mあり、
5層の格天井の建築的工夫によって
円形の天窓を実現していることなど

古代ローマの人知、学問の高さ、
高度な技術には舌を巻く。

ハドリアヌス帝には、シリア出身の石工や
東方の属州から来た建築集団が付いていて、
構造力学や立体幾何学に明るい彼らがすべて形にした。

ハドリアヌス帝は現代の建築家に近いかもしれない。

tucasa_rome_ 058_R.JPG僕はこのパンテオンが一番好きなんだけど、
建物自体が巨大な日時計になっていて、

4月7日頃と9月2日頃の年2回、
太陽の神アポロンと天空の神ユピテル

を祀る壁龕(へきがん)のアーチに
天窓からの円形の光が重なる。

天文学や暦を自在に操る建築。

帝政時代が始まった紀元前27年に
カエサルの養子アウグストゥス帝に献呈した
ウィトルウィウスによって書かれた「建築書」に

建築家は、幾何学に精通し、音楽を理解し、
星学あるいは天空理論の知識を持つこと、とある。

そういえば、カエサルが計画して
アウグストゥスが完成したマルケルス劇場は、

二千年を経た現在も何家族かが暮らす建築物として
今も使われていて、毎日横を通って眺めていた。

「ローマを知るには一生では足りない」

つづく。

司建築工房

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2017年09月10日

villa campo HP UP

5年毎に更新する建設業の許可申請と
建築士事務所の許可申請の提出を終えて、

8月に竣工したvilla campo の撮影画像を
ホームページにアップしました。

ご高覧下されば幸いに存じます。

tucasa_villa campo_7122_R.JPG以前に僕が手掛けた建築で、
ベットルーム〜シャワー室〜パウダールーム
が連続する空間を気に入って下さって、

部屋に浴槽がある空間をつくることで始まった。

初めて現場を見たとき、
イタリアの広場にしようと思ったことは
以前のブログで書いた。

イタリアと云っても様々な街や自治都市があって、
魅力的な広場は数多くあるけれど、

玄関を入ってすぐ右に折れ、
構造の梁の関係で天井がかなり低い部分をくぐると
そこから3つの部屋に分岐している。

不足していた収納スペースを
広場の鐘楼に見立てて増設することで、

メインの空間へはまた右へ曲がるという
地中海的迷宮性を帯びたヴェネツィアの空間構成を思った。

狭くて薄暗い道からトンネルをくぐって、
明るい広場に出る感覚だ。

美しい外壁やリズミカルな回廊で囲われた広場は、
まるで大広間、はたまた演劇的舞台のよう。

いろんな方向から広場を眺めて、
また広場の真ん中から周りを眺める。

ヴェネツィアがオリエントと西欧の文化が溶け合って、
独特の都市風景を作っているように、

ここでは日本の伝統技法の素材や文化と融合させて、
魅力ある広場を作りたいと思った。

地中海世界には古代から、
多くの建物がぎっしり並ぶ喧騒からは想像もできない、
緑と水のある静寂の中庭を作ってきた。

ヴェネツィアでは地域住民の生活と密接に結びついた広場をカンポと呼ぶ。
イタリア語では田畑や野原を意味しているらしい。

周辺の環境と対話して、人の感性に響く素敵な風景で囲まれ、
美しい舗装を施せば、人々に親しまれる広場ができるのだ。

今回のレスタウロの機会を与えて下さった
クライアントに感謝致します。


司建築工房

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